俳諧会席と句会
2006年 12月 18日
翌十七日は芭蕉会議と俳文学研究会合同の忘年句会で、千駄木・谷中を経て根岸の子規庵を吟行し、甫水会館で句会をした。この会では、メンバーの現状にもっとも有効な句会のあり方を模索してきたが、この日は進行係のIM氏が披講・合評が済むまで作者を名のらない方法を採用し、忌憚のない意見交換の場を創出してみせた。期せずして、古典俳諧の時代と現代の句会の形式について考えさせられたのである。
そして、再確認したことは「正式(しようしき)俳諧」が儀式つまり晴の文芸であり、芭蕉七部集や『おくのほそ道』の旅の途次に巻かれた褻の俳諧とは異なること、晴の文芸とは姿を優先し、褻の文芸は内容を重んじることである。近代俳句(句作・発表・批評)とは、どこまでも褻の文芸であり、子規の改革とは連歌俳諧史における晴と褻の交替を求めたもののように感じた。とすれば、わたしは時に規模の大きい句会に参加するが、それらはどれひとつとして正式な、つまり晴の句会ではないことになる。
このあたりの理解を誤ると、近代俳句の把握ばかりか、古典俳諧についても誤診することになろう。