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    <title>海紅山房日誌</title>
    <link>http://kaicoh.exblog.jp</link>
    <description>芭蕉会議の谷地海紅（快一）のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。</description>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
    <dc:rights>2026</dc:rights>
    <pubDate>Thu, 15 Jan 2026 08:11:03 +0900</pubDate>
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      <title>海紅山房日誌</title>
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      <title>2026年賀</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30832409/</link>
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      <description><![CDATA[<br />
あけましておめでとうございます<br />
<br />
便りまづクルーズ船の初日の出  海紅<br />
<br />
　　　2026年丙午　歳旦<br />
<br />
【注】2025年12月15日(月)に出港し、2026年3月31日(火)に帰港というプランで、クルーズ船の一人旅に出ている友人がいます。通計107日間の航海と思うと、ただならぬ決意を思わせますが、無事な帰りを祈るように言われただけで、詳細を聞いているわけではありません。元日の4時13分、LINEで初日の出の画像が届きました。そこで、歳旦句としては舌足らずですが、今年はその画像に手をあわせて一句とし、旅の安全を祈ることにしました。<br />
<br />
【附記】歳旦句は今まで元日に掲載してきましたが、ブログの勝手が従来とやや異なり、試行錯誤の末に二週間遅れの挨拶となりましたことを申し添えます。本年が地球上のどなたにもよい年でありますよう、お祈りいたします。]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 14 Jan 2026 15:55:14 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-01-14T15:55:14+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>蓮見光春氏の日展特選を祝して（畢）</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30804955/</link>
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      <description><![CDATA[【附記】<br />
　李白の楽府「枯魚過河泣」の出典は『李白詩全集』（卷五）という点まではたどり着いたが確認はしていない。漢学の素養が足りない私にはなかなか難解な作であった。卑近に言い替えれば、「後悔先に立たず」とか、「覆水盆に返らず」に近いかなというのが最初の感想。それを身分の高い人の身の上において説かれた人生訓なのであろう。軽率を慎まねばと思いつつ、このたびの学習を終える。<br />
　最後に、このたびの学習でメモをとった言葉の略注を付け加えておく。<br />
<br />
①【予且之患（ヨショノクワン）】貴人がお忍びで不幸な出来事に遭うこと。「予且」は李白詩（第三句）に出る「豫且」。魚に変じた白龍を捕らえた漁師。<br />
②【白龍魚服（ハクリョウギョフク）】意味は「予且之患」に同じ。「白龍」は造物主の使者で空を飛ぶという想像上の動物（中国故事・説話集『説苑（ぜいゑん）』による）。「魚服」は日本では矢を入れて腰に下げる箙（えびら）だが、中国ではみすぼらしい服装をいうらしい。<br />
③【常服（ジャウフク）】日常に着る衣服。ここは白龍の衣装をみすぼらしい魚服に着替えたと読んだ。<br />
④【鯨鯢（ゲイゲイ）】鯨のオスとメス。<br />
⑤【螻蟻（ラフギ）】昆虫のケラとアリ。つまらないものの譬えに用いる。<br />
⑥【噬（ゼイ）】噛むこと。<br />
⑦【万乗（バンジョウ）】一万台の兵車。ここは、それほどの戦力を有したことから天子（天の命により万民を統べる者）。<br />
⑧【柏人以爲誡（ハクジンモッテイマシメトナス）】「柏人」は地名（河北省）らしい。〈その地における故事を教訓とせよ〉ほどの意か。皇帝が側近の忠告をきかずに柏人の地に行幸して、危険な目にあったという故事がある由。]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 29 Nov 2025 16:20:56 +0900</pubDate>
      <dc:date>2025-11-29T16:20:56+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>蓮見光春氏の日展特選を祝して（解題・訓読・大意）</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30804814/</link>
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      <description><![CDATA[【解題】<br />
　詩題「枯魚過河泣」は古楽府に見える五言四句から成る民間歌謡の第一句で、「枯魚、河を過ぎて泣く」と訓ず。「枯魚（コギヨ）」は干した魚で、内容は〈漁師に釣り上げられて干物になった魚が、かつて泳ぎまわった河を過ぎる際に、自分の不注意から漁師の手に落ちたことを悔いて〉、仲間に〈行動には細心の注意が必要である〉ことを説く。李白の詩題「枯魚過河泣」はみずからこの歌謡の翻案であることを示したものと思われる。<br />
<br />
【訓読】<br />
　枯魚、河を過ぎて泣く<br />
白龍常服を改め、偶豫且の制を被る。誰か爾をして魚と為ら使めん。徒に労して天帝に訴へ、書を作して鯨鯢に報ず。風濤の勢ひを恃む勿かれ、濤落つれば泥沙に帰し、翻りて螻蟻の噬に遭ふ、万乗出入を慎み、柏人以て誡めと為す。<br />
<br />
 【大意】<br />
　白龍は造化（宇宙の創造主）の使者。その白龍があろう事か龍の衣を脱ぎ捨て（魚の衣を身につけて泳ぎまわった）。そして、たまたま予且という漁師の手にかかり、捕らえられてしまった。それは不運だが、魚になることは自分が望んだのであり、自業自得といってよい。ゆえに、干魚（もと白龍）は主であった造化にすがったり、文書を以て鯨に訴えたが、聞き入れられなかった。思うに、人は大風や大波に譬えられる時勢なるものに依存してはいけない。一時的に大波や大風の助けを得ても、どのみち勢いを失って泥砂に混じり、虫けらの餌食になるのが落ちなのだから。万乗、すなわち帝王といえども行動を慎み、用心深くあったという、あの柏人城（河北省）の地における故事を教訓とせよ。]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 29 Nov 2025 11:48:16 +0900</pubDate>
      <dc:date>2025-11-29T11:48:16+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>蓮見光春氏の日展特選を祝して（釈文）</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30801381/</link>
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      <description><![CDATA[　11月20日(木)、第118回日展を見に国立新美術館（六本木）に出掛けた。「35年ぶり日展特選に驚き」（『読売新聞』11月19日）と評された蓮見光春氏の書が目的であった。氏は三十代ですでに一回目の受賞を果たしている逸材だが、大学に職を得て以降は書道界とは距離を置かざるを得なかったか。私はその職場の同僚教員として親しくさせていただいて、今は共に退職後を丁寧に暮らす日々を送っている。むろん書風に言及する力はないのだが、何を書かれたのかに関心があって足を運んだのである。<br />
　作品は李白の「枯魚過河泣」という古楽府であった。「枯魚、河を過ぎて泣く」と訓ずるようであるが、私が虎の巻にしている漢詩大系8『李白』（集英社・S40）に見当たらない。ひとまず釈文を掲げて、その後に時間をかけて滋養にしてゆこうと思う。<br />
<br />
【釈文】<br />
<br />
<br />
枯魚過河泣<br />
<br />
<br />
白龍改常服<br />
偶被豫且制<br />
誰使爾爲魚<br />
徒勞訴天帝<br />
作書報鯨鯢<br />
勿恃風濤勢<br />
濤落歸泥沙<br />
翻遭螻蟻噬<br />
萬乘慎出入<br />
柏人以爲誡<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 24 Nov 2025 17:06:58 +0900</pubDate>
      <dc:date>2025-11-24T17:06:58+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>終戦記念日◆霊あらば親か妻子のもとに帰る靖国などにゐる筈はなし 市村　宏(『東遊』)</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30734618/</link>
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      <description><![CDATA[　久しぶりに民度（集団の成熟度）という言葉を思い出した。移民によって建国の基礎を築いたはずの国で、みずからも移民の血をひく権力者が「○○ファースト」を唱えて移民を排除すると、なぜか他国に伝播して政党（政治家）が真似するところとなり、流行語の様相を呈したからだ。<br />
　このレベルでは「安らかに眠って下さい　過ちは繰返しませぬから」（広島平和都市記念碑）という悲願の先はおぼつかない。こうした人々を避けて暮らしてゆくには、どうすればよいであろうか。]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 15 Aug 2025 09:54:17 +0900</pubDate>
      <dc:date>2025-08-15T09:54:17+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>最後の二人旅（其４）◆たしなみ俳句会会報（No.120）より転載 </title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30581127/</link>
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      <description><![CDATA[　時雨ということばを御存じであろう。奈良（平城京）や京都（平安京）など山に近い地域で、にわかに降ったりやんだりする初冬（神無月。陰暦十月）の小雨。すでに平安時代に初冬の天象として扱われているが、その認識は「神無月降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬の始めなりける」（読人しらず・後撰集・冬）という和歌がもたらした。歌意は〈十月の雨、つまり、にわかに降ったりやんだりして、はっきりしない時雨が冬の始まりだったのだ〉となる。<br />
　この時雨は現世を生きる苦痛と対比させた「世にふるは苦しきものを真木の屋にやすくも過ぐる初時雨かな」（二条院讃岐・新古今・冬）を本歌とする「世にふるもさらに時雨の宿りかな」（宗祇・老葉）によって、〈あっけない人生〉の比喩となり、「世にふるもさらに宗祇の宿りかな」（芭蕉・虚栗）という賛同者を得た。<br />
　わが師も最後の二人旅の数年後に、「身の上にただ一時雨ありしのみ」（紅花・葛）と詠んで、学者と俳人の生涯を振り返っている。<br />
<br />
<br />
　　古びたる虚子短冊に初明かり　　　海紅<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 19 Jan 2025 21:20:53 +0900</pubDate>
      <dc:date>2025-01-19T21:20:53+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>2025年賀</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30567840/</link>
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      <description><![CDATA[あけましておめでとうございます<br />
<br />
<br />
  ね ぎ ご と に 動 く 唇 初 詣 　 海紅<br />
<br />
<br />
　　2025年乙巳    歳旦<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 02 Jan 2025 14:33:52 +0900</pubDate>
      <dc:date>2025-01-02T14:33:52+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>最後の二人旅（其３）◆たしなみ俳句会会報（No.119）より転載</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30557296/</link>
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      <description><![CDATA[　先に「芭蕉と曽良は迷うことなく松島から石巻へと向かっている」と書いたが、実は矢本新田（東松島市）で喉が渇いて湯茶を乞うも、どの家からも拒まれ、今野源太左衛門という武士のはからいで、その知人宅へ立ち戻って喉を潤し、石巻の宿まで紹介されて一宿という一幕はあった。<br />
<br />
　宿の主の名は四兵衛という。先生と私はこの四兵衛の末裔をすでに探しあてて面識もあり、菩提寺で過去帳の調査も済ませ、日和山を初めとする芭蕉の見た石巻をほぼ踏査していた。そこで翌日は二人で石巻を出立し、芭蕉の足跡にしたがって登米へと足を延ばす予定であった。<br />
<br />
　翌朝、石巻駅前に出てタクシーに相談すると、総額一万六千円で、どこまでも、何時まででも案内するという。そこで旧北上川の西沿いを鹿又（石巻市）、柳津（登米市）、飯野川（桃生郡河北町）と車を走らせて登米に到達。江戸の匂う武家屋敷と明治の洋風建築が併存する不思議な町を歩きまわった。<br />
　それは先生の老いを目撃しはじめる、淋しい時間のはじまりとなった。<br />
<br />
　　ムササビを寝覚めの友に峡の宿　　　　海 紅]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 22 Dec 2024 17:24:05 +0900</pubDate>
      <dc:date>2024-12-22T17:24:05+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>最後の二人旅（其２）◆たしなみ俳句会会報（No.118）より転載</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30534477/</link>
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      <description><![CDATA[　芭蕉の『おくのほそ道』は風雅、つまり俳諧の美的境地を追求する紀行とされているが、その裏に内偵に似た実務が隠されていると先生は考えていた。ボクらが「それは無理だと思います」と首をかしげても、「私は本気なのだがなあ」と不満そうだった。周囲に、斎藤栄『奥の細道殺人事件』のモデルは先生である、という噂が流れたことには理由があったのである。<br />
<br />
　実際の旅、つまり『曽良旅日記』の中で、芭蕉と曽良は迷うことなく松島から石巻へと向かっているのに、『おくのほそ道』では、途中で「道ふみたがえて」石巻に出て、そこで一泊して北上し、さらに登米（とよま）に一宿して平泉にたどり着いたと書いている。先生によれば〈道を間違えて、石巻という港に出た〉というのは作りごとで、日本海側の酒田と並んで、東北二大貿易港であった石巻を調査する目的を隠すために、「道ふみたがえて」の一節が加えられたというのである。私はそのあたりの謎を探る旅に同道したのであった。<br />
<br />
　　人道といふ言葉このごろうそ寒し　 海 紅]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 23 Nov 2024 16:51:50 +0900</pubDate>
      <dc:date>2024-11-23T16:51:50+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>最後の二人旅◆たしなみ俳句会会報（No.116）より転載</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30468343/</link>
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      <description><![CDATA[　その日は、いつも待ち合わせ場所にしている私の研究室に先生は来なかった。電話も通じないまま、二時間ほど待つうちに不吉な思いが募り、山手線と私鉄を乗り継いで先生の御自宅を訪ねたが、施錠されて人の気配がない。家の中を確かめたいと最寄りの警察に相談したが、家族の承諾がなければ鍵を壊して入ることはできないといわれ、やむなく研究室に戻って放心の態でいたところに先生からの電話が入った。予約していた石巻のホテルに一人でいるといって、待ち合わせを反古にしたことを詫びた。私はすぐに飛び出し、上野から新幹線で宮城へと向かう。今思えばこれが最後の二人旅であった。<br />
<br />
    夕月や父母亡き今もわが生家　　　海紅<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 24 Sep 2024 16:54:49 +0900</pubDate>
      <dc:date>2024-09-24T16:54:49+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>思い出す人がいるかぎり◆たしなみ俳句会会報（No.115）より転載</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30319544/</link>
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      <description><![CDATA[  　私を俳文学研究者の端くれに育ててくれた研究会の名は俳文芸研究会という。その月例会を私の研究室で引き受けた期間はちょうど二十年になる。正式には解散した研究会ゆえ、「俳文芸その後」とでも呼ぶべき時代であった。<br />
　旧来のメンバー有志に若手研究者も加えて、すでに終えている輪講の原稿化を軸にしたが、タガが弛んで座談は俳文学全般や思い出話に花がさく。こうして、恩師と呼ぶべき先生方に、月に一度の茶飲み話の場を用意出来たことを、私はささやかな恩返しであったと思い出している。思い出す者がいるかぎり、先生方は生きているのだと信じつつ。<br />
<br />
<br />
　　どことなく淋しき留守居籠枕　　   海 紅<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 17 Aug 2024 12:22:01 +0900</pubDate>
      <dc:date>2024-08-17T12:22:01+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>その翌朝に◆霊あらば親か妻子のもとに帰る靖国などにゐる筈はなし 市村　宏(『東遊』)</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30318053/</link>
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      <description><![CDATA[わたしが一番きれいだったとき             　 茨木のり子<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
街々はがらがら崩れていって<br />
とんでもないところから<br />
青空なんかが見えたりした<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
まわりの人達が沢山死んだ<br />
工場で　海で　名もない島で<br />
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった<br />
男たちは挙手の礼しか知らなくて<br />
きれいな眼差だけを残し皆発っていった<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
わたしの頭はからっぽで<br />
わたしの心はかたくなで<br />
手足ばかりが栗色に光った<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
わたしの国は戦争で負けた<br />
そんな馬鹿なことってあるものか<br />
ブラウスの腕をまくり卑屈な街をのし歩いた<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
ラジオからはジャズが溢れた<br />
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら<br />
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった<br />
<br />
わたしが一番きれいだったとき<br />
わたしはとてもふしあわせ<br />
わたしはとてもとんちんかん<br />
わたしはめっぽうさびしかった<br />
<br />
だから決めた　できれば長生きすることに<br />
年とってから凄く美しい絵を描いた<br />
フランスのルオー爺さんのように<br />
　　　　　　　　　　　　　　ね　　　　　　―『茨木のり子詩集』―]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 16 Aug 2024 11:33:32 +0900</pubDate>
      <dc:date>2024-08-16T11:33:32+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>俳人として大切なこと◆たしなみ俳句会会報（No.114）より転載</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30291518/</link>
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      <description><![CDATA[　私を俳文学研究者の端くれに育ててくれた月例の研究会は代表のＩ先生の研究室（お茶の水女子大・文京区大塚）で行われ、年二回の機関誌を発行していたが、平成六年（一九九四）十二月で終刊。これで公式な歴史は閉じたけれど、Ｈ先生の「月例会は君の研究室で続けるから」というお達しにより、Ｉ先生長逝後の平成十一年（一九九九）一月から私の研究室をその会場とし、定年まで続けた。それは恩義のある先生方をお一人ずつ野辺送りする歴史で、同時に私自身の来し方行く末を考える時間であった。<br />
　紅花（村松友次）先生に〈研究者も俳人も捨てずに済む「芭蕉会議」という会を作って、そこを居場所にしたい〉と申し上げ、了解を得たのはそのころである。<br />
「芭蕉会議」では芭蕉の言説に従って、以下の三点を理念に掲げ、蕪村らが採用していた衆議判に似た、互選という方法の大切さを説き続けている。<br />
<br />
　第一に〈俳句より私生活を優先すること〉<br />
　第二に〈俳句会では何より再会をよろこびあうこと〉<br />
　第三に〈俳句会ではよい読者を目指すこと〉<br />
<br />
　　滴りにバケツ据ゑたるソロキャンプ　海 紅]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 18 Jul 2024 21:55:23 +0900</pubDate>
      <dc:date>2024-07-18T21:55:23+09:00</dc:date>
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      <title>マイノリティの道をゆく◆たしなみ俳句会会報（No.113）より転載</title>
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      <description><![CDATA[    　結果として終生師事した紅花先生は短期大学所属で、私の在籍する大学院に講座はなかったけれど、俳文学会や関連の月例会、有志の学者で構成される研究会に加えて、虚子や素十系の俳句会へと導いてくれた。そこでわかったことは、私がマイノリティであること。つまり〈研究者に似て、俳人〉、言い替えれば〈俳人に似て、研究者〉という不徹底な輩に見えることだった。ために、このごろ旧交を温めることになった俳人から、「君は紅花先生を継がなかったのだね」と言われたりする。その際には少し考えて、「いや、継いでいるつもりです」と答えることにしている。無論、師匠のようにはゆかないのだけれど。<br />
    　この「たしなみ俳句会」は東日本大震災後に、「市民の渇を癒やしたい」という地元の要請から生まれた。「松尾芭蕉の講座」を経て、その受講者に「俳句をたしなむ喜び」を説けということだった。傲慢とは思いながら、〈俳人とも、研究者ともつかない〉私にお似合いの御縁であった。<br />
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    　　安寧を知らする枇杷の皮を剥く　　　　海 紅　<br />
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]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 21 Jun 2024 10:59:49 +0900</pubDate>
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      <title>俳句誌の様態と相性◆たしなみ俳句会会報（No.112）より転載</title>
      <link>http://kaicoh.exblog.jp/30211168/</link>
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      <description><![CDATA[　スポーツの一部に遊びを起源とするものがあるように、俳句の始まりも和歌や連歌から解放された遊戯であった。しかし、それを享受する者が増えて、競い合う段階に進むと、審判や判定する基準が必要になり、それを職業とする俳諧師が生まれた。<br />
　芭蕉はこの俳諧師をめざして伊賀から新興都市江戸へ下る。二十九歳だった。郷里でほどほどの名望があった彼は希望通り俳諧師（職業俳人）となるが、やがて点取俳諧（俳諧師が批評した評点の多寡を競う文芸）に違和感を覚えて俳壇を離脱し、旅を日常とする人生へと舵を切る。<br />
　我が師、村松友次（紅花）は明治の『ホトトギス』に始まる俳句誌の様態（月例のコンテスト）は、芭蕉が嫌悪した点取俳諧を継承するものだと言っていた。『ホトトギス』で育って、芭蕉学者であった先生はその矛盾を誠実に生きたが、私は先生との話し合いを経て、ある時期に俳誌への出句（投句）をやめた。それが芭蕉に、あるいは先生の教えに従うことであると考えたのである。<br />
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　　啄木忌われに新聞少年期　　海 紅<br />
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]]></description>
      <dc:subject>未分類</dc:subject>
      <dc:creator>bashomeeting</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 20 May 2024 14:06:20 +0900</pubDate>
      <dc:date>2024-05-20T14:06:20+09:00</dc:date>
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