海紅山房日誌

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時雨の系譜

 貞享四年(一六八七)十月十二日は芭蕉が『笈の小文』の旅に出た日(但し、今栄蔵『芭蕉年譜大成』は二十五日発)。その七年後、つまり元禄七年(一六九四)の同日に大坂で没す。その命日を時雨忌という。時雨は初冬の通り雨。むろん旧暦の季感で、今年は十一月二十八日(土)がその日に当たることを、この日の東京新聞の「筆洗」で知った。その末尾は、〈さて今、日本経済の屋根を激しくたたく、この冷たい雨の雨音を聞く。できるなら、さっさと「過ぐる」時雨であってほしいのだが〉と結ぶ。古くは涙に見立てられたこの時雨、やがて世の無常を説く言葉となってゆく歴史を持つ。

〔時雨〕
神無月ふりみふらずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりける(不知・後撰・冬)

 雪は檜皮葺いとめでたし。すこし消えがたになりぬるほど。まだいと多うも降らぬが、瓦の目毎に入りて、黒う丸に見えたる、いとをかし。
 時雨、霰は板屋。
 霜も板屋、庭。(清少納言・枕草子〈三巻本、新潮日本古典集成は233段〉)

世にふるは苦しきものを槙の屋にやすくも過ぐる初時雨かな(讃岐・新古今・冬)

   応仁の比、よのみだれ侍るに、あづまに下りてつかうまつりける
雲はなを定めある世のしぐれかな(心敬・新撰菟玖波)

   其比信濃にて
世にふるは更に時雨の舎り哉(宗祇・萱草)

   手づから雨のわび笠をはりて
世にふるもさらに宗祇のやどり哉(芭蕉・虚栗)真蹟懐紙・蕉翁句集草稿・真蹟短冊・ゆきまるげ

   神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して
旅人と我名よばれん初しぐれ(芭蕉・笈の小文)続虚栗・泊船集・三冊子・真蹟色紙・真蹟画賛

宿かりて名を名乗らするしぐれ哉(芭蕉・真蹟懐紙)

しぐるゝや我も古人の夜に似たる(蕪村・句集)

世にふるはさらに芭蕉の時雨かな(士朗・士朗叟発句集・枇杷園句集・題叢)

   宗祇のしぐれ、芭蕉の宗祇、青流の剃髪
世にふるもさらに祇空のやどり宿りかな (淡々・みかへり松)

   自 嘲
うしろすがたのしぐれてゆくか(山頭火・行乞記)
by bashomeeting | 2009-11-30 11:50 | Comments(0)
たはやすく平和語れず子育てを終へて広島・沖縄訪ねき  濱田惟代
                      ―産経新聞(11月17日)より―   
by bashomeeting | 2009-11-23 15:48 | Comments(0)

望郷

毎年、
「今日、初雪が降りました」
という一行の葉書をくれる友がいた。
いまはこない。

 初雪の降るころ解くる頃の墓   海 紅
by bashomeeting | 2009-11-15 05:08 | Comments(0)

雪虫の遠き日々

 郷愁をさそう雪虫が飛んでいる。冬の到来、雪を知らせる虫という意味で、郷里ではこう呼んでいた。じきにくスキーができるとわくわくした。身体全体を綿でくるんだような姿で大綿の名もある。綿虫というほうが一般的かもしれない。近いうちに武蔵野にも雪が降るのかしらん。

  雪虫のとびたる遠きとほき日よ   北川 京子

  
  
by bashomeeting | 2009-11-15 04:53 | Comments(0)

俳言・俗言

「話しことば」と考えればよい。
by bashomeeting | 2009-11-15 04:37 | Comments(0)
アメリカの大統領さんが見えて、日本の総理大臣と何やらお話をしたあと、アメリカと日本の国旗が交互にたくさん並ぶ前に立って、ふたりで仲良く声明なるものを表明して帰って行った。
犬の尻尾は立っている方が安心だけれど、旗は垂れているほうがよい。
旗ははためかないほうが美しい。

  子を叱ることむつかしや木の葉髪    海 紅
by bashomeeting | 2009-11-15 04:24 | Comments(0)
大岡 (ホトトギス、虚子選『雑詠選集』の)句の選び方、つまり人の句を選んであれだけ見事に自分の作品になっている、そんな感じのする人はいないね。『雑詠選集』というのは、あれは正に虚子の作品集ですよね。
高木 そうですね。勉強になります。
大岡 面白い現象だと思います。でもすぐれた短詩型の作者はみんなそうだったんじゃないかな。
高木 現在は、ちょっと違った方向に行っているけれども……。
大岡 日本の和歌とか俳諧とかそういうものの歴史を辿れば、一流の人は全部一流の選者だものね。
高木 そうですね。裁き手でもあった。
大岡 考えてみると、それが日本の詩歌の独特なところでしょう。(下略)
    ―「父・虚子、俳人・虚子を語る」 、『国文学』(學燈社 平成3.10)所収―
by bashomeeting | 2009-11-14 16:33 | Comments(0)
川崎 (虚子の子供のほとんど全部が、きちんと俳句を引き継いでいることは)偉大というと言葉がちょっとオーバーですけれど、やっぱり大変なことだと思うのです。俳句もそうだけど、皆さんは文章がまたいい。真砂子さんの『生いたち』とか。
  (略)
川崎 それはもうびっくりしました。先日読みまして、びっくりして今日持ってこようと思っていたのですけど。それから晴子さんの『遥かなる父・虚子』も聞き書きがすごい。お世辞でも何でもないです。またお兄さんの『父 高浜虚子』の文章、あれも八十代の方の文章とは思えないですよ。みずみずしくて。それから章子さんの「春潮」の「佐介此頃」。みんな文章がいい。いいとはどういうことかよく言えないけれど、いってみれば、言葉の配列と間(ま)ですね。どうしてあんなにうまいのか。
  (略)
川崎 今挙げた四つの文章に共通するところは、欲がないということですよ。
大岡 そうですね。
川崎 欲がないから。欲がある文章は下がって見えてしまう。
       ―「父・虚子、俳人・虚子を語る」 、『国文学』(學燈社 平成3.10)所収―
by bashomeeting | 2009-11-14 16:14 | Comments(0)
高木 父は俳句を教えるよりは、文章を教えたがりましたね。
大岡 そうでしょうね。それは非常に正しい教育者ですね。俳句なんていうのは、教えると変な方向に行く可能性があります。
高木 そうです。
大岡 文章がきちんと書ければ、俳句は出来るはずですからね。
       ―「父・虚子、俳人・虚子を語る」 、『国文学』(學燈社 平成3.10)所収―
by bashomeeting | 2009-11-11 14:35 | Comments(0)

ことば・すがた・こころ

 聞くともなしにラジオを聞いていたら、日本で言う小春(小六月)はアメリカのINDIAN SUMMERということばに当たると話していた。しかし「インディアンサマー」なら、その姿も心も小春とは異なる。それはどんな世界(signifié)だろうかと興味を持った。ことばは道具(tool)、仲介(transfer)でしかない。いや道具であり、こころの仲介たり得ることを称えるべきか。

  たんぽゝの絮飛ぶ蝦夷の小六月   小竹 こと
  あとがきに傘寿とありて小六月        海紅
by bashomeeting | 2009-11-10 04:05 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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