2006年 09月 30日
失せもの出づる ― 飯坂の付合
医王寺にて佐藤継信・忠信
二人の妻の人形を拝す
鎧着て孝行の嫁さはやかに 雅 子
文治二年の露のみちのく 海 紅
欠けてゐる盃に月たゆたひて 透
そば屋の暖簾出づる藪医者 佳 美
しんしんとこんこんと雪道続く 海 紅
きつね親子に届く手袋 道 子
2006年 09月 29日
私はどこにいるのか
かがみ
ぼくは かがみを みたらいけん
ぼくは かがみが こわいけん
みんのです
ぼくのかおが かがみに うつったら
ふたりが おるけん
こわいです
The Mirror
I don't look into the mirror.
I am afraid of it.
So I don't look into it.
When my face is reflected.
In the mirror, there are two me's,
So Iam afraid of it.
2006年 09月 28日
懐疑という心
2006年 09月 28日
不易流行は近代の原点
〈「近代」とは人間による作為、つまり一切を自分の小さな自我で作っていくやりかた〉を学んだ時代である。「現代」とはその〈近代の行き詰まり〉の時代で、「老いてきた近代」といえる。つまり〈一切が自己中心的になり、物事を見るのにすべてが分析的になり散文的になり、詩が失われてしまった時代〉で、〈人と人、人間と自然との関係、挙句の果てには自我と身体との関係までも崩壊してしまい、バラバラになった世界〉である。〈真の知性が枯渇し、貧困になった時代〉といってもよい。俳句に関して言えば、〈非常に実感から遠ざかった言語遊戲〉になってしまった。
もとより詩は「真の知性」である。つまり、詩には内発力・生成力があり、〈一切を総合する力〉が備わっている。それは〈相異なるものから、それを超えた全く異質な高次元のものを作り出す〉想像力(imagination)によって生まれるのであり、〈言葉を適当に組み合わせて新奇なものをつくりあげる〉空想(fancy)の産物ではない。
ではこの「老いてきた近代」をいかにして超えるか。それは「近代」の原点に帰ることである。もともと「近代」がめざしていた「生きた自我」、つまり芭蕉のような「開かれた自我」を完成させるために、もういちどモダンの原点に帰ることである。創造のエネルギー(流行)と伝統(不易)との相互の往復運動を通して、〈生き生きとした感動をもって、新しい見方や価値観の中に身を置いて、★自己生産論(オートポイエティック)に生きていくという〉ところから新しい伝統が創出されるであろう。
〔谷地注〕★「自己生産論」は「自己生産的」の誤植か。とすれば、その意味するところは、向上心を持って主体的に生きて、その結果として生まれてくる感動を形象化する、という脈絡になるであろう。
2006年 09月 23日
残るもの
「情」が残るのである。
2006年 09月 22日
水澄むや母を葬る詩を碑とし 海紅
東洋大学俳文学研究会の一泊研修で木曽を旅したのは平成十一年九月十日と十一日の二日間である。木曽馬籠、妻籠、奈良井宿、木曽福島、薮原宿、寝覚めの床などをめぐる。馬籠の永昌寺で島崎藤村の詩碑に遭遇した。この句は、木曽の秋深き山河と藤村の詩とがわたくしの身体を通り抜けるときに出てきた、溜息のようなものであった。
母を葬るの歌 島崎藤村
きみがはかばに きゞくあり
きみがはかばに さかきあり
くさはにつゆは しげくして
おもからずやは そのしるし
いつかねむりを さめいでて
いつかへりこん わがはゝよ
2006年 09月 21日
ふたりの俳諧師
学会誌の出張校正の部屋で、K先生が悪戯っぽく笑いながら別所真紀子著『古松新濤』(都心連句会・湘南吟社)という書を私に示した。「昭和の俳諧師 清水瓢左」と副題があるので、「古松新濤」という書名にこめる思いがわかった。松濤軒瓢左翁の一代記である。
清水瓢左先生は昭和六十年に九十歳で亡くなった連句人である。俳諧を松濤軒柳斎・根津芦丈に学び、松濤軒を継いで三世・芦丈の抱虚庵を継いで六世を名のった。東明雅先生は名刺に「俳諧師」とだけ肩書きしていたが、瓢左翁も俳諧師の一語にふさわしい生涯を送った。
その最晩年に、私は瓢左翁の連句指導を受けて、軒号を与えられた。江戸俳諧の命脈を受け継ぐかけがえのない人に学んでおこうという、村松紅花先生のすすめに従ったもので、池田紅魚君と一緒であった。『連句辞典』(東京堂出版)のお手伝いをした縁で、東明雅先生の連句の座にも何度か連なったが、この二人の俳諧師は似ているようで、似ていない。瓢左翁は江戸俳諧師の切絵のような人で、明雅先生は切絵師のような方であった。
2006年 09月 18日
日常の中の非日常
2006年 09月 18日
非日常を日常とする
むずかしい言葉だ。しかし、こういうふうに抽象化しない限り、言葉はエネルギーを持たない。生きる力にならない。生きる力にならぬなら、出家でなく、文学を選んだ意味がない。
2006年 09月 18日
漂泊と信仰
人生も半ばを過ぎて、残された時間を思うころになると、人は、家を守り、子供に後を託し、持てるものと棄てるものを選り分けて、整理する方向にむけてしっかりとするものだ。ところが芭蕉の場合は、持てるものを守るのでなく、壊してゆくカタチで人生をしっかりさせようとするわけ。具体的には旅がそれ、漂泊がそれで、ちょっとみには放埒無頼にみえる。しかし、それはおそらく心を解放するためには最良の道で、耳目を通して世界を把握し、瞬時にして数十年の過去を体感する道ではなかったか。むろん、わたくしどもが、それをそのまま真似することはないし、できもしないのであるが…。