漂流と漂泊
2006年 10月 23日
鷹一つ見付てうれしいらご崎 (笈の小文)
と喜んだ。また、明治三十一年(一八九八)の夏には柳田国男が伊良湖に滞在し、そこで得た椰子の実の話を島崎藤村に語って、国民歌謡「椰子の実」(藤村『落梅集』)が生まれた。
だが、鷹と椰子の実ではものが違う。いかに遠き島から流れ着くとはいえ、椰子の実が海に漂うていても漂泊とは言えず、せいぜい漂流であろうか。漂泊とは精神のことなのである。

こんな旅が持てるのは、幸せな人間なのかもしれません。明日には何気ない日常に戻っているかもしれませんが、今の今の気持を消えてしまわないうちにと、パソコンに向かっています。
あとで、この旅で見つけたものの大きさに気づくかもしれません。
ありがとうございました。

先生が平成14年に下さったお便りに
心と身体と共にある=詩が書ける時がたまにあるあなたや私は仕合 せ者であります。
と書いてくださったこと、大事にしています。