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地下室に題す

 突然ながら、三月十八日に吟行句会を催したいという提案が芭蕉会議と俳文学研究会にあった。理由は、研究会が発足して十年余、例会後の懇親や座談と場となっている団子坂のとある地階の溜まり場が、三月二十日を以て閉店するからだという。年に二三度のことながら、店の主であるS女史が研究会の会員であることに甘えて、無理を聞いてもらっている。それで、S女史に感謝し、慰労する心で「さよなら句会」をおこなうのだともいう。ボクにもこみ上げるものがないではない。
 吟行は上野公園に新しく立てられた子規句碑からはじまり、清水観音堂、不忍池の弁天堂と周辺の塚碑をめぐり横山大観記念館へ。さらに旧岩崎邸を見て無縁坂を登り、東大構内に秋櫻子の句碑を一見して三四郎池に芽吹く柳をながめ、赤門から樋口一葉の桜木の宿(法真寺)をめぐって句会を終え、懇親の会が始まったのは十六時三十分くらいであろうか。
 ― この店内は、数日後に取り壊したうえで、お借りする前の状態に戻して、家主にお返しすることになります。それまでの短い時間ではありますが、本日はみなさんとの長い御縁の記念に、壁という壁に俳句を書き込んでください。
 突然、S女史が言った。
 だが、その意味をすぐに了解した者はおそらくいなかったにちがいない。しばらくは誰もそんな大胆に挑戦する者は出てこなかった。S女史の決意と趣向を少し理解し、緊張をほぐしたのはたぶん酒の心地よさである。やがてみなが筆をとり、思い思いの句を書きつけては、しみじみと眸子をうるませた。わたしもしばらく瞑想して即興句を書きつけ、「壁に題す」という古来の伝統の陶酔とか恍惚が奈辺にあるか、「地下室に題す」という体験によって頓悟した。

  鶴林寺に題す         李渉

終日 昏々たり 酔夢の閒
忽ち春の盡くるを聞きて 強いて山に登る
竹院を過るに因りて 僧に逢うて話り
又た浮生半日の閑を得たり   (『三体詩』)

 李渉は俗事に追われて、無意味な日常を過ごしていた。ふと、今年の春もおしまいだと聞かされ、けだるい気分をむりやり奮い立たせて、山に登ってみた。竹林で囲まれた寺院に立ち寄ったところ、偶然に僧侶と出逢って語り合い、この無駄としか思えない人生の中で、少しばかりのどかな半日を過ごすことができたという。
 昨日のボクらは李渉に少し似ている。
by bashomeeting | 2007-03-19 18:16 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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