海紅山房日誌

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歳時記という怠慢※


 ここ十年ほど、『俳壇年鑑』(本阿弥書店、五月刊)に俳文学界の展望を書いている。一般の人や俳人に読んでもらえそうな連歌・俳諧・俳句関連書や研究書の紹介を目的にしているが、その序にひごろの感慨をしたためる。今年は「歳時記という怠慢」という題で、季語一辺倒で分類するのでなく、〈それぞれ何を詠んだ句なのか、という主題の自覚〉が大切で、後から来る世代のために、そうした見識による類題集に似た歳時記を作りたいと書いた。俳文学研究会の二月の句会で話した講話の要約である。

 Kさんがハガキをくれた。後日のために、その一部を書き留める。

 御文おもしろく一読。若者の俳句離れは知らず、盛況そのものとばかり思っておりました。さて御見識にいろいろ学びましたが、少々異見もあります。分類や部立はあくまでも索引の役目止まり。文の内容・本質にかかわる部立をなそうとすれば、それこそなかなか統一的な見解は成立しない。結果、形式的にならざるを得ず、鑑賞や批評や本質論はその先の個々人の営為に委ねられるべきものと愚考いたしますが、いかがでしょうか。
by bashomeeting | 2009-05-29 09:56 | Comments(0)

今朝ばかりは鴉が憎し

 このところ、毎晩ツバメが巣に戻っておとなしく、卵を抱き始めたことがわかっていたから、ときおり夜空を見に外に出るように心掛けていたのだが、今朝ついに鴉の襲撃をうけたらしく、美しい羽が三四枚、壊れかけた巣から地面に落ちている。家人の記録によれば、昨年は九日であった。鴉は好きな鳥だが、今朝ばかりは憎い。

  のんど赤き歌の茂吉の燕きし  白旗 丘
by bashomeeting | 2009-05-10 05:39 | Comments(0)
 新しくゼミが始まる四月、最初の仕事はクラス委員を決めることである。みずから手を挙げてくれるクラスもあるが、こちらが無駄口をたたいて教室の空気をなごませ、学生の警戒心を解いたうえで、ようやく決まる場合も多い。その無駄口に、たとえば〈クラス委員を引き受けても、なんの得もないが、研究室を訪ねてくれた際に、駄菓子のひとつふたつもらえることはある〉と言ったりして笑いをとる。
 先日、クラスの演習テーマ一覧を届けてくれた委員二人に、京土産の八ツ橋をあげて、尋ねた。
 … この菓子を八ツ橋という由来はなんだろう。
 しばらくして、ひとりが答える。
 … 『伊勢物語』東下りに〈…三河の国、八橋といふところにいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける〉とある、それにちなんだ名かな。
 … なんで、そう思う。
 … お菓子の反り具合が橋に似ているじゃない。
 … ナルホド。
 そこで、八ツ橋という京菓子の名は近世初期に箏曲の基礎を作り上げた八橋検校という音楽家を偲んで付けられた名で、菓子の反りは箏(そう)をイメージしたものだろうと説明してやる。蛇足で、箏は俗に琴の字を宛てて「こと」と呼ぶが、「きん」と呼べば別の楽器になることも。しかし、橋の反りを連想するのも悪くないなと思った。
 余談ながら、蕪村に次のような句がある。さて、「こと」か「きん」か。

  しぐるゝや鼠のわたる琴の上    蕪村
  しぐれ松ふりて鼠の通ふ琴の上  同
  乾鮭や琴に斧うつひゞき有      同
  御僧に琴まゐらせよ月の村     同
  桐火桶無絃の琴の撫ごゝろ     同
  琴心もありやと撫る桐火桶      同
by bashomeeting | 2009-05-08 10:17 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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