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雲という存在

 忙中閑ありとはどのような静けさをいうのであろうか。机辺の紙屑の山を突き崩して燃やしたり、その山に紛れ込んでいた請求書に驚いて銀行振込に出掛けたり、手紙の返事を書いている時に大学の生協から電話があって、四月からの教科書指示をしていないお詫びを言ったりしていると、臍の上あたりから〈おうい…〉とこみ上げてくる声がする。


丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる

おなじく
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平の方までゆくんか

 山村暮鳥のこの静けさは浄土だ。こんな美しい時間はどこにでもあるようで、実は一度も出逢ったことのない景色だ。八木重吉もそうだが、彼らの世界は研究などという賢しらを拒む〈存在〉そのものと言ってよい。居てくれればよい、在ってくれればそれでよい。
Commented by 椎名美知子 at 2007-02-08 11:07 x
 山村暮鳥の詩に出会い、八木重吉の詩に出会い、一瞬でもその世界にすっぽりと包んでもらえる幸せ。詩に求めているものはこれであったと思うのです。
 夕焼けの美しい今日この頃、八木重吉の詩を思い出しました。
    夕焼け
 ゆう焼をあび
 手をふり
 手をふり
 胸にちさい夢をとばし
 手をにぎりあわせてふりながら
 このゆうやけをあびていたいよ
 
 今日は丘の上でしばし豊かな時間を過ごしてみたいと思います。
大好きな詩の登場、ありがとうございました。
by bashomeeting | 2007-02-06 11:57 | Comments(1)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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