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海紅山房日誌

kaicoh.exblog.jp

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。

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輪飾の扉を出入り受験の子     海紅
みかん転がる廊下冷たく      万季
傾きし冬日追ひかけ猫眠る     由香
風に吹かれて薫る焼畑       ふじ子
チョー伸びたスカイツリーの横に月 愛
秋刀魚焦げつきけむる七輪     恵美子
鈴虫を時々聴いてホームレス    由香
けふこそ職を得させ給へと     憲治
千円の指輪はづして着るスーツ   ふじ子
三越前を乳母車行く        憲治
耳たぶに彼の面影梅の花      絵美

〔解題〕俳諧演習クラス(3,4年)の締めくくりに、平成23年1月6日(木)と13日(木)の2日間を利用して、連句の創作に挑んだ。解釈と鑑賞をしながらの付合だったので、全十一句で時間切れ。今年度は三年生15名、四年生10名の一年間であった。学生諸君、俳諧などという不思議な分野にお付き合いいただきありがとう。
by bashomeeting | 2011-01-16 10:51 | Comments(0)

迎春

ココマデ書イテ、ドウニカ平成22年ガ終ワツタヨウナ気持チニナツテキタ、ツミノコシタ仕事ハマダイクラモアルケレド、コノアタリデ心ノ中ノ新年ヲムカエヨウトオモウ

  2011年辛卯歳旦
山見ゆる窓に住み馴れ年新た  海 紅
by bashomeeting | 2011-01-01 17:23 | Comments(0)
 旧臘二十五日(土)は俳人U女史の仲介で、法政大学人間環境学部で蕪村の話をした。俳人で中国哲学・文学を専門とする日原傳氏のお世話になった。世間ではクリスマス一色のこの日は、旧暦と新暦の問題はあるものの、実は与謝蕪村の忌日。よって「俳人蕪村の原風景」というタイトルにした。ふだん江戸時代の学芸に触れる機会の少ない学部というお話だったので、俳句とは異なる俳諧というジャンルがどのようなものかを解説し、その流れで与謝蕪村の本質的な魅力を説くという計画になった。

 秋の夜の会話   草野 心平

さむいね
ああさむいね
虫がないてるね
ああ虫がないてるね
もうすぐ土の中だね
土の中はいやだね
痩せたね
君もずゐぶん痩せたね
どこがこんなに切ないんだらうね
腹だらうかね
腹とつたら死ぬだらうね
死にたくはないね
さむいね
ああ虫がないてるね

 まず、心平のこの詩を朗読し、詩の主が二匹の蛙で、舞台は秋であること、しかし日本語には定まった季節があるという古典語の視点でいうと、「蛙」は春季で、「虫」は秋季、また「さむい」は冬季というふうに、三つの季節が混在していること、近代文学以降はやかましく言わないけれど、日本の古典文化を愉しむには、このあたりへの目配りが不可欠であると説いた。そしてなにより心平のこの詩には、一行一行が緊密な関係をもちつつ、物語られる一つの筋があることを確認した。

古池やかはづ飛こむ水の音        はせを
芦のわか葉にかゝる蜘(くも)の巣    其 角
        暁台編『幽蘭集』(寛政11)

 次に、蛙つながりでこの芭蕉の句を、其角の脇句とともに示し、芭蕉・蕪村そして一茶という人たちが本業と考えていた形式が、連句(俳諧之連歌)という他者との合作であること、ゆえに一行一行の緊密度はゆるく、その空白を補いながら味わう文芸であったことを説いた。
 とはいえ、こうした連句は芭蕉とそのグループが高い文芸性を実現したが、いまから振り返ると、その流行は蕪村のころに早くも下降しはじめている。つまり、蕪村の連句の魅力は、その発句(俳句)の魅力に及ばない。蕪村は芭蕉連句の魅力を俳句で実現した人と考えてよい。その名句とされる句々はおおよそ「北寿老仙をいたむ」同様の淋しい景色である。蕪村の句が淋しすぎる理由は生い立ちにあって、「春風馬堤曲」の主人公である藪入り娘には蕪村の姉が、ラストシーンで「弟」を抱いて立つ「白髪の人」には祖母が投影されており、「弟」とは蕪村自身と見て誤らないと思われると説いた。蕪村の淋しさは、すでに幼児期に両親の情愛からかけ離れた境遇で育ったことにあると思う。研究者には評判は悪いが、朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」という読みはかなり正しいものであったように思うと述べた。
by bashomeeting | 2011-01-01 17:06 | Comments(0)
 平成22年10月16日(土)、徳島で行われる俳文学会(於四国大学)出席のために羽田に向かう。浜松町でモノレールのホームに並んでいると、私の後ろで夫婦らしい北海道訛りの会話が聞こえる。時折幼児の声もまじる。ふるさとの匂いを嗅ぐようで懐かしい。ドアが開いて、四人掛けの席につくと、ボクの前にその三人がすわった。どこかで見た顔である。しばらくして、それがNHKドラマの『龍馬伝』に出ていた大泉洋氏であることに気づく。人なつこい眼が、ときどきボクを見る。同じ北海道を郷里とするボクは、帰郷するらしい、この三人をうらやましく思う。そして、ボクの旅にとって、幸先よいスタートだとも思う。俳文学会に出た後は龍馬人気で賑わう高知に移動してS氏と再会し、少しの資料調査と、少しの歴史散歩を予定しているからだ。大泉洋氏演じる近藤長次郎は、饅頭屋のせがれとして生まれて武家となり、勝海舟の門人として龍馬と行動を共にしたが、不正に英国留学を計画した廉で二十九歳で切腹した人物である。この長次郎の生涯には、龍馬や半平太以上の親しみを覚えていた▲羽田発9時45分のJAL。座席35H。11時に徳島空港着。会議にやや時間があるので、今宵の宿である「メイアップ」(幸町)に荷物を預けに立ち寄ってから会場に向かう。ハンカチを忘れたことに気が付いて、ポッポ街商店街の「プチレディ」という店で買う▲学会の一通りのスケジュールをこなして懇親会に出たが、時間をもてあまして一人帰途につく。宿の近くの季節料理屋で独酌。寝酒のつもり。土地の匂いをかぐのが好きなのだ。あるじに焼き魚の食べっぷりをほめられる。部屋番号407▲翌朝、ホテルの朝食を済ませて、徒歩で15分の徳島駅に向かう。駅近くのビストロ「かぷり」でコーヒーを飲んで、駅前にある「徳島唯一のういろ専門店 ふくや」で買物。S氏が引き合わせてくれるT氏へのお土産のつもりである▲9時3分の特急剣山3号で徳島を発つ。10時14分阿波池田で南風3号(アンパンマン電車)に乗り換えて、高知を11時29分に通過、ちょうど12時に佐川着。このラインに乗るのは初めてだったが、大歩危や小歩危をはじめ、美しい自然に見とれてしまう。佐川の改札にはSが笑顔で立っていた。◆まずT氏宅を訪ねて挨拶し、一緒にSの草庵に向かう。庭にこぼれる大きな落栗が美しかった。Sの御両親と対面。お二人のお世話で昼食をよばれた▲食後は御両親と別れて青山文庫に向かい、幕末の俳諧史の一端を学び、展示されていた田中光顕コレクションを見た。T氏の家に残る資料は、この地に伊勢派の俳諧が定着して近代を迎えていたことを証明する▲青山文庫の「青山」は田中光顕の号である。彼は二人半扶持のまずしい家に生まれた。旧姓名は濱田辰弥。元治元年(一八六四)、土佐藩の弾圧に耐えかねて土佐勤王党の仲間と脱藩し、瀬戸内に面した周防(三田尻港)にあった招賢閣に入る。この地は古くから毛利家の海軍の根拠地として整備され、当時は幕末の志士の会合所であった。龍馬が殺害された現場に最初に駆けつけたのも田中光顕であったと聞かされた。明治以後の光顕は警視総監を経て、宮内大臣を務めて昭和十一年(一九三六)に九十七歳で没している。どこかで聞いた名前であると思っていたが、たしか一時期の光顕は関口芭蕉庵(東京文京区関口)の所有者で、宋の范石湖の七言絶句を石碑にして芭蕉庵に建てた人物ではなかったかと思う。なお、学芸員のFさんが、いまはボクの同僚となっているK教授・M教授の共通の教え子さんと聞いて驚いてしまった。世間は狭い▲佐川町はサカワと清音に読む。藩政期は深尾氏の領地で、土佐随一の学校といわれた郷校「名教館」があって、独自の文化圏を形成した町とのこと。石灰岩質に富む地質を持ち、この地独特の多様な植生を育んできたこの町が牧野富太郎を生んだことはうなづける気がした。青源寺庭園、芭蕉句碑二基、牧野富太郎誕生地などに案内され、黒鉄ヒロシ氏も佐川ゆかりと教えられる▲高知駅前に据えられた「啄木の父 石川一禎終焉の地」という石碑に案内された。「よく怒る人にてありしわが父のひごろ怒らず怒れと思ふ 啄木」「寒けれど衣かるべき方もなしかかり小舟に旅ねせし夜は 一禎」の二首が刻まれる▲S氏がお世話してくれた「高知アネックスホテル」(廿代町)で、M女・T女・K女と合流、はりまや商店街のはずれ、魚の棚のそばにある「土佐黒潮丸」という店で夕食。誘われるままに帯屋町の「伯爵」という店で二次会をして宿に戻る。鰹、鮎のひらきその他、美食に酔う結果になる。酒は「文佳人」であった▲二日目は五人で「MY遊バス」という周遊観光バスに乗る。五台山展望台を経て桂浜、龍馬記念館、竹林寺などをめぐる。昼食は牧野植物園内のレストラン「アンブル」▲桂浜の龍馬像の右脇には、観光客のために櫓が組んであり、そこに登って自分の目の高さにいる龍馬像をながめ、龍馬と同じ目の高さで土佐の海をながめた。龍馬記念館への登り口にある「海底に珊瑚花咲く沙魚を釣る 虚子」という句碑も見た▲「土佐・龍馬であい博推進協議会」が作った『幕末維新の土佐 探訪図会』という冊子は素晴らしい内容であった。

  佐川町に千年氏を訪ふ
山八重に水澄む里のゆゑにかな   海紅
草香庵のイガ栗に客           千年
月の江をめぐる女に鰡跳ねて    つゆ草
日曜市に龍馬見かくる         千寿子
花の宴江戸の訛りが板に付き     主美
父母います里に摘草           執筆
by bashomeeting | 2011-01-01 10:29 | Comments(0)

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