詩歌に癒されて生きる
2006年 12月 16日
WS誌に四回分のコラムを頼まれ、まず江戸時代の詩人柏木如亭著『詩本草』(岩波文庫)を取り上げた。揖斐高さんが書き下しと解説を施していて読みやすい。如亭は一茶や良寛とほぼ同じ時代を生きた、エピキュリアンである。その快楽主義へのあこがれを綴っているうちに、ふとその対極にあるかのような石垣りんの「定年」を思い出して、読み直した。
ある日
会社がいった。
「あしたからこなくていいよ」
と始まるあれで、原稿の内容は如亭と石垣りんの二本立てになってしまった。ちなみにコラムのタイトルは「詩歌に癒されて生きる」である。そして、もし私の暮らしに詩歌がなかったどうなっていたかと考えて、ゾッとした。研究はおもしろいが、なくても生きていける。しかし、詩歌のない暮らしは想像がつかない。
でもあることに遭遇した今、石垣りんさんの詩を読んでみると、何と生きている実感を感じさせてくれる、地に着いた詩なんだろうと思うのです。働く女性の少ない時代、詩を書くことが自分を癒し、鼓舞するものであったかもしれない。「詩」を書くことが現実からの逃避でなかったことは確かだと思います。
如亭のものは読んでいませんが、「その対極にあるかのような石垣りんの・・・・」で快楽主義。江戸時代の他の作家にみられる現実からの逃避があるのでしょうか。次元は違うのですが、昨今の自分の詩作の姿勢がみえてきて、考えさせられること多々ありました。
「もし私の暮らしに詩歌がなかったらどうなっていたか」と、先生はおっしゃられます。赤裸々に自分の生活を素材にして詩を書いた石垣さんも、詩歌の世界はほっと自分を包み込んでくれる憩いの場であったことは同じだったろうと。 「詩歌に癒されて生きる」私もこれからなおさらに実感していく日々であろうと思います。
先生の論文、是非拝見させてください。