批評◆壊した連句と、思い出した連句を読んで
2008年 01月 21日
◆敦子:座談会ってどんなもの?ウーン、ちょっと不安だけど、先生の話おもしろいし、出てみようかって、そんなノリで今日は来ました。
◆麻実子:わたしは、なにやるのかな…、新たなロマンがあったりして…なんて、期待して来ました(笑)。
◆谷地:あいにくだったね。
◆敦子:でも、先生のブログを教えてもらったし、いいことありましたヨ。
◆麻実子:…ロマンの代わりに、懐かしい遊びを思い出しました。
◆谷地:鬼ごっこか何か…。
◆麻実子:まさか…。わたしも高校時代に、友だちと連句を壊したものに似た遊びをしていました。楽しいですよね。意味不明に思えても、実はすごく深い世界が見えてきたりネ…。こんなことをやるゼミがあったなんて知らなかった。ちょっと後悔してます。
◆希恵:参加するともっとおもしろいんだろうな。
◆由美子:そうそう、今日のお話を聞いてまず思ったのは、わたしもつくってみたいということ、ホントです。
◆麻美:前後の句がつながりを持っているのに、最初の句から通して全体を読むと、思いもよらない展開をみせている点がおもしろいよネ。
◆由美子:解釈に自分の想像力を介入させていいというのは新鮮です。
◆麻美:一見するとなんの関連もない二行、でもいつのまにか、その関連を読み取ろうとしているですね、読者は。
◆敦子:最近テレビで、リレー小説をつくる番組があるんだけど、連句は読んでいる人も参加できるところが楽しい。創造力豊かになりそうです。こんど友だちとやってみて、報告します。
◆希恵:大学の講義の多くは、学生が一方的に聞くだけのものだから、参加できる文芸という感じがいいのだと思う。それが古典への入口にだってなるかもしれないし…。
◆奈美:ウーン、与謝蕪村の特講は一年間受講したけれど、正直なところ句の内容がきちんとわかるまでにはならなかった。でももう、古典を食わず嫌いすることはないと思うよ。わからなくても、わからないなりに想像するという楽しみ方がある。連句の形を壊してみるという「卒業」という一篇も、けっしてわかりやすくはない。でもむずかしい分、考える楽しみが増えるという感じです。
◆由美子:〈連句を壊してみる〉というのは、とてもよい発想です。壊して、はじめてわかることがあるのは子どものころから経験してましたから、なおそう思うのかもしれません。
◆奈美:連句のつながりはカメラワークに似ていませんか。視点を動かしてゆくごとに、さまざまなものが見えてくる、これが連句だなと思いました。
◆本樹:僕はすこし意見が違う。連句をどう捉えるかはむずかしい。そもそも現代において、詩歌の果たす役割や意義をあまり感じない。いわんや連句においてをやです。
◆谷地:何年も韻文の講義を聴いている人の意見だけに私も考えてしまうね。
◆本樹:連句という文芸自体、ある意味で閉じられた世界。だから、単なる読み手には取っつくにくい。
◆谷地:座の文芸という言葉には、たしかに閉じられた意味もあるね。
◆本樹:でも、それではということで、今回のように五・七・五の韻律を崩してみる試みはどうだうか。僕はどちらかというと反対なんだ。
◆谷地:理由も聞きたいネ。
◆本樹:そもそも、詩歌は昔から韻律そのものじゃないでしょうか。意味はもちろん大切です。でも詩歌の詩歌らしさの一番は音楽性ですよ。日本語は西欧の言語のようには韻を踏めないと聞いたけれど、だからこそ五音・七音のリズムは排除したくない。いや、私たちには無意識のうちに、このリズムが身についているはずだ。
◆谷地:いわゆる賛成意見ばかりでなく、反対意見も聞くことができてよかった。今日はありがとう。