ほととぎす
2009年 06月 05日
この哀しげな声をはじめて聞いたのは高尾の峠である。紅花先生のもとに春雪会という小さな句会をつくって、年に何度か泊まりがけで吟行にでかけた。高尾にはその仲間の一人が住んでいた。句会を通して接する自然はなにもかもが新鮮であった。
ホトトギスの姿を見たのは山古志村である。これも年に一度の大きな句会で出かけた際のことである。人を恐れるふうはなく、山道の脇の木の枝にとまって啼いていた。伸ばせば手が届きそうであった。『枕草子』の中に忍び込んだような感動をおぼえた。
東京の暮らしを引き払って、八年ほど稲敷郡に住んだ。初めての専任教師暮らしであった。引き払って棲みついてしまえ、と勧めたのは紅花先生であった。不安な一人暮らしであったが、茨城の俳人がぽつりぽつりと訪ねてくれて、いつしかその人たちの句会に出かけるようになっていた。ボクが高校教師になって赴任したことを、紅花先生からの手紙で知った人たちであった。だから、大学に戻ることになって、その住居を引き払うときは万感胸に迫るものがあった。それを如実に語るすべはたぶん見つからないであろう。
住み捨つる覚悟ほととぎすを待てる 海 紅
