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不易流行は近代の原点

  「論文を読む会」で正岡子規国際賞事業「国際俳句シンポジウム『不易流行』」の記録集(平成16年3月 愛媛県文化振興財団)を読んだ。川本皓嗣氏をモデレーターに、パネリストとして岩岡中正・夏石番矢・堀切実各氏を迎えたもの。作品に触れることのない議論で難解であったが、私に比較的馴染みやすかった岩岡氏の意見の一部を書きとめて備忘とする。なお、芭蕉会議としての集約は別に機会を設けることになる。

 〈「近代」とは人間による作為、つまり一切を自分の小さな自我で作っていくやりかた〉を学んだ時代である。「現代」とはその〈近代の行き詰まり〉の時代で、「老いてきた近代」といえる。つまり〈一切が自己中心的になり、物事を見るのにすべてが分析的になり散文的になり、詩が失われてしまった時代〉で、〈人と人、人間と自然との関係、挙句の果てには自我と身体との関係までも崩壊してしまい、バラバラになった世界〉である。〈真の知性が枯渇し、貧困になった時代〉といってもよい。俳句に関して言えば、〈非常に実感から遠ざかった言語遊戲〉になってしまった。
  もとより詩は「真の知性」である。つまり、詩には内発力・生成力があり、〈一切を総合する力〉が備わっている。それは〈相異なるものから、それを超えた全く異質な高次元のものを作り出す〉想像力(imagination)によって生まれるのであり、〈言葉を適当に組み合わせて新奇なものをつくりあげる〉空想(fancy)の産物ではない。
 ではこの「老いてきた近代」をいかにして超えるか。それは「近代」の原点に帰ることである。もともと「近代」がめざしていた「生きた自我」、つまり芭蕉のような「開かれた自我」を完成させるために、もういちどモダンの原点に帰ることである。創造のエネルギー(流行)と伝統(不易)との相互の往復運動を通して、〈生き生きとした感動をもって、新しい見方や価値観の中に身を置いて、★自己生産論(オートポイエティック)に生きていくという〉ところから新しい伝統が創出されるであろう。
 
  〔谷地注〕★「自己生産論」は「自己生産的」の誤植か。とすれば、その意味するところは、向上心を持って主体的に生きて、その結果として生まれてくる感動を形象化する、という脈絡になるであろう。
by bashomeeting | 2006-09-28 05:36 | Comments(0)

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