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海紅山房日誌

kaicoh.exblog.jp

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。

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もう寝なければと思い
一呼吸するために庭に出ると
茂吉の遠蛙が夜空にしみわたる
蕪村の杜鵑が鳴きわたる
もう寝なければと思う
by bashomeeting | 2010-05-26 01:28 | Comments(0)
  あなたの理論は素晴らしいけど愛すべき登場人物はどこへ行ったの
  病室のようだったならどうしよう震える指でチャイムを鳴らす
  諸説一覧書いて足れりの卒論に不満はないか二十八歳
  水道もガスもないのに最新の化学兵器はhelp youreself
  昨日まで自分が死ぬと思わずに七時のニュースを見ていた死者たち

〔海紅付記〕 第一首め「登場人物」に「マギーとトム」、第四首め「help youreself」に「ご自由に どうぞ」と傍記あるも、ブログの制約から忠実に掲出できなかった。作者は英文学者で歌人。歌集『葡萄の香り、噴水の匂い』は北冬舎から2010年4月20日刊。


  
by bashomeeting | 2010-05-24 01:00 | Comments(0)
 招提寺鑑真和尚来朝の時、船中七十余度の難をしのぎたまひ、御目のうち塩風吹き入りて、つひに御目盲させたまふ尊像を拝して、

  若葉して御目の雫ぬぐはばや

    ―芭蕉『笈の小文』(新潮日本古典集成『芭蕉文集』85頁)より―



〔鑑真和尚〕  第九次(七三二)の遣唐使一行には興福寺の僧栄叡(ようえい)と普照が加っていた。大使多治比広成(たじひのひろなり)らが帰国した後も、この二人は唐にとどまって正式に戒律をわが国に伝える高僧を招く努力をつづけた。そして天宝元年(天平十四年〈七四二〉)十月、唐の楊州に大明寺で、鑑真和上と出会う。(中略)面談した二人は鑑真和上に「仏法東流して日本国に至り、その法有ると雖(いえど)も、法を伝える人なし、むかし聖徳太子が『二百年後に聖教日本興る』と曰ふ。今この運に鐘(いた)る」と和上の来日を強く要望した。(中略)鑑真和上は「仏法興隆の国(日本)へ伝法する者はいないか」と問うたが、弟子たちは黙して語らず、しばらくして祥彦(しようげん)が日本は甚だしく遠く、渡航はきわめて困難で助かるのは難しく、中国に生まれかわることはさらに難しいのでみな黙っていると答えた。その通りである。「是法事のためなり、何ぞ身命を惜まんや、諸人いかずば我すなわはちいかんのみ」と。(中略)たびたび遭難し、遣唐副使大伴古麻呂の船で、その六度目、阿児奈波嶋(沖縄)から鑑真和上一行二十四名が薩摩秋妻屋浦(あきめやのうら、坊津)に上陸したのは天平勝宝五年(七五三)の十二月であった。鑑真和上らが平城京に入ったのは翌年の二月である。(中略)開山御影堂に安置されている高さ八一・八センチの盲目の鑑真和上とその北東の和上の御廟も見のがせない。(中略)最澄(伝教大師)が入唐以前に、鑑真和上のもたらした天台経典で学んでいたことは軽視できない。  ―上田正昭『大和路の旅』角川選書より―
by bashomeeting | 2010-05-23 21:50 | Comments(0)
 『俳壇年鑑』平成22年度版(5月1日刊)に掲載される「連句界この一年」を読んだ。そこで、執筆の二村文人さんが、「付心(つけごころ)」と「付味(つけあじ)」を明らかにする東明雅先生の連句注釈姿勢を評価していた。まったく同感である。関連して、連句における現代語訳に関する明雅先生の意見を〈連句注釈に厳しい指針を示したもの〉としている。これにも賛成。ただし、現代語訳に関する先生の意見は、そのまま発句にもあてはまると思っている。

〔付けの種類〕 前句の詞や物の縁による物付(ものづけ)、前句全体の意味や心持ちによる心付(句意付)がある。

〔付心〕 つけごころ。連句の附句において、前句をどのように受容し、対処するかという態度・姿勢をいう。各務支考が説いた有心附(有心・向付・起情)・会釈(会釈・拍子・色立)・遁句がよく知られている。関連する「付所(つけどころ)」とは、其人・其場・時節・時分・天相・時宜・観想・面影など、前句のさぐる手がかりのこと。

〔付味〕 つけあじ。前句と附句によって創り出される余情の世界を吟味するときの味わいの判定(『連句辞典』東京堂出版)。句意以外の勢いや情調で、うつり・響き・匂い(『去来抄』)という語で説かれる。

〔連句における現代語訳に関する明雅先生の意見〕 俳諧に現代語訳をつけるのは、蛇足かもしれないが、句意をどのくらい正確に理解しているか、それは結局は現代語訳にあらわれるものである。現代語訳を付けることは容易なようで難しく、誤魔化(ごまか)しがきかない。だから、作品鑑賞をする場合、自分の立場を明確にするためにも、現代語訳は必要で、現代語訳を付けないで曖昧なことを述べる批評や鑑賞を、私は信用できない。(中公新書『連句入門』148頁)
by bashomeeting | 2010-05-23 17:35 | Comments(0)
 背泳子さんが『雪』誌に連載していた「茨城の素十先生」が、『俳人 高野素十とふるさと茨城』(新潟雪書房、4月30日刊)となって出版された。ここには、ボクの好きな素十一門の世界のほとんどがある。

〔新潟雪書房〕950-2001 新潟市西区浦山3-1-27  電話025(267)9205
by bashomeeting | 2010-05-17 05:15 | Comments(0)
                             主催:芭蕉会議(http://www.basho.jp./)
                                       協賛:東洋大学俳諧ゼミ

                      第5回 「芭蕉会議の集い」の御案内

              ※出席のお申し込みは、事前に芭蕉会議事務局まで。

                 
 芭蕉会議は俳句を詠んだり、読み解きたい論文をみんなで協力して理解したり、時には旅に出たりする俳文芸愛好者の集まりです。年に一度は、ふだん親しくお話を伺えない方をお招きして、講演や懇親を目的に「芭蕉会議の集い」を開催しています。昨年は歌人の穂村弘さんをお招きして、有意義な時間を持つことができました。
 第5回を迎える今年は下記の通り、歌・小説・脚本と、多面的に御活躍の東直子さんに講演をお願いしています。昨年に続き、おとなり同士の短歌と俳句について考えたいと思いますので、万障お繰り合わせの上ご参加ください。

              記


◆ 日 時 平成22年6月20日(日)、 午後2時から
◆ 会 場 東洋大学白山校舎3号館3F(3303教室)
◆交 通 地下鉄(三田線白山駅徒歩5分。南北線本駒込駅徒歩8分)。
都バス(山の手線、巣鴨駅前から浅草雷門行き7分、東洋大学前下車)。

◆ 第1部 講話と講演(14時から17時)
1,芭蕉のことば―俳人のあるべき姿―   谷地 快一(14:00~15:00)
    (休 憩)
2,短歌と散文の狭間              東   直子(15:30~16:30)

◆ 第2部 懇親会(17時30分から19時30分)
会場:東洋大学白山校舎4号館 1階の「カフェ ステラ」

◆ 会 費 第1部 = 無料 懇親会 = 2,000円
by bashomeeting | 2010-05-10 10:59 | Comments(0)
 現代踏繪            白觚 森脇逸男
不想今猶踏繪存  想わざりき今猶踏絵存すと
國歌齊唱亦爲寃  国歌の斉唱 また寃(わざわい)を為す
遲疑起立忽懲戒  起立を遅疑すれば忽ち懲戒
何異將軍専制門  何ぞ異ならん将軍専制の門と

               ―『裁錦會詩集Ⅹ』より―

〔裁錦會〕  昭和六年(一九三一)一月、学士会に発足した漢詩人の会。代表幹事亘信夫。戦中戦後の中断を経て、昭和四十二年に再開。『裁錦會詩集Ⅹ』序によれば、〈現在は隔月に例会にを開いて、会員が自主的に創作した詩草について、自由に討論し、お互いの詩力の向上に努め切磋琢磨し、推敲を重ねた詩稿を学士会会報に「裁錦会詩草」として掲載、発表〉、〈我が国最古の漢詩集「懐風藻」以来千三百年の日本漢詩の伝統を受け継ぎ、今後の漢詩・詩壇の振興と隆盛に少しでも役立てば幸い〉とある。『裁錦會詩集』は三年に一度を目途にして学士会裁錦会(千代田区神田錦町3)から発行される合同詩集で、第十集は2010年4月刊。
by bashomeeting | 2010-05-08 07:25 | Comments(0)
 宗教のことをなにげなく書いていたら、お盆と神社の祭礼の〈明らかな違いは、お盆では祖先の個人の霊を対象にしているのに対し、神社の祭礼は過去に冥界に逝った祖先の霊が一塊になって帰ってくるのである。仏教は個人の宗教であり、神道は集団の宗教なのである〉(瓜生中『知っておきたい日本人のアイデンティティ』角川ソフィア文庫、P86)という解説に遭遇した。本当だろうか、おもしろい国である。
by bashomeeting | 2010-05-01 18:11 | Comments(0)
 四月三十日(金)、井本商三(俳号田痴)さんの告別式が聖イグナチオ教会で行われて、弔辞(お別れのことば)を述べた。長い間、氏はボクにとって井本農一先生の弟さんであったが、昭和二十一年十一月に作家であった父の井本健作(青木健作。俳号兀山人)が、敗戦の虚脱に潤いを取り戻したいという意図ではじめた無花果句会の第六代庵主を引き受けることになって、近年は風雅の交わりが続いていた。それで弔辞を求められたのである。

 聖イグナチオ教会は、上智大学に隣接するカトリック教会である。教会での葬送には何度か参列したが、このたびは、後部席でおそるおそる手を合わせるわけにゆかない。それでミサの始まる三十分前には着くようにでかけた。

 カトリックはミサも告別式もきわめてシンプルである。そのほとんどは聖歌で占められて、歌詞や曲にひとつも難解なところはない。ボクはその四曲のすべてに唱和した。一神教においては難しいことを説く必要はないのだろうと思われた。

 アニミズムという原初的な信仰の上に祖霊信仰を重ねている日本は、なんとなく仏教の国であると思いがちだが、外来宗教という意味ではキリスト教と仏教は同じである。日本に入ってきた時期がちがうだけである。だが、仏教の歴史の方がはるかに長いにもかかわらず、そのお葬式はいつまでも難解である。お経の意味が骨髄までなかなか届かない。なのに、仏教徒が多いわけは、市民革命のような時代がなかったからだろうか。いや、市民革命は一神教の世界でしか起こりえないのかもしれない。

〔無花果句会〕 昭和二一年(一九四六)、作家井本兀山人(青木健作)が〈終戦直後の一般的な虚脱と混濁のさ中にあって、せめては清純な清水に渇を癒やしたい〉(『無花果』3号、あとがき)と願ってはじめた俳句会で合同句集『無花果』を編んで二十輯におよぶ。。歴代庵主に、井本健作(初代)・井本農一(二代)・高藤武馬(三代)・青木幹生(四代)・井本商三(五代)があり、平成十九年(二〇〇七)からは谷地快一(六代)がつとめている。ちなみに、井本兀山人(健作)の長男は農一(庵号茫亭)、三男が商三(俳号田痴)。

〔アニミズム〕 自然界のすべての事物にアニマ(霊魂)が宿るという信仰。


 
by bashomeeting | 2010-05-01 17:32 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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