海紅山房日誌

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9月10日(金)
 前泊の蕉風荘の夕食は、一尾の小鯛がつく贅沢なもので、粗食が趣味のボクには似合わなかった。ひとりの夕食には似合わないほど立派であった。地元のお酒をいただいて眠る。

9月11日(土)
 お昼時も土砂降りが予想されたので、公民館のすすめに従って、仕出し弁当を頼んだ。箸袋には「エプロン」というお店の名前が書かれていた。
 夕食はどうするという話になる。ほとんどが旅館に予約していない様子だった。知らない町なので、一緒にとりたいという人が多かった。でもどこにどんな店があるやら不案内。結局、蕉風荘に交渉して、そのレストランにお世話になる。少し高めのラーメン程度の予算でお願いしたのに、また全員に昨晩と同じ小鯛がついた。これでは赤字だろうと恐れ入ると、女将はボクに昨夜と同じで申し訳ないと恐縮していた。受講生以外に、飛び入り参加の学生が四名加って楽しかった。

9月12日(日)
 この日はどうにか晴れ間がみえて、『おくのほそ道』象潟散歩はこのタイミングしかないと思われた。それで、昼食は各自勝手にとることに。象潟散歩には、夜行バスで卒業生がひとり加った。
 二日目の夕食は毎年懇親会を予定していて、場所は狐森神社を下ったところにある「はまやま」(狐森103-2)というお店。これも蕉風荘さんが教えてくれたお店。なんと、また小鯛が並んだ。

9月13日(月)
 月曜はエプロン定休日と聞いて困っていたら、ラーメンの出前ならあるという。昼食はラーメンにした。「中国酒菜 珍満」という店だった。旅に出たら、かならずその町のラーメンを食べる、ラーメンには地方色がいっぱいだと、誰かが言った。そうかもしれないと思った。
by bashomeeting | 2010-09-28 07:26 | Comments(7)
 こんな話もした。
 『おくのほそ道』は諸国一見の旅である。ここにいう諸国とは元禄時代の九つの国で、武蔵・下野・陸奥・出羽・越後・越中・加賀・越前・美濃をいう。
 この諸国を『おくのほそ道』の内容に重ねてみると、武蔵(深川・千住・草加)、下野(室の八島・日光山・那須野・黒羽・雲巌寺・殺生石・遊行柳)、陸奥(白河の関・須賀川・安積山・信夫の里・飯塚の里・笠島・武隈の松・宮城野・壺の碑・末の松山・塩竃の浦・塩竃明神・松島・瑞巌寺・石巻・平泉・尿前の関)、出羽(尾花沢・立石寺・最上川・出羽三山・鶴岡・酒田・象潟)、越後(越後路)、越中(市振・那古)、加賀(金沢・小松・那谷寺・山中温泉・全昌寺)、越前(汐越の松・天龍寺・永平寺・福井・敦賀・色の浜)、美濃(大垣)となる。なお、市振は厳密には越中ではなく越後路だが、『おくのほそ道』では越中として扱っているので、ここは作者の認識に従う。
 『おくのほそ道』の中で、九つの国がそれぞれ占める分量の比率は、武蔵(5%)・下野(14%)・陸奥(33%)・出羽(20%)・越後(1%)・越中(5%)・加賀(9%)・越前(11%)・美濃(2%)である。つまり、『おくのほそ道』は陸奥と出羽で53%を占めていて、陸奥の入り口までの下野を含めると実に全体の67%に及ぶ。これは冒頭の草庵出立の章に「春立てる霞の空に白河の関こえん」とか、「松嶋の月先づ心にかゝりて」とあり、日光山の章に「このたび、松島・象潟の眺めともにせん」とあるとおり、『おくのほそ道』とは陸奥・出羽を訪ねる旅であったことを意味する。すなわち、旅の第一夜である草加の章に「奥羽長途の行脚只かりそめに思いたちて」とあることと符合する。奥羽とは陸奥国と出羽国の略称であった。
 こうしてみると、『おくのほそ道』という作品の構造は明らかで、説くまでもないのだが、研究史には実にユニークな論が展開されている。その最たるものが連句構造論である。しかし、多くの読者は連句なる韻文の知識がないから、その可否について論じようもない。それで、連句に関する基礎知識を講じ、『おくのほそ道』を連句的に理解することが適切かどうかを、あなた方に自分で考えてもらうのだ。
 ほとんどの学生は、俳諧をきわめて規則にうるさく、知的で難解な連想ゲームととらえて敬遠する。しかし、連歌とはどのような場からうまれて俳諧の連歌の時代を迎え、その流行が俳諧という名称をうみ、「みやび」という古い美学を抜け出して「俗」という新しい世界を創造したかを知れば、きっと親しみを覚えるであろう。
 教養を競う公家ならずとも、この雅語を駆使できない俗人ゆえに描き得るあたらしい世界は、不幸にも明治時代の知識人のInferiority Complex によっておとしめられたが、実は今も根強く生き延びている。その魅力は、付句の作者が交代する緊張感と、それに伴う姿情(詩情)の美しい変化にある。しかし『おくのほそ道』の全編は芭蕉と曽良という登場人物が支配するものがたりで、付句作者に似た変化も交代もない。この点だけでも、連句構造論を批判するひとつの糸口になるのではなかろうか。
by bashomeeting | 2010-09-28 06:46 | Comments(0)
 こんな話をした。
 この作品の旅人は諸国一見の僧を気どっている。しかし出家はしていない。していないことが、ことさら出家した僧へのあこがれとなっている。その人とは具体的に能因であり、西行である。その足跡を辿ることを通して、自分の心に生まれ出づるものをすくい取ろうとしている。したがって、『おくのほそ道』が歌枕探訪の旅にみえるとしても、厳密な歌枕探訪ではない。陸奥と出羽を中心とする能因・西行の足跡を訪い、その伝承にふれることが自体がよろこびなのだ。この作品の旅人自身が、僧にもあらず、俗にもあらずと書いているではないか。望んでも果たせなかった曖昧な存在としての人間、そういう自分を蝙蝠にたとえている。人生すでに晩年にある身は、僧でも俗でもない中途半端な生涯を受け入れているのだ。これでよいのだと認めている。その諦観はどこから来たか。私はそれを禅(ヨーガ)と考えている。禅とは心静かになること。雑念を置き去りにして落ち着くこと、自分のことを考えることである。それは日光山や雲巌寺、そして立石寺など、『おくのほそ道』のあちこちに見えているが、それでもわからないなら、「幻住庵記」を読むことだ、『笈の小文』のおさらいをすることだ。
by bashomeeting | 2010-09-27 14:53 | Comments(0)
   夕焼けの移ろひまでも映しつつやがて暮れゆく大きなる池

〔解題〕角川書店「21世紀歌人シリーズ」のひとつ。平成22年3月15日刊。神作光一氏にとっては『冴え返る日』『未来都市』『風に鳴る絵馬』『秋の信濃路』に次ぐ第五歌集。読み了えて、氏の近年の体調が必ずしも万全でないことを知る。掲出歌は巻軸の一首である。
by bashomeeting | 2010-09-22 06:27 | Comments(0)
 今月は『おくのほそ道』の日光から雲巌寺あたりを読んだ。日光では仏五左衛門を滑稽化された人物と説明するような解説書は捨てましょうと言って笑った。東照神君への鑽仰を指摘して、わかった気になるようではだめだと話した。

  あらたふと青葉若葉の日の光
 この句に、自然のエネルギーとしての神仏を読み取れないようでは『おくのほそ道』は理解できない。作品をひとすじの道として読んでほしいと告げた。

  しばらくは滝に籠もるや夏の初め
 日本という国は、信仰とか修行といえば艱難辛苦に耐える姿を想像しがちだが、夏安居の本来は艱難辛苦を避けて、ひたすら心の平安を求める環境をつくり、そこで心静かになることだ。けっして健康を害する危険のある修行を選ぶことではない。それがすなわち禅(ヨーガ)である。ヨーガとは心静かになるということであり、無為自然とは作為を離れて自分の原点について考えることである。ゆめゆめ忘我をめざすことではない。この句にはそうした修行へのあこがれがあらわれている。

 これは光明寺の、
  夏山に足駄を拝む首途かな
という句についても同じである。

 雲巌寺の文章に芭蕉が紹介する仏頂和尚の、
  竪横の五尺にたらぬ草の庵結ぶもくやし雨なかりせば
という道歌についても同じである。雨でさえ、心の安寧を妨げるものとして避けるのだ。それが妙禅師の死関、法雲法師の石室をさえ思わせると言っているのだ。当然木啄は遠慮せざるを得ないだろう。
by bashomeeting | 2010-09-20 04:41 | Comments(0)
 大宮駅の構内で、思いの外にまずい立ち食いそばを昼食にして、新幹線に乗って終着の新潟で特急いなほに乗り換えて、三十年ぶりの象潟へ。三日間の『おくのほそ道』集中講義(スクーリング)の旅であった。観光業界では、文学作品を講じて、その地を旅するという類の企画は「重すぎる商品」として敬遠されていることを最近学んだが、今回の私の仕事はまさにそれだろう。

 夕暮れの羽越線は美しい。日本海側に山が見えると、一瞬佐渡かと胸が躍るが、海の見える指定席はそんな高さにはない。その佐渡の彼方が少しずつ赤く染ってゆく。車窓の左右にひろがる稲穂が、このところの豪雨にところどころ倒れ臥している。旅人も背もたれを倒し、靴を脱いでくつろぐ。特急いなほが鈍行列車のように感じられるのは、新幹線に狎れきってしまったからか。のんびりとした時間が流れる。十日ほど前に一泊した村上あたりでは蝗が群れ飛んで、あたりをしばらく暗くして見せた。

 村上を出ると、いくつものトンネルを出たり入ったり。そのあいまに瀬波海岸の宿が見える。十日前の泊まった温泉である。粟島はトンネルを出るたびに何度も見える。岩や木に注連が飾ってあるのを見る。ときどき海辺の墓地もある。すべてが夕日を背景にしている。空が悲しいほどにひろい。『おくのほそ道』の旅をしているのに、なぜ今日はひとりなのだろうとふと思う。こうした旅はいつも先生と一緒ではなかったかと。懐旧にひたる。

 鶴岡あたりで乗ってくる人の言葉に懐かしく耳をかたむける。このあたりまで来ると、言葉のなまりが故郷の北海道に急に似てくるのだ。電車の左から右へと場所を移す鳥海山を目で追う。そして、〈『おくのほそ道』は文学作品なのだから、作品を読めばよいのであって、ことさらに旅などする必要はない〉という意見はやはり嘘だなあと思う。

 十八時三十分に象潟に着いて、タクシーで蕉風荘に向かう。運転手が、天気予報では明日も明後日も雨だと、旅人を気の毒がる。旅人は〈旅にあいにく…、はない〉と独りごとを言う。そうだ、明日の講義はこの言葉からはじめよう、と思う。旅にあいにくの雨というものはない、あいにくの晴れがないのと同様に。蕉風荘は海に浮かぶような場所にあった。玄関灯に照らされて、まだ合歓の花が残っているのが見えた。

 海辺の松を吹く風の音で目覚める。鴉が五時四十五分に啼く。雲は忙しく動き、海が荒れ始めた。運転手の心配が的中した。ものかは!〈雨も又奇なりとせば、雨後の晴色又頼もしき〉である。かいがいしい女将の言葉が懐かしくて、尋ねるとやはり北海道の人であった。
by bashomeeting | 2010-09-16 17:02 | Comments(0)
 八月の六日に無事に女の子が生まれたいう。兄弟姉妹でも、親戚でも、またわが孫のことでもないから、その知らせがボクのところに届くのに時間がかかったけれど、赤ちゃんの話題はまことに久しぶりで、うれしかった。立秋は八月七日だったから、今は深まりゆく秋を少しずつ実感しながら、忙しいながらも充実した毎日を過ごしているにちがいない。

   新涼の着せて真白き産着かな   海 紅
by bashomeeting | 2010-09-15 17:40 | Comments(0)

子規の写生、漱石の写生

 四日に開かれた「論文を読む会」の当番は無迅さんで、話の主題は、子規の写生と漱石の写生に違いを見届けようとするものであった。きわめて興味深い話だが、ボクは前半の三分の一程度を聞いて、仕事で中座せざるを得なかった。ザンネン。よって、その結論は聞いていないのだが、引用する資料は確かなものであったから、ぜひこの小さな種をまいて水をやり、お天道様に栄養をもらいながら、大切に育ててほしいと思う。結論を急がずに、大きな花を咲かせてほしいと思う。

〔発表者引用の参考文献〕
◎松井貴子『写生の変容―フォンタネージから子規、そして直哉へ』明治書院 平14.3
・河野元昭「写生の源泉―中国―」 『秋山光和博士古稀記念美術史論文集』(便利堂 平3.7)所収
・河野元昭「江戸時代『写生』考」 山根有三先生古稀記念会編『日本絵画史の研究』(吉川弘文館 平1.10)所収
・佐藤道信「絵画と言語(3)『写実』『写真』『写生』」(東京藝術大学美術学部紀要30  平8.■)
◎和田利男『子規と漱石』めるくまーる社 昭51.8
◎平岡敏夫『漱石研究 ESSAY ON SOSEKI』有精堂出版 昭62.9
◎松井利彦『士魂の文学 正岡子規』新典社 日本の作家40 昭61.4
◎松井利彦『子規と漱石』花神社 昭61.11
◎山下一海『俳句で読む 子規の生涯』永田書房 平4.3
◎松井利彦『正岡子規』桜楓社 新訂俳句シリーズ 人と作品4 昭54.12
◎多湖輝『正岡子規 運命を明るいものに変えてしまった男』新講社 平13.12
◎小森陽一著『漱石論―21世紀を生き抜くために』岩波書店 平22.5
by bashomeeting | 2010-09-08 17:07 | Comments(0)
 八月の末に、新潟の村上市探訪の旅を御一緒したミチコさんが、安吾を顕彰する新潟の資料を送ってくれた。

1,生誕の地付近、会津八一記念館の近くに「安吾 風の館」という記念館ができている。旧市長公舎を利用したもので、遺愛品や作品資料が展示されているようだ。その紹介をする新潟日報ももらった。
2,「安吾雑報」68号。こんなものがあることも知らなかった。

     秋桜と海をみてゐる安吾の碑     海紅
by bashomeeting | 2010-09-08 16:28 | Comments(0)
 四日の「論文を読む会」の打ち上げで、〈連句は復活するか〉という話題がでた。
 ボクは、〈復活という言葉は一度死んだものが蘇生する際に用いる。とすると、連句は一度も死んではいないのではなかろうか〉と言った。子規による連俳非文学論によって、〈連句に未来はない〉と、まことしやかに言う人は今も少なくないけれど、その人たちで連句を知っている人はあまりいないのではないか。実は子規自身も〈連句のおもしろさを知らずに連句批判をしてしまった〉と、どこかで後悔していた。とすれば、連句は歴史上一度もまともに否定されたことはないといってよいかも。
 さらに続けて言った。いまボクらは連句の愉しみをきちんと知って、いわゆる「俳句」にその愉しみを求め得るかどうかを考える必要がある。ただし、現今おこなわれているように、江戸時代の式目に叶うかどうかを付合の基準にして捌くようでは、なかなか初心におもしろみはわからない。だって、それでは懐古趣味だもの。ボクは連句のおもしろさを学生にわかってもらうために、芭蕉の連句でさえ、いまふうに翻案して教材にしているよ、と言った。出典がわからないので引用しにくいが、千利休は〈茶の湯とは、ただ湯を沸かし、茶をたてて飲むばかりなることと知るべし〉と言ったらしい。これは原初の姿を忘れるなということだろう。とすれば、この冒険の意義は東明雅先生もわかってくれると思う。
 聞いていた何人かが、〈その翻案をみせろ〉と反応した。それで、以下に掲出する。『おくのほそ道』の途中、陸奥の須賀川で巻いた「風流の」歌仙である。余計なことながら、比較参照のために古典本文も附記する。

◆海紅翻案「風流の」歌仙、いまふうに

     福島県須賀川市の
     相楽君の家で

1  めずらしい田植歌を聞いたよ
2  田舎だから、野苺しかなくて
3  岸辺の水をせき止めて、きっと昼寝の石だね
4  魚籠に元気な鰍の泳ぐ音
5  柳が散りはじめて、月も淋しげで
6  総出の屋根葺きが村の風物詩
7  賤の女が、念仏踊一行に茶を摂待して
8  莚に涼んで、楽しそうだね
9  蝉の声に、うつらうつらとしちまった……
10 樟の枝で「あの子に逢いたい」って啼いてるのさ
11 嫁が憎くけりゃ、その畑まで憎い
12 霜の山を仰げば、白髪の人が偲ばれる
13 出陣の酒盛りにこの関所まで来たものよ
14 秋のあわれを和歌に詠んだ僧もいてね
15 夜更けの草庵に鹿が飛び込んだことも
16 御伽の女が泣き伏す空に美しい配所の月
17 今年は花見を断念して寺籠もりです
18 お骨拾いを陽炎が包んでいます
19 雉子の尾のように、長生きすることに
20 芹摘むころは水の冷たき
21 薪を積み出した一本の橇の道が見えて
22 持久戦に入って、冬籠もりする武士ばかり
23 ラブレターを書いたこともない人生だった
24 宮様の愛されて、村の噂になっちゃって
25 彼の手枕に手を入れて、愛し合ったわ
26 なんか、今年の七夕はつまんない
27 転居したら、新しい気持ちで月を眺めてね
28 芒が赤らんで、まるで六条御息所
29 お供えに樒の枝、でも枝振りが気にくわない
30 山深くでツグミの声が時雨れている
31 温泉は淋しく、湯守も寒々とするばかり
32 殺生石の下を走る川音
33 馬上の上人を案内して、花の里はまだ遠くだ
34 まだ寒い春風で、酔いがすっかり醒めちゃった
35 六十歳を過ぎてからだよ、人生の正月は
36 飼屋の棚に春着の小袖がきれいに置かれている


〔「風流の」歌仙〕

     奥州岩瀬郡之内、須か川、
     相楽伊左衛門ニテ

1  風流の初やおくの田植歌     翁
2  覆盆子を折て我まうけ草     等躬
3  水せきて昼寝の石やなほすらん  曽良
4  魚籠に鰍の声生かす也      翁
5  一葉して月に益なき川柳     等
6  雇にやねふく村ぞ秋なる     曽良
7  賤の女が上総念仏に茶を汲て   翁
8  世をたのしやとすずむ敷もの   等
9  有時は蝉にも夢の入ぬらん    曽
10 樟の小枝に恋をへだてゝ     翁
11 恨ては嫁が畑の名もにくし    等
12 霜降山や白髪おもかげ      曽
13 酒盛は軍を送る関に来て     翁
14 秋をしる身とものよみし僧    等
15 更ル夜の壁突破る鹿の角     曽
16 嶋の御伽の泣ふせる月      翁
17 色々の祈を花にこもりゐて    等
18 かなしき骨をつなぐ糸遊     曽
19 山鳥の尾におくとしやむかふらん 翁
20 芹掘ばかり清水つめたき     等
21 薪引雪車一筋の跡有て      曽
22 おのおの武士の冬籠る宿     翁
23 筆とらぬ物ゆゑ恋の世にあはず  等
24 宮にめされしうき名はづかし   曽
25 手枕にほそき肱をさし入れて   翁
26 何やら事のたらぬ七夕      等
27 住かへる宿の柱の月を見よ    曽
28 薄あからむ六条が髪       翁
29 切樒枝うるさゝに撰残し     等
30 太山つぐみの声ぞ時雨るゝ    曽
31 さびしさや湯守も寒くなるまゝに 翁
32 殺生石の下はしる水       等
33 花遠き馬に遊行を導きて     曽
34 酒のまよひのさむる春風     翁
35 六十の後こそ人の正月なれ    等
36 蠶飼する屋に小袖かさなる    曽

        ―曽良「俳諧書留」による
by bashomeeting | 2010-09-06 15:49 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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