2007年 03月 30日
去年のツバメ
― 今年は、来るのが少し早過ぎやしないかい。
ツバメから返答はなかったが、そこは以心伝心、去年わが家で子育てをしたツバメであることは明らかである。
昨年、母を亡くした私の哀しみを見ていたツバメである。
天から届いた追福の使者である。
2007年 03月 22日
古りゆくこころ
― 笹鳴きがはじまったね。
こう言うと、
― 三月三日に、古里の畑で聞いたわよ。
家人が素っ気なく答えた。
古里とはわが町のやや奥まったところの地名で、彼女の郷里のことではない。彼女は、その地の農家が提供してくれている畑で、仲間と野菜作りを愉しんでいるのだ。いつ、どのような理由で古里と名付けられたのかは知らない。
本来、古里とは荒れ果てた土地、その昔に都などがあった古跡をいう。それが郷里の意となった。だから郷里とは万物流転、本質的にさびれた姿をさすものなのである。
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(貫之・古今・春上42)
この貫之の〈ふるさと〉も郷里ではなく、人の心が以前とはすっかり変わりしてしまった土地の意。人の心はあてにならないが、梅の香は昔のままだという。さびれた故郷の姿などというと、現代は産業が衰えたりした町を想像しがちであるが、実は生き死にを含めた人の心の変化を本意とするのだ。もっとも、衣食足りていなければ、すさむのはあたりまえではあるが。
今年も梅が去り、桜の季節が来ている。
2007年 03月 20日
地下室に題す(最終楽章)
― 解体屋はどこから壊し始めるのかしら。
もういちど振り向いた目が、何も書かれていない箇所をとらえた。
― そうね、天井からお願いしよう。
2007年 03月 19日
地下室に題す
吟行は上野公園に新しく立てられた子規句碑からはじまり、清水観音堂、不忍池の弁天堂と周辺の塚碑をめぐり横山大観記念館へ。さらに旧岩崎邸を見て無縁坂を登り、東大構内に秋櫻子の句碑を一見して三四郎池に芽吹く柳をながめ、赤門から樋口一葉の桜木の宿(法真寺)をめぐって句会を終え、懇親の会が始まったのは十六時三十分くらいであろうか。
― この店内は、数日後に取り壊したうえで、お借りする前の状態に戻して、家主にお返しすることになります。それまでの短い時間ではありますが、本日はみなさんとの長い御縁の記念に、壁という壁に俳句を書き込んでください。
突然、S女史が言った。
だが、その意味をすぐに了解した者はおそらくいなかったにちがいない。しばらくは誰もそんな大胆に挑戦する者は出てこなかった。S女史の決意と趣向を少し理解し、緊張をほぐしたのはたぶん酒の心地よさである。やがてみなが筆をとり、思い思いの句を書きつけては、しみじみと眸子をうるませた。わたしもしばらく瞑想して即興句を書きつけ、「壁に題す」という古来の伝統の陶酔とか恍惚が奈辺にあるか、「地下室に題す」という体験によって頓悟した。
鶴林寺に題す 李渉
終日 昏々たり 酔夢の閒
忽ち春の盡くるを聞きて 強いて山に登る
竹院を過るに因りて 僧に逢うて話り
又た浮生半日の閑を得たり (『三体詩』)
李渉は俗事に追われて、無意味な日常を過ごしていた。ふと、今年の春もおしまいだと聞かされ、けだるい気分をむりやり奮い立たせて、山に登ってみた。竹林で囲まれた寺院に立ち寄ったところ、偶然に僧侶と出逢って語り合い、この無駄としか思えない人生の中で、少しばかりのどかな半日を過ごすことができたという。
昨日のボクらは李渉に少し似ている。
2007年 03月 12日
「あはれ」と「をかし」
2007年 03月 07日