昨日はかげろう金曜会で、天和二年(一六八二)の芭蕉について話す。高山麋塒宛書簡に、句作で避けるべき事柄のひとつとして、「一、俗語の遣ひやう風流なくて、また古風にまぎれ候事」とある。これはのちに「俗語を正す」とか「高悟帰俗」という言葉で説き続けた心掛けに同じである。帰宅して気がついた。夏目成美にも「俗語鄙言なるも、もとつ風雅の心よりなし出ださば、人の心にも徹底して、鬼神を泣かしむべき此処なり」(俳諧小言十則)とある。「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」(貫之・古今・仮名序)を踏まえていることはいうまでもない。成美は四時観派、すなわち大坂で最晩年の芭蕉に接し、元禄十五年(一七〇二)に東下して其角門に入るが、正徳元年(一七一一)には隅田川の庵崎に有無庵を営み、以後漂泊と庵住に生涯を送った祇空の系譜に学んでいる。