古りゆくこころ
2007年 03月 22日
― 笹鳴きがはじまったね。
こう言うと、
― 三月三日に、古里の畑で聞いたわよ。
家人が素っ気なく答えた。
古里とはわが町のやや奥まったところの地名で、彼女の郷里のことではない。彼女は、その地の農家が提供してくれている畑で、仲間と野菜作りを愉しんでいるのだ。いつ、どのような理由で古里と名付けられたのかは知らない。
本来、古里とは荒れ果てた土地、その昔に都などがあった古跡をいう。それが郷里の意となった。だから郷里とは万物流転、本質的にさびれた姿をさすものなのである。
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(貫之・古今・春上42)
この貫之の〈ふるさと〉も郷里ではなく、人の心が以前とはすっかり変わりしてしまった土地の意。人の心はあてにならないが、梅の香は昔のままだという。さびれた故郷の姿などというと、現代は産業が衰えたりした町を想像しがちであるが、実は生き死にを含めた人の心の変化を本意とするのだ。もっとも、衣食足りていなければ、すさむのはあたりまえではあるが。
今年も梅が去り、桜の季節が来ている。