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清見寺の芭蕉句碑検証

快一:東海道を歩いて来たんだって。
海紅:卒業生に誘われてね。由比の「東海道広重美術館」がすばらしかった。ああいう本物を見て戻ると、誰がこんな東京にしちまったんだ、江戸の景観を返せって、告発でもしたくなる。
快一:やめなヨ。目をつむればすむことだ。
海紅:興津の清見寺にも立ち寄った。名勝という庭園の石橋が芭蕉句碑だというのでね。
快一:どんな句なの。
海紅:森川昭著『東海道五十三次ハンドブック』に「東西あはれさひとつ秋の風」とあり、『東海道名所図会』では「清見寺にて/西ひがしあはれさ同じ秋の風 はせを」だ。「東西」「西東」、「ひとつ」「同じ」の違いがある。寺にある句碑の写真を見ると、名所図会の形が正しいようにも見える。
快一:碑文は読まなかったの。
海紅:今は石橋の裏面になっていて、読もうにも読めないんだ。さっきあげた森川先生の本によれば〈このさびしい句のために宿場がさびれたとて、裏返して橋にした〉という言い伝えがあるらしい。
快一:すごいね、芭蕉の句には町を寂れさせる力があったというわけだ。
海紅:そうかもしれないが、実は市販の芭蕉句集類を見ても、意味がよくわからない。
快一:無理ないよ。この句は去来の『伊勢紀行』(貞享3)に与えた、三百字あまりの前書と一体の句文であって、十七音で成立している発句じゃない。芭蕉全集類に前書なしで出すこと自体が不見識なんだ。その結果、解釈を誤る。
海紅:どんな前書なの。
快一:〈言葉、心ともに拙い人の多い中で、去来という人は其角(芭蕉の高弟)と交流を深めて風雅の道をきわめた。そして、このたび妹を連れて秋風の京都白川口を発って、伊勢参宮を果たすまでの道の記を『伊勢紀行』としてまとめ、深川の芭蕉庵に送ってきた。私は三度読んで、その風雅の心のゆたかなことを確信した〉といった内容だよ。句意はこの前書を踏まえるので、〈私とあなたは江戸(東)と上方(西)とに分かれて暮らしているが、秋風にあわれを感じるという風雅の心で一つに繋っているのです〉というところだろうね。去来を門弟として認知する内容と見てまちがいない。
海紅:じゃあ『東海道名所図会』にある、清見寺で詠まれたという前書は誤りか。
快一:そうね。『伊勢紀行』に従って、句と文章とでひとつの作品と認定して読まねばいけない。つまり句の成案は「東にしあはれさひとつ秋の風」。もちろん、この句によって宿場が寂れた、というのも言い掛かりの類だね。残念ながら、芭蕉のこの句にそんな霊力はない。誤伝と知って困った挙句、附会された話かもしれない。伝承とはおもしろいね。
海紅:その句文の全体は、どこで読めるのだろうか。
快一:『去来先生全集』(落柿舎保存会、昭和57)がいい。
by bashomeeting | 2006-08-28 22:50 | Comments(0)
 帰省中にたくさん蜻蛉を見たので、帰宅後、季節ごとにE-mailに刷り込んでいる句を「とんぼうの宙に残りて覚束な」に差し替えたところ、I君が蜻蛉の竹民芸品を贈ってくれた。〈…メール末尾の句を読んだら、これを見せたくなったので〉とあった。釣り合い人形、つまり弥次郎兵衛の一種で、木の枝にとまった二匹が、机上に届くわずかな秋風にも揺れて見せる。〈これを見ていると、重心とか、バランスの大切さを思う〉ともあった。

 三月に卒業された根本文子さんが、卒業論文を自費製本されて、一冊贈ってくださった。『芭蕉発句研究―花の季題をめぐって―』である。芭蕉の句の新しさを、どこに見届けるべきかという問題を、縦題の考察によって明らかにしたもの。書き添えられた〈母に見せ、父にも供え、弟と妹に渡したい〉の一言が、この人の向学心をよくあらわしている。

   せむとして成し得し今日のよろこびにわが勤しみは酬はれにけり(空穂・冬木原)

 今日と明日は卒業生と箱根から由比・興津あたりに遊ぶ。
by bashomeeting | 2006-08-26 06:05 | Comments(0)

新しき故郷

 郷里には、移動日を含めて四日滞在して、二十日に帰宅した。

 北海道とは思えぬほどの残暑であった。到着した日の夜は、このたび入会を許された「芦別ペンクラブ」の例会に出席、父も母も他界して、郷里との縁が薄れゆくことをさびしく感じていたが、ここにひとつの絆ができた。新しき故郷であった。翌日からは、姉や妹一族との再会を果たし、母の納骨を済ませ、子供を水泳につれて行ったり、私の卒業した小学校のグランドで息子や娘とキャッチボールなどもした。また、生家の草取りもすこしした。

 郷里を離れる日は「星の降る里百年記念館」に立ち寄って、「特別展 歌人の書棚〈西村一平コレクション展〉」を見た。この企画の一切を担う学芸員の長谷山隆博氏に誘われていたからだ。前庭の芝刈りをしていた長谷山氏に〈学芸員さんは草取りもするのですか…〉と話しかけると、〈外は涼しいですから…〉と笑いながら迎えてくれた。氏は「芦別ペンクラブ」の中心人物で、入会に際してはあれこれ懇情を賜った。

 西村一平とは、私が毎日のように立ち読みに通っていた、六花書房という書店の主である。立ち読みを咎められたことはない。いつも入口左のレジで、ものしずかに何かを読んでいる人であった。夢に三島由紀夫さんが現れて、赤シャツという店でコーヒーを飲み、一緒に出かけた書店でもある。六花とは雪の異称。その六花書房も赤シャツも今はない。

 一平氏が与謝野寛・晶子に師事する明星派の歌人で、寛に〈いにしへの啄木、今の一平〉と愛されていたことは聞いていた。しかし、私にはまれに書物の代金を払う書店の主でしかなく、むろん文学の話などしたことはない。当時の私は貧しい家具建具製作所の息子で、立ち読みの常習者にすぎなかった。長谷山氏は葛西善蔵資料を含む常設展を含め、最後までお付き合いくださった。私はこの人との縁に胸を熱くして郷里を後にした。

こゝろなく寄りくる波とおもはれずくづるゝ時のひたむきを見よ 一平
by bashomeeting | 2006-08-24 07:58 | Comments(0)

旅立ち


 濱田惟代さんから、宗左近先生追慕の句が朝日俳壇に入選したという知らせが入った。
   宗先生母御に会ふや星月夜
 八月の今にふさわしい調べだ。

 安居正浩さんから、江田浩司さんの歌集『ピュシス ピュシス』が、やはり朝日新聞の風信欄に紹介されているという一報もあり。旅の荷物にこれを加えることにした。たまたま開いた頁から一首、
   書かれざる一行に向け旅立てり 柩を叩き止まざる驟雨

 四時、これより出発。美しい星が出ている。

 鳩の会の会報作成等、帰宅後の仕事に残し置く。
by bashomeeting | 2006-08-15 04:53 | Comments(0)

前書論の指針

 時間はいつも不足している。夏期休暇に入ったはずなのだが、知らない人々の書いた二百数十編の作文を読んだり、溜まっているレポートの添削や、雑誌の編集に関わったりしているうちに、十日ほどが過ぎてしまった。それらのすべては、私の自由を生贄にしてよいほどの仕事ではない。つまり私は私らしい十日を生きていない、なすべきことをなにもしていない…。明後日には船で北海道にわたり、母の納骨をするのだが、墓にはまずそれを詫びねばなるまい。そして、自分自身の主人であり続けるための力を得て帰ってくること。

 八月五日の清澄庭園はよかった。江東区芭蕉記念館を会場に、仲間の句会があって出かけたのだが、立秋を目前に、夜は秋の気配を強めているのに、日中は閉口するほどの炎天で、常識では他出を憚かるところだろうが、そこは脱日常を本意とする吟行句会ゆえ、日盛りに抱かれる覚悟、その甲斐あって、つくばいに喉を潤す雀らに親しみ、鴉と緑蔭を分け合い、浴衣姿の乙女らにしみじみとした時をすごした。

 この季節は亡き人を思い起こし、戦争の惨状を記憶し直す時間でもあって、句会では史実を主題とする佳句も少なくなかった。だが、歴史的な事柄を過不足なく十七音に詠いあげることは難しく、前書をつけることの是非が話題になった。俳句は五・七・五音で自立した一篇の詩でなければならぬ、という信仰が近代以降にあって、意見がわかれたのである。その際の議論をさらに深める機会がくることを期待して、昨夜一気に七枚ほどの原稿「前書論の指針」を書いて、通信教育部の機関誌に送った。句会の場で、問題提起してくれたKさんに感謝したい。
by bashomeeting | 2006-08-13 15:57 | Comments(0)
 津軽海峡を越えて母を見舞うたびに、私は心の中で何度も別れを告げた。弟は病床の母の耳もとに〈…今日は顔色がいいよ〉とささやくのが常であったが、実際はよくなかった。母は天命の限界を耐えており、弟は息子のやさしさの限りを尽くしていた。致し方のないことであった。

 M氏が研究室を訪ねてきたのはそのころである。彼は〈『えんぴつで奥の細道』という売れ筋を真似て、『野ざらし紀行』を出したいのです〉と率直だった。率直な人は恐いが、嫌いではない。だが私は〈柳の下にいつも泥鰌がいるとは限らない…。パクリ本の手伝いはしないよ〉と断った。彼はひるまず、〈『野ざらし紀行』には『おくのほそ道』ほどの完成度はないが、芭蕉の生涯のすべてがひそんでいる。生い立ちも、人生の経過も、文芸的な到達点さえもそこにはあり、初めて芭蕉を学ぶのに、これほどふさわしい作品はない〉とその意義を説いた。

 M氏の言う通りであった。彼は今まで日本文学に縁がなかったと言うが、この企画の実現にむけて学習していることにうたれた。それで、これが書写本にとどまらず、大学生の芭蕉入門ゼミのテキストとして耐え得る工夫をすることを条件に、監修を引き受けた。すなわち『野ざらし紀行』の詳細解説をほどこし、M氏の質問に答える形で芭蕉の生涯・俳諧文芸の魅力・近世という時代についてコラムを設け、映発の美学である俳諧を愉しむ目的で写真を配してもらったのである。今まで文学関連の出版を殆んど手がけていない出版社、という点にも好感を持った。

 母の死は、その原稿を書いているさなかの哀しみで、結果的に著者校正の時間を失った。この点を詫びつつ、下記の通り正誤表を示しておきたい。ちなみに、この本の命取りになるような誤記はない。

                ■正誤表

P 1 「はじめに」         L1 ×江戸深川→○江東深川
P 4 「目次の八日目」     L1 ×常磐塚→○常盤塚
P35 「芭蕉世界を愉しむ」 下L9 ×深いことを→○深いことは
P37 「語釈:斧斤の罪」     L2 ×斧斤ニ夭セラレズ→○斤斧ニ夭セラレズ
P38 「詳細解説」        L28 ×竹の内(当麻町)→○竹の内(葛城市)

P54 「見出し」         L1 ×常磐塚→○常盤塚
P76 「語釈:西岸寺…」   L3 ×宝誉め上人→○宝誉上人
P81 「現代語訳」     L7 ×大顛→○大巓
P82 「語釈:水口」     L2 ×水口市→○甲賀市
P82 「語釈:蛭が小島」   L1 ×静岡県田方郡韮山町→○静岡県伊豆の国市韮山町
P83 「語釈:円覚寺の…」   L1 ×大顛→○大巓
P87 「芭蕉世界を愉しむ」 上L7 ×『俗猿蓑』→○『続猿蓑』
P92 「あとがき」 L20 ×俳諧と文芸→○俳諧という文芸
by bashomeeting | 2006-08-10 12:06 | Comments(0)

やさしい無関心

 ブログを始めると約束して実行に移せず、二ヶ月が過ぎた。
 六月半ばに母の野辺送りを済ませた私が、いま日記まがいのことに手を染めれば、カミユの『異邦人』のムルソーのようにボロボロになってしまう気がして、混沌としていたからだ。
 この小説は〈きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった〉と始まる。
 引用は窪田啓作訳による新潮社の世界文学全集39『異邦人・ペスト・転落』(昭和42)による。この全五十冊からなる全集には、むかし企業に就職して、自分のお金で本が買える喜びを味わった懐しい思い出がある。退職して津軽海峡を越えるときに、『魔の山』『ジャン・クリストフ』『狭き門』などと共に運んだ。
 ところで、主人公ムルソーは〈人間は誰もが死刑の宣告を受けている存在〉であるとし、何事にも〈どっちでもいい〉〈ボクには関係ない〉と考えがちな男で、社会性や宗教的倫理観の外側にあって、人生に取り立てて生きる意味を見いださない男として読者の前に投げ出され、〈太陽が眩しかったから…〉という曖昧模糊とした理由で殺人を犯して裁かれる。読後、不条理すなわち〈人間はなぜ死へ向って歩まねばならないのか〉という問題を突きつけられた本であった。説明のつかない将来を抱える思春期の只中にあって、〈ムルソーとは自分のことである〉と思った青年は少なくなかったと思う。
 私もひどく落ち込んだ末に、この世にすでに生きている〈私〉は、かつて〈ある誰か〉にとっては意味ある存在であったに違いないこと。それ以上の生きる意味は、〈私〉が主体的に創出すべきものであること。社会は〈無関心〉で、他人を哀しむようにはできていないが、それは憎悪に満ちたものでなく〈やさしい無関心〉であること等を手掛かりにして、『異邦人』からの脱出をはかった。それは芥川や太宰を遠ざけるようにしたころと一致する。
 母の死とは、新しいことを始めるにふさわしい時機であるかもしれない。
 遠い思考回路を整理しつつ、こんなふうに思った。
by bashomeeting | 2006-08-07 16:06 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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