少しのことにも先達はあらまほしき事なり(兼好・徒然草)
2006年 09月 04日
講演後は、教育委員会を通して、数日前に打診のあった鷗俳句会の方々とお目にかかって懇談、句碑散歩ののち会食をしてお別れした。何度も出かけている町であったが、地元の先達のある散策はかつてない充実したものとなった。俳句会のみなさんの、旧識の如き優しい心配りに頭が下がった。以下にその見学の一部を紹介する。
浜屋ホテル(あしか島海岸)の前庭の句碑「佇みて瞑りて待つ初日影 唯男」を見る。作者の永島唯男氏は鷗俳句会の指導者で、俳誌『天為』同人。連句も画も玄人跣足の多彩な人である。
最近、犬吠埼灯台下の君ヶ浜に、『天為』主宰の有馬朗人句碑「鳥白し春あけぼのゝ君ヶ浜 朗人」が建ち、道沿いにある句碑「犬吠の今宵の朧待つとせん 虚子」に対す。
女将の高橋鷹子さんが俳人という暁雞館(犬吠埼)を訪ねる。永島さんらが巻いた「暁雞の」半歌仙の額を見るためである。それはロビーの壁に掲げてあった。平成十七年一月十一日に巻いたもの。第三までを紹介しよう。「董王」は永島氏の別号。
暁雞の西明浦の初日かな 永島 董王
掬へば甘き海士の若水 本屋 良子
醤油蔵四百年も続きゐて 高橋 賢
此台の清風/たゝちニ心涼しく/
西方仏土もかく/あらんと
ほとゝきす爰をさること遠からす 一茶坊〔書判〕
これは浄国寺(春日町)に建つ一茶句碑。寺が所蔵する芳墨帖の真筆を模刻したもの。一茶は文化十四年六月一日、滞在先の主人である大里桂丸(豪商行方屋。大里庄次郎。浄国寺檀家)、と五味李峰(銚子住)と浄国寺望西台に遊んだ(矢羽勝幸『一茶大事典』大修館書店)。その際の揮毫。「平成十七年乙酉年七月吉日」建碑。碑陰に有馬朗人・本屋良子(獅子門 一紅庵)等、発起人である永島氏を支援した人々の名あり。〈爰をさること遠からず〉は『観音経』の一節という話もある。『華厳経』であったかもしれない。仄聞ゆえ、確かめる必要あり。
先掲の桂丸が、野崎小平次(未詳)と共に建てた芭蕉句碑が同じ境内にある。句は「枯枝にからすのとまりけり秋の暮 はせを」(判読)。碑面に「あきの夕誰が身のうへぞ鐘が鳴る 桂丸」(未考)の句を添える。弘化二年建碑の由(未考)。『諸国翁墳記』に登載されるや否や考証の必要あり。
地球展望館(愛宕山)で「鷗俳画展」見学。私の訪銚を知って、会期を延ばしてくれた由。心に残った句は以下の通り。
頬刺の一味ちがふ天日干 加瀬 晴子
春寒や仔牛小さき膝を折り 半田 穂波
大店に嫁して七年初幟 作田 櫻子
県民の森より聞こゆ雨蛙 一谷 源治
香水を控へて料理運びけり 高橋 鷹子
釣宿の女将となりて明易し 飯島 藍子
噴水の見ゆる二階の喫茶店 高橋 綾乃
宿題の早く終りしソーダ水 加瀬 緑
枯菊を束ねし庭の広さかな 加瀬 絹代