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西行と「さはこの御湯」伝承

 昨年七月三日(木)の『東京新聞』に平田研二氏(ライター)による「〈ゆめぽっけ〉のんびり立ち寄り湯」という「首都圏情報」があって、飯坂温泉の鯖湖の湯が紹介されていた。ヤマトタケルゆかりで、芭蕉がこの湯に入ったことは文献ではっきりしていると断じ、加えて西行の「あかずしてるる人のすむ里はさはこのみゆる山のあなたか」(不知・拾遺・巻七)を引いている。読人不知とは必ずしも作者未詳という意味ではないから、西行作という資料や伝承があるのかもしれないが、それはなにか、『おくのほそ道鈔』以降の古注にも出てこない。それで、この新聞記事がその出典に触れてくれれば、どんなにかありがたいのにと不満に思った。ちなみに芭蕉が飯坂に泊まったことは『おくのほそ道』及び『曽良旅日記』に明らかだが、その宿や湯がどこかは厳密にはわからない。久富先生の『おくのほそ道 全訳注』(学術文庫)には、横井博著『ふくしま 奥の細道』から「芭蕉は滝の湯の湯番小屋に泊ったという口碑があり、その跡に記念碑が建立されている」という記事が紹介されている。
 ところで件の『東京新聞』に、鯖湖の湯について「じゃぶじゃぶ入るお湯ではないです。静かに入って熱くなったら上がるを何回も繰り返す…」という旅館の女将のアドバイスが紹介されていた。それで、平成十七年八月に、ちちろさんと一緒にこの湯に入ったが、熱くて二秒も湯につかっていられなかったことを思い出した。飯坂温泉で『おくのほそ道』スクーリングをおこなった二日目の夕刻の思い出である。
 
  ※附記 「あかずして」の歌のある『拾遺和歌集』巻七は物名歌の集。つまり「さはこのみゆ」を詠み込んだ歌で、『類字名所和歌集』には「陸奥」として掲出。『曽良旅日記』によれば、飯坂の湯ではなく鳴子の湯のことらしい。


  榛の花咲きて昔のまゝの村   渡辺信一
 
by bashomeeting | 2009-02-22 10:19 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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