歳時記という怠慢※
2009年 05月 29日
ここ十年ほど、『俳壇年鑑』(本阿弥書店、五月刊)に俳文学界の展望を書いている。一般の人や俳人に読んでもらえそうな連歌・俳諧・俳句関連書や研究書の紹介を目的にしているが、その序にひごろの感慨をしたためる。今年は「歳時記という怠慢」という題で、季語一辺倒で分類するのでなく、〈それぞれ何を詠んだ句なのか、という主題の自覚〉が大切で、後から来る世代のために、そうした見識による類題集に似た歳時記を作りたいと書いた。俳文学研究会の二月の句会で話した講話の要約である。
Kさんがハガキをくれた。後日のために、その一部を書き留める。
御文おもしろく一読。若者の俳句離れは知らず、盛況そのものとばかり思っておりました。さて御見識にいろいろ学びましたが、少々異見もあります。分類や部立はあくまでも索引の役目止まり。文の内容・本質にかかわる部立をなそうとすれば、それこそなかなか統一的な見解は成立しない。結果、形式的にならざるを得ず、鑑賞や批評や本質論はその先の個々人の営為に委ねられるべきものと愚考いたしますが、いかがでしょうか。