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自分のレベル以上のことは理解できない

 芭蕉会議の例会のひとつ「論文を読む会」では、いま俳誌『まはぎ』(第1巻11号、昭5・7)所載「秋櫻子と素十―句修行漫談のつゞき―」(中田みづほ・浜口今夜)を読んでいる。

 …このたゞ讀んでもあまり面白くなさゝうな(素十の)句といふのが私の所謂、今までになかつた俳句といふのであつて、秋櫻子君に於て見らるゝ今までになかつた俳句と同じやうに、兩者に獨得なものなのである。従てしばしば、普遍性を缺くおそれはある。作者と同じやうに其のものゝ眞髄を知つて居る人々でなければ解らないおそれがある。(みづほ)

 十月七日の会でこの箇所に至ったとき、江田浩司氏が呟いた。

…作者だけのコンテクストで作品を読むのが正しい読み方、というのであれば問題があるナア。

 たしかにそうだ。〈秋櫻子・素十はそれぞれ独自な世界を持っている。それは普遍性を欠くから、作者と同じレベルの人間以外は作品を理解できない〉と言っているようにも読める。とすれば、みづほには誤解があろう。
 すぐれた作品とは、普遍性(共鳴性・一般性)を備えたものであり、それこそが駄作とは異なる独自性である。その普遍性を見誤らないために、わたくしどもは研鑚する、自分のレベルの向上をはかる、自分の持っているものを増やす努力をするのであろう。

 さて問題は、その心と言葉と姿において、秋櫻子と素十のどちらに普遍性があるかということである。
by bashomeeting | 2007-10-09 06:10 | Comments(0)

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