人気ブログランキング |

海紅山房日誌

kaicoh.exblog.jp

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。

2008年 07月 31日 ( 2 )

独り善がりは醜悪である

  いま、五月末投句締め切り分の「わくわく題詠鳩の会」の会報を作っている。この会は奇数月の末日が投句の締め切り日、つまり今日がその日なのだ。じきに次の句稿が押し寄せる。尻に火がついたとはこのことだ。
 巻頭には「てにはは公界(くがい)ものなり」(幽斎述、烏丸光広記・耳底記)をとりあげた。前号の「ことばが光を放つとき」と、いくらかの脈絡があると思ったし、七月十二日(土)の俳文学研究会のミニ講話のテーマが「音便」についてで、十九日(土)の俳文学会東京研究例会(於早大)の「第13回 テーマ研究(公開)」が「俳諧・俳句と文法」と題して、片山由美子氏(俳人)・林義雄氏(専修大教授)を迎えたりしているので、ちょっとした文法月間になると思ったからだ。
 さて、「てにはは公界ものなり」という細川幽斎の話は、「てには」つまり、助詞・助動詞・接尾語・用言の活用語尾等の規則は社会的なきまりなのだから、自分流に用いてはいけない、という意味。公界は公的な場、世間の意。ちなみに(いまさら聞けないという人のために書けば)接尾語とは語の末尾に付けて意味を加え、品詞を変える語〈閑かさ〉の〈さ〉、〈僕ら〉の〈ら〉など、用言とは動詞・形容詞・形容動詞ことである。もっとも、例外とか秘伝・口伝とかがある世界のことだから、杓子定規には言えないのだけれど、自分流という世界が妙に受け入れられる時代だからあえて言う。独り善がりは醜悪である。
by bashomeeting | 2008-07-31 13:05 | Comments(0)

ことばが光を放つとき

 「わくわく題詠鳩の会」の会報では、巻頭に先人の名言を掲げて、句作の刺激にしてもらっている。三十五号で「詞にて心を詠まむとすると、心のままに詞のにほひゆくとは、変はれるところあるにこそ」(為兼・為兼卿和歌抄)という一節を示したところ、多少の反響があったので、この日誌にも保存することにした。京極為兼は、〈美しいことばに頼って感動を歌にしようとするのと、感動を詠むにつれて、ことばが美しい光を放つのとは、別である。ことばは感動によって光を放つ〉と説いているように思う。芭蕉の教えに似ている気がする。思えば出るよ、というボクのくちぐせにも似ているように思う。
by bashomeeting | 2008-07-31 12:08 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


by bashomeeting