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古語か現代語か

  文法、仮名遣い(考へ・考え)、字体(標準・異体・正字・誤字・俗字・略字)の問題は時代情況による相違があるから、現代の物差しで正否を断ずるのは愚かなことである。一方、語彙はそれぞれ確かに存在した時代があるのだから、時代の推移や作者の創造の中で死語と化したり、逆に時空を超えて蘇生することもある。よって古語か現代語かの二者択一を迫るのは物書きとしては愚かなことである。創造に古語も現代語もない。あるものは言葉であり、言葉によって生まれるバーチャルな世界である。古語も現代語も、わたしの中で共棲している。ただ、それを引き出すはずの人生の貧しいことを恥ずかしく思う。
by bashomeeting | 2007-02-09 10:42 | Comments(0)

雲という存在

 忙中閑ありとはどのような静けさをいうのであろうか。机辺の紙屑の山を突き崩して燃やしたり、その山に紛れ込んでいた請求書に驚いて銀行振込に出掛けたり、手紙の返事を書いている時に大学の生協から電話があって、四月からの教科書指示をしていないお詫びを言ったりしていると、臍の上あたりから〈おうい…〉とこみ上げてくる声がする。


丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる

おなじく
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平の方までゆくんか

 山村暮鳥のこの静けさは浄土だ。こんな美しい時間はどこにでもあるようで、実は一度も出逢ったことのない景色だ。八木重吉もそうだが、彼らの世界は研究などという賢しらを拒む〈存在〉そのものと言ってよい。居てくれればよい、在ってくれればそれでよい。
by bashomeeting | 2007-02-06 11:57 | Comments(1)

芭蕉と北上川

  仄聞するところによれば、石巻から登米にいたる北上川流域を広域観光資源とし、「芭蕉・北上川紀行」なる刷物ができたらしい」(河北新報)。芭蕉が、『おくのほそ道』がどんなふうに扱われているやら気が気でない。去る十二月二十五、二十六日の石巻・登米の旅が思い出される。今年十一月に石巻で行なう予定の集中講義が待ち遠しくもある。まだなんの準備もしていないのではあるが…。
by bashomeeting | 2007-02-06 10:07 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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