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仮の世とはどこか

 会津は近代史の初めから登場します。戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い・会津北越戦争・函館戦争)ですね。これはイギリスが後ろ盾の倒幕派とフランスが後押しする諸藩連合派との内乱で、結果は大方の予想に反して、ご存じのように薩摩・長州を中心とする倒幕派が勝利し、明治新政府、つまり新しい中央集権国家が生まれます。〈新しい〉と断ったのは、中央集権国家をはじめて作り上げたのは徳川家康であるからです。
 会津は諸藩連合派でありましたから賊軍として処分されます。今日はその戦場跡を案内してもらうのだと思いますが、要するに会津の戦死者は国賊とされて、その遺体処理さえ許可されなかったという哀話を聞くことになるでしょう。それで見かねた僧がひそかに埋葬したという話に目頭を熱くすることになります。とりわけ、飯盛山の中腹で自刃した若き白虎隊の話はよく語り継がれています。
 一方、勝ち組である薩長中心の官軍の戦没者は東京招魂社に祀られます。これは明治十二年に靖国神社と改称されます。陸軍・海軍所管で軍神を作る宗教施設です。つまり天皇を現人神(アラヒトガミ)とする皇室神道の下に国家宗教の確立をめざすのですが、ご存じのように、第二次世界大戦後の神道指令によってこの国家神道は解体されています。神と教え込まれてきた天皇が人間宣言をしました。
 こういう議論があります。この国がすでに薩長の手を離れた統一国家ならば、また天皇が人の姿になってこの世に現れた神様ではなくなった以上、言葉をかえれば、主権は国民にあるという憲法が虚偽でないならば、戊辰戦争で賊軍とされた死者たちも近代国家建設の犠牲になったという意味では同じなのだから、勝ち組で命を落とした者たち同様に靖国神社に祀るべきだというのです。心情的にはよくわかります。この国の国家観がもう少し成熟していれば、そうしたことも考えられるのでしょう。しかし、もし精神が肉体を離れて生きつづけるとして、勝ち組であれ、負け組であれ、その精神は神様になることを望み、特定の神社におさまりにくるでしょうか。
  霊あらば親か妻子のもとに帰る靖国などにゐる筈はなし 市村 宏(『東遊』)
 もし仮に霊魂というものが肉体を離れても存在するものならば、死者のそれは親元か妻子のところに帰るはずである。それ以外の場所には決していない。まして靖国神社などにいるはずはないのだ、という歌をもういちど読んでおきます。会津の死者たちもきっと同じで、郷里以外のどこにも帰る気持ちはないでしょう。
  其子等に捕へられむと母が魂蛍と成りて夜を来たるらし 窪田空穂(『土を眺めて』)
 この空穂の歌が人の心に響くのも同じ理由によってでしょう。仮の世とは無常な現世のことであると教わってきましたが、あの世のことなのかもしれません。
 貴賤・都鄙・優劣・貧富・強弱などに拘わって消えることのない差別意識、現世はそういう淋しい時空ですが、自分の目をそむけぬように暮らし続けたいと思います。
by bashomeeting | 2007-09-16 04:37 | Comments(0)

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