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詩歌に癒されて生きる

 十二月は毎年、卒業論文指導の大詰め、大団円(カタストロフィー)に終始する。時代と共に学生の質も論文も変わり、その指導ひとつとつが記憶に留めるに価するドラマである。加えて、編集を担当するRH誌の投稿締め切りが十一月末日に変更されたので、今年はその業務に追われたりしているが、合間を縫って仲間と国立小劇場へ出掛けて文楽を観た。だが観劇の最中に、仲間の一人が昏睡状態の気配となり、救急車を呼んで病院へ同行。さいわい大事に至ることなく復帰。そのひとつひとつが十二月のものである。

 WS誌に四回分のコラムを頼まれ、まず江戸時代の詩人柏木如亭著『詩本草』(岩波文庫)を取り上げた。揖斐高さんが書き下しと解説を施していて読みやすい。如亭は一茶や良寛とほぼ同じ時代を生きた、エピキュリアンである。その快楽主義へのあこがれを綴っているうちに、ふとその対極にあるかのような石垣りんの「定年」を思い出して、読み直した。

   ある日
   会社がいった。
   「あしたからこなくていいよ」

  と始まるあれで、原稿の内容は如亭と石垣りんの二本立てになってしまった。ちなみにコラムのタイトルは「詩歌に癒されて生きる」である。そして、もし私の暮らしに詩歌がなかったどうなっていたかと考えて、ゾッとした。研究はおもしろいが、なくても生きていける。しかし、詩歌のない暮らしは想像がつかない。
Commented by 椎名美知子 at 2006-12-26 12:12 x
 石垣りんさんの詩は、あまりにも生活感が前に出ていて、私の書きたいと思うものと違うと思いながら、いつもどこかで気になっている詩でした。
 でもあることに遭遇した今、石垣りんさんの詩を読んでみると、何と生きている実感を感じさせてくれる、地に着いた詩なんだろうと思うのです。働く女性の少ない時代、詩を書くことが自分を癒し、鼓舞するものであったかもしれない。「詩」を書くことが現実からの逃避でなかったことは確かだと思います。
 如亭のものは読んでいませんが、「その対極にあるかのような石垣りんの・・・・」で快楽主義。江戸時代の他の作家にみられる現実からの逃避があるのでしょうか。次元は違うのですが、昨今の自分の詩作の姿勢がみえてきて、考えさせられること多々ありました。
 「もし私の暮らしに詩歌がなかったらどうなっていたか」と、先生はおっしゃられます。赤裸々に自分の生活を素材にして詩を書いた石垣さんも、詩歌の世界はほっと自分を包み込んでくれる憩いの場であったことは同じだったろうと。 「詩歌に癒されて生きる」私もこれからなおさらに実感していく日々であろうと思います。
 先生の論文、是非拝見させてください。
by bashomeeting | 2006-12-16 09:58 | Comments(1)

芭蕉会議の谷地海紅(快一)のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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