2008年 05月 27日
消去の時代
汗の子を抱いて幸せらしきかな 道子
2008年 05月 25日
紹介◆清水美希著『アレルギーっ子のたのしいかわいいお弁当』
美希さんとは、彼女が大学入学のころからのつきあいである。大学院に在籍して、与謝蕪村の関東在住時代を中心に小気味よい論文を数本発表し、高等学校教師を兼ねていたが、良縁を得て花嫁になった。その祝賀の席で、ボクは次のようなお祝いを申し上げた。
―― 文学は学者や教育者の専有物ではない。赤児にお乳をあげること、乳母車を押して祖父母を訪ねること、子供が腰掛けた公園のブランコを風に乗せること、こうした日常生活のひとつひとつが〈文学する〉ということと同義である。今までの研究生活を称え、これからの結婚生活を祝福したい。
この祝辞は谷川俊太郎の詩「生きる」を下敷きにしている。主題は「いま生きているということ」という曲名で小室等が作曲して唄い、厭世的になっていたボクの学生時代の応援歌のひとつとなった。久しぶりに小室等を聴き直しながら、美希さんは立派だなあと思う。一方で、この唄のように十分には生きてこられなかった自分を悔やんだ。美希さんの著書の賛歌に、小室等のこの唄を聞き取ったまま掲出する。むろん「生きる」とは異なるし、ライブ版ゆえ聞き違いがあるかもしれない。その点はおゆるしを……。
いま生きているということ 作詞 谷川俊太郎 作曲 小室 等
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふと、あるメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして、かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで星は流れ
いまどこかで虹が立ち
いまどこかで火は燃えること
いまどこかで火は燃えること
生きているということ
いまだれかが旅立つということ
いまだれかがだれかをみつめ
いまだれかが決意すること
いまだれかが問いかけて
いまぼくらは歌うこと
いまぼくらは歌うこと
いまぼくらは、ぼくらは、ぼくらは歌うこと
生きているということ
いま地球は廻っているということ
いまナイフがきらめくということ
いま子兎が跳ね、鯨はまどろみ
いま種子はまかれ、石は抛られ
いまぶらんこがゆれていること
いまぶらんこがゆれていること
ぶらんこにはむすめが乗っている
ぶらんこにはむすめが乗っている
ぶらんこは僕がつくったぶらんこ
いまぶらんこがゆれていること
生きているということ
海はとどろくということ
鳥ははばたくということ
夜は、夜は明けるということ
風が立つこと
いま、いまが過ぎてゆくこと
いま、いまが過ぎてゆくこと
生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
ひとは愛するということ
あなたの目のぬくみ
いのちということ
2008年 05月 20日
紹介◆『時代を越えて ― 知的ハンディの子をもつ若い両親におくる―』
本書は「第一章 母親の立場からの思い」、「第二章 支援者の立場からの思い」、「第三章 亡き人を偲ぶ」、「第四章 会員の紹介」という全四章から成る。それぞれ具体的で重たい実情を淡々と綴る。
私はそのメンバーの一人である椎名美知子さんと詩歌による縁を得ている。一人が一人と知己になるというのは、容易に見えてなかなか困難である。現実という孤島には、たくさんの人は住めないからである。だが、だからこそ、それゆえにこそ、一人が一人とつながるという行為は尊重されねばなるまい。奥付によれば、本書に関する問い合わせ先は手塚直樹氏(FAX:042-796-5052)である。
2008年 05月 19日
脇役が好き
ボクが表向き守備範囲にしている連歌俳諧とか俳句という分野は筑波の道というので、その筑波山の山懐に宿をとるという趣向もうれしい。露天風呂に百骸を沈めて鶯を聞き、立ち上がっては、山裾一面に水が引かれた広大な田を眺める。父親になった彼らが、その子供たちを風呂に入れる景色にしみじみとしながら、来し方、行く末に思いをめぐらせた。あらたまった挨拶も、かしこまった言葉も出てこない。彼らとボクには、それが許されるだけの時間がすでに流れていると思っている。
だから、宴の上座に座らされ、一通りの儀式が展開するあいだは緊張した。歯医者で治療を待つ気分に似ていた。教師面をして、七転八倒していた現役時代が恥ずかしく、切なく思い出された。学び続けているつもりだが、今ますますボクは愚かである。
こんな主役は似合わない。儀式が終わるのを待って、彼らが引き連れている小学生の司会に呼び出されるままに、カラオケで「神田川」を唄った。選曲は司会の子の父親であった。彼はこんな甘酸っぱい唄をうたってきたボクの証人だから拒めない。白髪頭や笑い皺を忘れておどけた。
脇役が好きである。サラリーマンのころ、一度だけディスコなる空間に連れて行かれたことがあるが踊ることはなかったし、こどものころの盆踊りの輪にも入れた記憶がほとんどなく、祭り袢纏を着せられて背中を押されても逃げ出して、お神輿の列に加ることはなかった。その昔、芝居を書いたことがあるが、演じることはなく、公演の進む様子を、舞台の袖から震えながら見ていた自分が好きである。華甲を祝ってくれた彼らを主役にして、その生き生きとした高校生時代を、少し離れて見ていた自分が好きである。
2008年 05月 07日
ブログという錯覚
たとえば〈けふはぼくの誕生日〉というふうに…。