俳諧はなくてもあるべし…
2006年 11月 24日
七日(火)は大学の講義を休講とし、俳誌『葛』創刊記念俳句大会に参加した。百余名の出席者のほとんどが三十年来の知己であり、顔見知りであって、懐しいことこの上ないのだが、それを素直に言葉にも表情にも出せないわけは、世事に忙しくて多くの人々に無沙汰をしていることからくる遠慮と、お互いの加齢を受け容れるのに十分の時間がなかったからだ。言葉の足りなかったところは、これから句作で補うしかないだろう。このことは、翌週の講義でも触れた。休講の内実を知ってもらうために。
十一日(土)、坂口安吾生誕百年記念講演会とシンポジウムを聞きに東洋大学へ。Oさん、Tさん、Kさんなどの顔が見えて、目であいさつ。講演は荻野アンナ氏「安吾の中のフランス」、山折哲雄氏「安吾と悪」の二題。帰途、風邪の自覚症状を覚え、今に至るまで完全には復調していない。やはり安吾は身体によくないのかもしれない。
過日、Wさんからひさしぶりに便りがある。最近、自力では寝起きがむずかしくなった母上の御世話で、論文執筆も滞りがちの由。今は、芭蕉の「俳諧はなくてもあるべし。ただ世情に和せず、人情に通ぜざれば、人調はず」(『三冊子』わすれみづ)という言葉を大切に思って暮らしているともある。かけがえのないものと正面で向き合うこと。それを抜きにして、文学なんぞありえない。改めて芭蕉に、そしてWさんに敬服。世情にうとく、人情を解せないことの、なんと恐ろしいことか。