海紅山房日誌

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 江東区の芭蕉記念館で久富哲雄先生撮影の奥の細道写真展が始まっている。 江東区地域振興会サイトの「催し物情報」から一部転載し、以下に紹介。都営新宿線・大江戸線の森下駅から徒歩7分。どうぞ、お出かけください。
 詳細はwww.kcf.or.jp/basyo/event_detail_030200600075.html
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 俳文学者の写した「奥の細道」
  -久富哲雄のファインダーを通してー
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『おくのほそ道』研究に生涯を捧げた俳文学者久富哲雄氏(2007.8.17逝去)。芭蕉の生誕地・三重県伊賀市にある「俳聖殿」「芭蕉像」から始まり、「奥の細道」の発端となった江東区「草の戸も」句碑から、結びの地である大垣にいたるまでの史跡・句碑・情景など写真パネル69枚に、久富氏自身の解説文を加えて展示します。

●日付 2009年12月18日(金)~2010年4月25日(日)
●時間 9:30~17:00(入館は16:30まで)
●場所 江東区芭蕉記念館
●料金 大人100円(70円) 小中学生50円(30円) ※( )内は20名以上の団体料金
●期間中の休館日 2009年12月28日~2010年1月1日、1月12日・25日、2月8日・22日、3月8日・23日、4月12日
●問合せ 江東区芭蕉記念館 03-3631-1448(9:00~17:00 
●第2・4月曜日休館・祝日の場合は翌日)
by bashomeeting | 2009-12-27 17:19 | Comments(2)
 歳末なので研究室の煤払をして、帰途に居酒屋でひとり一年をふり返っていたら、帰宅が遅くなってしまった。おそるおそる家に入ると、居間はまだ灯されて、家人が「カラーでよみがえる第二次世界大戦②」「太平洋戦争」という番組を見ていた。モノクロの記録映画に最新の技術で色づけを施したもので、想像を絶する迫力である。こういう番組は、太郎も次郎も、花子も友子も起きている、早い時間に放送してほしいと思った。いや学校の歴史の時間の教材にしたほうがよいさえと思った。

 「今年の流行語大賞」という賞があって、「政権交代」がそこに含まれているという。交代した政権は誰の目にも一所懸命。その一所懸命のなかに「子どもは社会が育てるもの」という主張があって、子ども手当支給という政策が実現するそうだ。「子どもは社会が育てるもの」という言葉は口当たりがよいが、生まれてこのかた実感のない言葉でもある。よって、今後丁寧に観察していくべき政策だが、この甘言はよもや徴兵制や「生きて虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)という悲しい時代へ戻る布石ではあるまいナ、と不安になる。そうなら子ども手当などゴメン蒙りたいのである。

 三島由紀夫さんは少年時代のボクの神様で、文芸誌から切り取った彼の写真を一時期は生徒手帳に入れて持ち歩くほどだった。東京に出た理由の一つは、三島さんに会って、彼の中に岩盤の崩落のように起きていた(ようにボクには思えた)美学の変化について教わることにあったが、彼の住居である馬込と駒込を同じ住所と思い込むほどの田舎者だったから、その機会が得られるはずもなかった。『憂国』以後は次第に読むのが悲しくなっていて、やがてボクは女色を断つように近代文学から離れた。来年七月は金閣寺炎上から六十年である。

  心あるごとく凍瀧おし黙る     海 紅
by bashomeeting | 2009-12-27 11:53 | Comments(0)
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』(産経新聞連載。昭47完結)がTVドラマ化されて、第2回まで放送された(NHK)。新聞連載時はむろん読んでいない。昭和五十年に俳文芸研究会の傍聴を許されて、井本農一研究室に通うようになって、その研究会の先生たちの座談に、ときどきこの小説がのぼった。聞き耳を立てながらも、話題に加わることは憚かられたので、しばらくしてから購入して読んだ。
 好古も真之も子規も、みんな龍馬だった。六十年安保の樺美智子も、七十年安保の籠城でインスタントラーメンを作りながら『戦争と平和』を読んでいたY子も、みんな龍馬だった。以後龍馬を見ない。龍馬を生み出さないことが、文部行政の智恵になったのだろう。『坂の上の雲』はボクがときどき泣きにゆく場所である。

  去年今年貫く棒の如きもの   虚 子(六百五十句)
by bashomeeting | 2009-12-08 11:17 | Comments(1)

自分が一番ヘタ

 ボクはゴルフとは何の縁もない暮らしだが、年間賞金王となった石川遼(高校三年生)なる人物が「練習をしている時は、自分が一番下手だと思ってやっていかなければいけないと思う」(東京新聞「筆洗」)と言っているのを知って、むかしわが師に「人は自分のレベル以上のことは理解できない」と言われたことを思い出した。年齢と共に、この未熟とか未完という飢餓感は忘れがち。特に「先生」などと呼ばれる私どもは、自分に教える資格あり、権威ありという思い違いをする病があるので、気をつけねばならぬと思っている。

  愚に耐よと窓を暗す雪の竹      蕪 村(蕪村句集)
  学びて愚働きて貧梅雨長し      紅 花(簗守)
by bashomeeting | 2009-12-07 14:48 | Comments(0)
 本年発足した東洋大学学生教育サークル「TONO」(代表大野正博)の顧問を引き受けている。東洋大学には多くの教員を輩出してきた歴史があるが、今は志望者の数の割にその夢の実現はけっして容易ではないようだ。 それを淋しく思ってきた経緯があるので、顧問を断わる理由を見つけられなかった。
 11月28日(土)、そのサークルが第1回目として「教師を目指す人のための講座」を開催し、学生41名・教員2名という参加者を得て無事終了。大野君の許可を得て以下にその内容を紹介し、本当に教師をめざす学生達へのエールとしたい。

◆講座内容
特別講座:教室の隙間時間に使えるレクリエーション!!(吉岡)
第一講座:教員採用試験・合格の秘訣!(太田)
第二講座:授業がうまくなるポイント教えます!!(小宮)
第三講座:上達がその場で実感できる!学生の授業に現職教師がアドバイス!!(佐々木・高丸・柏田)
第四講座:~学生サークルを再現 ~学生でもミルミル授業が上手くなる勉強法「模擬授業」に挑戦!!(鈴木)
第五講座:教室中が大熱中! ~プロの現役教師が魅せる模擬授業~
          ア、英会話(熊田優)
          イ、たかしくんの授業(服部)
第六講座:荒れた子どもたち・保護者を立て直す学級経営のポイントを映像で紹介します!(桜木)
第七講座:教育へのお悩みなんでもお答えします!!Q&A・茶話会講座(熊田優)

◆参加者からの主な感想(アンケート結果より)
・スキルのある先生方の講座、とてもためになりました!又、顔出ししたいです!!(明星大学)
・先生方と直接お話することができ、普段抱えていた疑問を解決することができました。また、ちょっとした工夫でガラっと授業が変わることがわかりました。どうもありがとうございました。(フェリス女学院国際交流学部3年)
・模擬授業を3分でやって、それに対するコメントをどんどんしていくという方式は新鮮だった。ただ、そんな短時間で授業全体が分かるのか疑問に思った。学級崩壊という言葉は聞いたことがあったが、実際にどのようなことが起こっていて、それをどう立て直すのかという話を聞いたのは初めてだった。大学の授業では学べないリアルだった。学生の間に授業技術を身につけることの大切さ、引き出しを増やす。(早稲田大学スポーツ学部科目履修生)
・とても興味深い内容で面白かったです。ただ自分は中学校社会の免許を目指しているので、参考にできないなと思った部分も若干ありました。授業の中身というよりは、そこにかける熱意や愛情の面で参考になることは
多くあったと思いました。(東洋大学社会学部社会学科3年)
・とても意識の高い方々の集まりで刺激になりました。(東洋大学経済学部国際経済学科3年)
・なかなか有意義な会だと思います。(東洋大学経営学部4年)
・それまでの学年で荒れていたクラス、子どもたちを立て直せる教師になりたい。という思いを改めて強く持ちました。いろいろとためになる講座、ありがとうございました。(玉川大学通信教育部教育学科)
・指導技術について、ポイントが聞けて為になりました。(講師)
・大変勉強になりました。ありがとうございました。(東洋大学文学部日本文学文化学科3年)
・とても貴重な経験ができ、勉強になりました。また、このような機会があったら、ぜひ、参加したいです。ありがとうございました。(玉川大学教育学部教育課程1年)
・たいへん勉強になりました。(東京工業大学大学院社会理工学1年)
・来てよかったです。(玉川大学教育学部教育学科3年)
・とても面白く、楽しく、びっくりしました。小学校の例が多かったので、中学高校の例ももっと見たいです。自分は高校の教員になりたいと思っているので・・・。(東洋大学経済学部経済学科3年)
・普段、大学の授業とサークルの勉強会で、教育について考えているので、このような体験型のイベントはとても新鮮でした。ぜひ、また参加したいです。(東洋大学文学部英米文学科3年)
・この講座を受けて、ためになりました。現役の先生方から教わる機会があまりないため、先生の生の声を聞けて良かったです。まだ、私は1年生で、大学生活あと3年ありますが、無駄にしないように頑張ろうと思いました。また、このような講座に参加したいと思います。今日参加して良かったです。(玉川大学教育学部教育学科1年)
・私はこの講座をとても楽しみにしていました。採用試験のこと、現場の様子、授業方法のポイントなど、学校では学べない事がたくさん聞けてよかったです。私は1年生ですが、今のうちからこのような機会を大切にして積極的に参加したいと思います。(玉川大学教育学部教育学科1年)
・第5講座のたかし君の授業が泣けました。中学校の話も少し聞いてみたいです。どの話もすごく参考になりました。特に映像を活用されていたのを見て、もっとPCを勉強しようと思いました。(日本大学文理学部国文学科3年)
・社会人で教員採用試験の受験を考えています(小学校)。学生中心のサークルのようですが、社会人の参加は可能でしょうか?様々教えていただけると幸いです。よろしくお願いします。(創価大学教育学部通信教育)
・とても勉強になりました。また講座があったら、ぜひ参加したいと思いました。(東洋大学文学部日本文化学科3年)
・もっと早く、この講座を知りたかったです。(創価大学経済学部経済学科4年)
・学生の模擬授業など、具体的に身の役立つことが多くてとても勉強になりました。(文教大学人間科学部人間科学科1年)
・個人的なことですが、こちらの講義は小学生児童向けであり、中学校教諭志望の学生向けの情報も、もう少し盛り込んでいただきたかったと思いました。(東洋大学文学部英米文学科2年)

〔夢をあきらめないで〕作詞・作曲岡村孝子。昭和六十二年(1987)発表。

    夢をあきらめないで

  乾いた空に 続く坂道
  後姿が 小さくなる
  やさしい言葉 さがせないまま
  冷えたその手を 振り続けた

  いつかは 皆旅立つ
  それぞれの道を 歩いて行く

  あなたの夢を あきらめないで
  熱く生きる 瞳が好きだわ
  負けないように 悔やまぬように
  あなたらしく 輝いてね

  苦しいことに つまづく時も
  きっと上手に 越えていける
  心配なんて ずっとしないで
  似てる誰かを 愛せるから

  切なく残る 痛みは
  繰り返すたびに 薄れていく

  あなたの夢を あきらめないで
  熱く生きる 瞳が好きだわ
  あなたが選ぶ 全てのものを
  遠くにいて 信じている

  あなたの夢を あきらめないで
  遠くにいて 信じている
  
by bashomeeting | 2009-12-06 23:10 | Comments(0)
 四日(金)、午前中に豊島区で芭蕉の話をした足で、有楽町線に乗って銀座一丁目で降りて、「第十回三宅相舟書作展」「相舟のかな」(東京セントラル美術館) をのぞいた。会場に入ったとたんに、ツツと右肩に近寄ってきて挨拶をされる。卒業生であった。もともと名前を知らない人、今も名前を覚えている人、忘れてしまっている人といろいろ。申し訳ない気がして背中がまるくなる。

 展覧会は 相舟氏の筆によって「百人一首」と「佐竹本三十六歌仙」の全作が一堂に会す贅沢なもの。一枚一枚に感性を遊ばせながらも、その全体の統一を目指す不可思議な気力。歌の作者でもない書家が墨色にこめるこのエネルギーはどこから来るのか。ときおり相舟氏から聞かされてきた精神論を思いおこしながら、九十分ほど眼福を味わった。「相舟のかな」という自負がまぶしかった。
 帰途は伊東屋に寄って来年の日記を求め、丸ノ内線にて帰宅。

  山里は冬ぞ淋しさまさりける人目も草もかれぬと思へば    (宗于・古今・冬)

  美術館出れば街騒日記買ふ    海 紅

  
by bashomeeting | 2009-12-06 13:03 | Comments(0)
 九月であったと思う。無花果会の席でTさんが新聞の切り抜きを示した。
 ……こんなヘンなことを書く方がいます。
 読んでみると、小澤實さんの「作句のポイント 名句まねるべからず」という文章で、主旨は、名句に学ぶことは俳句上達の近道だが、表現を転用してはいけないというもので、その例として「まつただなか」という言葉はすでに、

  銀杏散るまつただ中に法科あり   青邨(露団々)

という名句があるので、この「まつただなか」を使うと、青邨句の真似になってしまうから使うなということのようであった。ボクは答えた。

 ……私は俳文学研究を志しているころの小澤さんを知っているので、こんなことを書くとは思えないのですが。短い文章なので、意を尽くせなかったのではないだろうか。

 言葉は公器。使っていけない言葉などないし、この句について言えば、著名な句であるが、すこしも佳い句ではない。
 なお、Tさんは長く国語の先生をされてきた俳人である。
by bashomeeting | 2009-12-05 12:13 | Comments(0)

この村の人々

……概して言えば、この村の人々の表情に共通するのは、〈愛想がない〉ということでした。これはどういう理由によるのでしょうか。
……ひとつには、あなたが警戒されているということでしょう。
……それは不徳の致すところ。
……あるいは、その村の人々が、その村の外に出たことがない、そういうことも考えられます。
……なるほど、わかる気がいたします。
by bashomeeting | 2009-12-05 10:16 | Comments(0)
 招待券をもらったので、十一月二十七日(金)の夜に劇団Gooffy&Merry-go-roundの公演「Se eu Pudesse」(於 アイピット目白)を観にでかけた。江戸時代の奇才平賀源内が作ったエレキテルなる仕掛けが実はタイムスリップ機能を持っていて、それで現代と近世とを行き来するというコスチューム・プレイで、杉田玄白・田沼意次・松平定信・大槻玄沢など多彩な人物を交差させたファンタジック・コメディ。ただし、テンポのよさを命とするこの類の芝居としては出来栄えはきわめて悪い。小さな劇場にたくさんの仕掛けを盛り込んだための失敗とも、稽古不足とも、演出のまずさとも思われた。素顔に近い現代人と厚塗りの時代劇とのメイクが同じ空間を行き交うのもグロテスク。観客席はめいっぱいの椅子を入れて、幕が下りるまでの二時間、席を立つことができないのも、劇団としては配慮不足。苦痛であった。
 安永8年(1779年)、源内は大名屋敷の修理を請け負ったが、酒に酔って修理計画書を盗まれたと勘違いした末に、二人を殺傷して投獄され、十二月半ばに獄死したとされる。門下の杉田玄白らが葬儀を執り行うが、幕府から許可は下りず、墓碑、遺体もない葬送だったという説がある。しかし、この類につきものの諸説がありって定説をみない。台本はそのあたりを趣向にして書かれたのであろう。作・演出沢村紀行。
by bashomeeting | 2009-12-01 12:35 | Comments(0)
 昭和十一年十月号の『ホトトギス』雑詠巻頭句「づかづかと来て踊子にささやける」は高野素十の代表句のひとつ。同年八月に新潟県鳥屋野村の盆踊を見ての作である。ところが、山本健吉は『現代俳句』(昭39)でひとわたりの解説を加えて、「後記。この句は作者が外遊中の作と言う。…」と続ける。つまり健吉自身の見解でなく、伝聞である。彼に誤った情報を与えたのは誰かわからない。生前、その誤りを正す機会がなかったのであろう、山本健吉の権威がいくつもの孫引きを生んで今日にいたる。そのことをとやかくは言わない。ただ初出に当たらずにものを書くことの恐ろしさを知らしむべく、以下に初出誌『まはぎ』の全文を記す。ちなみに座五は「さゝやきぬ」。成案「ささやける」は『ホトトギス』雑詠選の際の虚子の添削か。

〔「づかづかと来て踊子にささやける」の初出〕

      近 郊 の こ と              高 野 素 十

 この夏は吉右衞門一座が旅興行にきたのであるが、その話は誰か書くといふ話であるから、一つ盆踊を見た話でもしようか。
 盆踊といへば龜田、といふ位に龜田の盆踊は有名なのであるが、あれはどうも困つたもので、少なからず邪道であると思ふ。假装もなる程結構ではあるが、馬を引つぱつた鹽原多助だとか、熊を胸にぶら下げた金時だとか、甚しいのはラヂオになつたりしたのだとかいふのがぞくぞく出て來ては盆踊の興を殺ぐこと夥しいものがある。
 盆踊はやはり揃つた笠、揃つた衣裳、揃つた手拍子足拍子といふものがなければ面白くないと思ふ。
 そこで話は鳥屋野村の盆踊のことになるのであるが、この村には順徳天皇の御遺跡や僧親鸞の遺跡がそこゝこにあり、こゝの踊といふのも親鸞聖人の教へたものとも、或は順徳天皇のおつきの女官達が大層窮迫されて食を求めた時の踊だとも傳はつてをるさうで、ロツカイ節といふのはどう書くのか、六階とでも書くか七ツの踊の手があり、鳥屋野、あねさ、切り込み、弓取り、たまへ、藤の花等のそれぞれ名前がある。盆踊りとしては相當こみ入つたものであり、これ等の踊の名前からも何か由緒がありさうな氣がする。
 この中の「たまへ」といふのは前に云つた女官達が「たまへ」「たまへ」と云つて踊つた、即ち食を乞ふた踊であつて、「呉れろ」「呉れろ」と云ふことで、あの手をしきりに出して踊るのがそれだと僕の側にをつた婆さんが叮嚀に教へてくれたのであつた。
 見ていて誠にもの静かな、雅びた、寧ろもの足りない位猥雑味のないさびしいものであつたが、この新潟といふやうな品のない町のすぐそばにかういふ踊が今に保存されてあつたといふことは誠に珍らしいことと云はねばなるまい。
 尤も例の僕の側の婆さんの説明によると、この鳥屋野村も昔は鬼のやうな人達が住んでをつて親鸞聖人にも順徳天皇にも一向に御奉仕などはせなかつたのであるが、次第に親鸞聖人の教化によつて、即ち思想善導によつて今のやうな立派な村人達になつたといふ話であつた。
 その昔の面影は然し踊を見物に行つた僕達に寄付金を求めて驚かしたことに一寸殘つてをるやうである。
     すいつちよの鳴く葎ある踊かな
     踊笠かむりて肩の聳えたり
     蝉なかす子のあちこちす踊かな
     蝉がとぶ踊櫓の提灯に
     たえずとぶ踊櫓の灯取蟲
     眞菰もて巻きし手摺や音頭取る
     づかづかと來て踊子にさゝやきぬ
 僕の前に孫をつれて跼(しやが)んで見てをつた婆さんが、もう歸り支度なのであらう、持つてきてをつた提灯に灯をつけたのだが、どうしたはづみかに消えてしまつた。さうするとお婆さん靜かに跼んだまゝ、自分のすぐそばにさつき捨てたマツチの棒がまだ燃えてをるのを見て之を拾つて再び提灯に灯をともした。が、その時はもうマツチの棒は殆んど燃えつきて指先に火がついたと思ふ位であつて、隨分熱かつたのではないかと思つたがお婆さんは實に悠々たるものであつた。そこでこのお婆さんは灯の入つた提灯を下げて立上るのかと思つて見てをるとさうではなく、やはり跼んだまゝで、今捨てたマツチの燃えさしが眞暗な土の上に光つてをるのを指さきで叮嚀にすりつぶして、それから尚も四邊を見て安心したやうに立上つたのであつた。
 かういふ動作は、このお婆さんにして見れば何十年間か毎日毎日繰り返してをつた日常のことなのであらうが、このマツチ一本をも大切にし、小さい燃えさしの火も粗末に扱はぬといふごく些細の動作が、やがて鳥屋野村の人々の古いつゝましやかな生活全體を見せられたやうで、大へん愉快であつた。
 尚このお婆さんは用心の雨傘を携へてをつた。
     踊の輪ひろくて人の數さびし
     この村の早く果てたる踊かな
                       ― 俳誌『まはぎ』昭和十一年九月号所載 ―

注・フォントの都合上、「く」を長大化した踊字は用いず、当該文字を繰り返した。また原文にあるルビは( )内に入れて本文に繰り込んだ。
by bashomeeting | 2009-12-01 07:28 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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