2009年 10月 30日
シンポジウムの御案内◆現代の老年期と死生観
現代の老年期と死生観
11月2日(月)
午後2時(14:00)~5時(17:00)
甫水会館 2階 202室(東洋大学白山校舎正門斜め向かい)
パネリスト:
井上治代 東洋学研究所研究員(東洋大学ライフデザイン学部准教授)
谷地快一 東洋学研究所研究員(東洋大学文学部教授)
渡辺章悟 東洋学研究所研究員(東洋大学文学部教授)
司会:
相楽 勉 東洋学研究所研究員(東洋大学文学部教授)
平成21年版高齢社会白書によりますと、平成20年10月1日現在65歳以上の高齢者人口が過去最高の2,821万6千人となっていますが、高齢者について語るとき、老年期を謳歌するというよりは医療費の問題、年金の問題、認知症などの健康の問題が取りざたされます。また、顔の皺や体力の衰えなど、加齢に対する否定的な面や若さが強調され、老いというものを直面し受容しない傾向も見受けられます。また、孤独死ということが採り上げられることにより、老年期における孤独ということも問題となっています。
今回のシンポジウムは、平成21年度より3年間の計画で行っている東洋学研究所プロジェクト「日本の老年期における死と孤独」の一環として、「現代の老年期と死生観」と題して、社会学・文学・仏教の立場から老年期を積極的にとらえる視座を検討し、ご参会の皆様にとって何かしらの考察の手がかりとなればと考えております。 高城功夫 東洋学研究所研究員(東洋大学文学部教授)
プログラム
14:00~14:10
開会の挨拶 高城功夫 研究員
講演者紹介 相楽 勉 研究員
14:10~14:30
基調講演
老後の不安と葬儀・墓のあり方―現代の葬送儀礼にみる老年期―
井上治代 研究員
14:30~14:50
基調講演
老いと俳諧―文台引き下ろせば即ち反古なり※
谷地快一 研究員
14:50~15:10
基調講演 老年期における仏教―老・病・死と仏教―
発表者 蓑輪顕量・愛知学院大学教授
代読 渡辺章悟 研究員
15:10~15:40 休憩
15:40~17:00 ディスカッション 司会:相楽 勉 研究員
17:00 閉会の挨拶 高城功夫 研究員
※
〔生〕 生きている世界は、自己をとりまく世界の状況、そしてその時々の状況をどう受けとめるかによって、さまざまな仕方で現れてくる。生きている世界の「内容」とは、常に不安定で流動的な自己であり、その状況の影響下に形づくられる。―Martin・ハイデガー『現象学の根本問題』―
〔死〕 死は到来することで消滅する。死すべき者は生の中で死を死ぬ。死によって、死すべき者は不死となる。―Martin・ハイデガー『ヘルダーリンの地と天』―
2009年 10月 18日
流行と風流と
「マイブーム」という言葉は、むしろ風流という言葉の原点に似ている。風流は意匠(工夫)を凝らした味わいのことだが、その趣向の原点はまったく個人的なこだわりに始まるからだ。それが社会化すれば流行である。流行は必ずすたれるから、前代の遺風もまた風流の枠組みに含まれる。「マイブーム」は独りよがりを本質とするから、その内実を一般化できない。だから、風流をみやびなこと、華美なことと説明する国語辞典は誤りである。ただし、美しいということを不可欠な要素としてよいと思う。たとえば、「風流の初やおくの田植うた」(『おくのほそ道』)の「風流」とは〈みちのくのみちのくらしい美しさ〉のことである。
2009年 10月 18日
TVで見た忘れ得ぬ風景◆桃源
…… 今日は大タナゴやで。大タナゴは百円高うなるでえ。
…… 高うてもかまわん。ゼニは喰えんけえ。
…… 気イつけて帰りや。またネコにとられるでえ。
…… ネコやて、喰わな生きていけん。
2009年 10月 18日
誤解されていることば◆管理
2009年 10月 09日
芭蕉の泊まった一関の宿◆菅原宏通
県南史談会(遠藤輝夫会長)の研究発表会は26日、会員や市民50人が参加して一関市田村町の市総合防災センターで開かれ、会員2人が日ごろの研究成果を披露した。
同市花泉町出身で、東京都在住の菅原宏通さん(64)が「新しい考察『一関の芭蕉の宿』について」、市博物館の大島晃一副館長が「江戸時代の時鼓について―時の太鼓の全国調査とその結果」と題してそれぞれ講演。
このうち、菅原さんは江戸時代の俳人松尾芭蕉が1689(元禄2)年5月12日に一関を訪れたとされる際の旅宿について持論を展開。旅の実録『曽良旅日記』に路銀を消費した記号がある、として旅籠(はたご)に泊まった説を有力視した。
同地地主町を舞台に諸説ある中、郷土史家の間で有力視されていた検断『白土屋』の付近に『今出屋』があることを指摘。今出屋の子孫が残した生活記録「随想自伝」により、元禄から続く宿場茶屋だったらしく、位置関係も確認できるとした。
その上で「『今出屋』は俳諧に無関係であり、『曽良旅日記』に何も記載がないのは理解できる」と推測。「一関の宿では句会も開かれず地元文人との交流も記されていないことから、宿は『今出屋』という一般的な旅館だった」 と主張した。 ―『岩手日日新聞』(平21・7・30)から転載―
2009年 10月 08日
淋しい秋
妹御の訃を聞く小鳥来る如く 海 紅
妹御の訃を読む小鳥立つ如く 同
2009年 10月 06日
常世へ26―久華山房先生のお墓参りをして来ました
九月二十五日(金)は午前中に会議がひとつ、午後には通信教育部の九月卒業式。マサヒロさんが卒業なので、お祝いの一言を告げたい。そのとき、ふと智恵がまわったのです。そうだ、その間の三時間を使えば墓參ができると。
開国のころに、アメリカ領事館が置かれたその寺は、海の香りをまとう、まことによい場所にありました。茫亭井本農一先生の墓參の際は、先生と久華山房先生とボクと三人であったなあーと、来し方をふりかえりました。お彼岸のうちに墓前に立てたことを幸運に思いました。
手を置けば墓あたたかし秋彼岸 海 紅