六月十二日(金)、東洋大学エクステンション講座「坂口安吾と現代」の三番手として、「安吾の第二芸術論」という題で話した。いつか、その内容をまとめる時間を捻出しなければならないが、中で〈明治以降の日本に西欧詩が入って以後、それを学んだ日本の詩人たちの詩にやたらと「あゝ」「嗚呼」「oh」がふえて滑稽なほどだ。俳句とはこの「あゝ」を十七音にひらいた詩の歴史である。これがわからない散文的な人は俳人でもないし、俳句を理解できる人でもない。句作体験なしで、こんな日本文化批判は無謀だから、彼の知性や時代から見て、桑原武夫にも句作体験はあったのだろうが、もしそうだとしても、桑原の俳句はおそろしくへたくそであったにちがいない〉という話をした。
数日後に高柳さんから句集『未踏』(六月刊、ふらんす堂)を贈られた。なかに、「雪降るや何かと嗚呼の明治の詩」というのがあって、ニヤリとした。もっともこの句は、直接には草田男の「明治は遠くなりにけり」を仕込んでいるのだろうが。
ゆふざくら膝をくづしてくれぬひと 高柳克弘