自分が主(あるじ)にならんといかん
2008年 08月 02日
昭和四十四年九月二十日と二十一日の二日間、筑波山の中腹にある江戸屋で「あれの会」があった。この会は昭和三十九年三月、茨城・日立の俳人長須賀包容・森田まこと・金子白葉・小川背泳子の四人が集い、〈素十先生を茨城の隱れた名所へ案内して、いい句を作ってもらいたい〉〈若い人たちが、素十先生の人柄に触れられる会を作りたい〉という思いを実らせたもので、この年でかぞえて第十一回めであった。はじめは特定の会員に限定して、周囲に吹聴しない会であったが、このころには誰でも参加申し込みのできる会にふくらんでいたという。
さて、素十は俳壇とは無縁に生きたから、その門下もそうした世の中にほとんど関心を示さない。いわゆる「自然の真と文芸上の真」以降の歴史が深まりを見せていないとすれば、それは自然派・文芸派双方の不勉強によるとも言える。自分の立場でしかモノを言わないからである。ボクらはそういう過ちを時々犯して生きているが、けっしてほめられたことではないだろう。
自然派、いわゆるホトトギス系の俳句では人間を詠めないという誤解もそれである。自然詠も人事詠も共に人間を詠んでいるという基本的なことが歪められているのだ。その歪みは、以下の素十の話ひとつを読んでも、是正できるはずである。
*** 筑波大会素十先生の挨拶 ***
今日のこの句はあまりうまくないですよ。それは、この珍しい関東の名山・筑波山であったので、みんなの心がそっちの方へひかれているんです。どうしても引かれているんですね。そういう先入主みたいなものがあって、雄峰とか女峰とか筑波山とかそういうものに心をひかれているのはよいが、そういうものに引きずり回されているような気がするんです。
心がひかれるのはいいんですが、心をひかれた後に、、その心をひかれたものの上に、自分が主(あるじ)にならなくてはいけない。ひきずられっぱなしではいけない。一度はひきずられても、すぐに立ち直って、自分がそのものに、主とならなければいけないんじゃないかと思うんです。
こんな意味で、筑波山がちょっと邪魔になる句が多かった。
自分が一句の主(あるじ)とならんといかんですよ。
―小川背泳子「茨城の素十先生⑰」、『雪』(平20.7)所収―

