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海紅山房日誌

kaicoh.exblog.jp

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。

2012年 05月 11日 ( 1 )

新人類の芭蕉研究

卒業論文作成をめざす四年生との懇談で、論文題目を話題にすると、北村透谷にとって芭蕉とはどのような存在であったかとか、芥川龍之介が理解した芭蕉像などと言い出す学生が出始めている。かつてほとんどなかったこの傾向には、長い時間をかけて培われた国文学という概念の老化と入れ替わって、比較文学という概念からの影響が見てとれる。だが「芭蕉とは何者か」という問いも、突き詰めれば「芭蕉はどのように語られたか」ということだから、理論的には受け入れられてよい題目ではあろう。

芭蕉没後の享保期に「芭蕉発句はよき句もあれどうすし…」(沾徳随筆)として其角評価に及び、その流行から蕪村が誕生したり、一方で『沾徳随筆』いうところの〈薄きところ〉を以て江戸に芭蕉再評価が起こり、また美濃派の地方経営にが成功したりする。とこうして芭蕉に対する鑽仰と信仰が入りまじって、芭蕉翁の教祖化・偶像化が進み、俳句はカルチャー化して幕末へと向かう。

このような近世俳諧史研究と、以下のような近現代の芭蕉その他の俳諧受容にそれほど径庭のないことを再確認すべきかもしれない。すなわち、明治時代の芭蕉崇敬を北村透谷がどのように見て俳句を詠んでいたか、「芭蕉の俳句は過半悪句駄句…」(芭蕉雑談)という子規の判断の根拠は何か、二葉亭四迷の芭蕉評価が依拠する知識、内田魯庵の芭蕉評伝の検証、翻案の多い島崎藤村の作品にみる芭蕉や蕪村の追究、象徴詩人という蒲原有明の自画像を支える芭蕉像、それに継ぐ三木露風のフランス象徴詩研究に見る芭蕉・蕪村受容、芥川龍之介の「枯野抄」と「芭蕉雑記」「続芭蕉雑記」などの問題、室生犀星の『芭蕉襍記』、小野十三郎「奥の細道」や村野四郎「芭蕉のモチーフ」、また中山義秀『芭蕉庵桃青』ほか保田与重郎の芭蕉への言及などである。

  新茶出て古茶となるなり自ら   素十
by bashomeeting | 2012-05-11 11:18 | Comments(0)

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