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「ねんてんの今日の一句」2011年3月27日

古畑や薺摘み行く男ども 松尾芭蕉

 芭蕉にだってほとんど話題になることのない句がある。今日の句もそのひとつ。この句では「男ども」の正体が分からない。七草の薺を男たちが用意した、というのだろうか。それはともかく、この句を作った同じ年に芭蕉は「古池や蛙飛び込む水の音」と詠んだ。この時期、芭蕉は「古畑」「古池」という「古」のつく言い方にこだわったのだろうか。
 谷地快一から『写真で歩く奥の細道』(三省堂)を貰った。俳文学者、久富哲雄の写した写真を通して芭蕉の「おくのほそ道」を鑑賞しようという試みの本。編集、語釈などは谷地による。彼の解説によると、「おくのほそ道」の文章量は陸奥、出羽が半分以上を占めるという。こんどの震災の地に心を寄せていたのだ、元禄の芭蕉は。

〔附記〕「ねんてん」とは坪内稔典(つぼうち としのり)氏の俳号の読みかた。氏は俳人で京都教育大学名誉教授。現在佛教大学教授。子規や漱石研究で知られ、俳句と批評誌「船団の会」代表。
by bashomeeting | 2011-03-31 11:24 | Comments(0)
 ―― 電気がないと、こんなに静かなんだ。
 計画停電による暗闇に、母親がロウソクを持ち出して火をともすと、次女がつぶやいた。
 ―― だれかの誕生日みたい。
 とも言った。ボクはそのロウソクの火で、無花果句会の選をした。
by bashomeeting | 2011-03-29 09:36 | Comments(0)

新方丈記5◆天災も人災

 石原慎太郎氏はこのたびの地震を「天罰」と発言して、撤回して、陳謝した(東京新聞「大波小波」)そうだ。発言の全容を知らないから迂闊なことは言えないが、少なくとも「天罰」という言葉が生きていることに驚き、わざと反感を買おうとするお騒がせな手法にもうんざりした。だが、こうした発言に底流するものを別個の次元で考えるのは意味のないことではない。つまり、その発言の矛先が被災地でなく、お膝元の東京に代表される大都市文明の脆弱さに向けられたものであったとすればどうかということだ。その際の東京の崩壊を、われわれは天災として諦めることが出来るだろうか。
『方丈記』の鴨長明は、天災も人災と考えていたような気がする。
by bashomeeting | 2011-03-29 09:34 | Comments(0)

新方丈記4◆祈る

 平成二十三年三月十一日、午後二時四十六分ごろに起きた三陸沖を震源とする巨大地震は、茨城や静岡の近海をはじめ、内陸におよぶ多数の地震を誘発し、まもなく半月が過ぎようという今も余震がまた襲っている。『方丈記』に残される元暦二年(一一八五)の地震は、少なくとも三ヶ月のあいだ続いたというから、このたびはそれ以上を覚悟しなければならないだろうし、堆積(たいせき)される被害の報道に長く胸を痛め続けることになろう。
 高さ二十メートルを超える大津波、そのしぶきは三十メートルに達したいう報道があり、また高さ以上に、押し寄せる波の強さがこの悲劇を拡大したとも伝えられる。それが漁船や乗用車、トラックや家屋をのみ込んで沿岸の町々を襲い、空港を押し流し、線路や高速道路を損壊させた。やがて火の手があがり、戦禍のごとき街並みの惨状に傷ついた心は、制御不能に陥った原子力発電所の爆発がもたらす汚染によって、さらに追い打ちをかけられている。行方不明の親や兄弟姉妹を瓦礫(がれき)の下に残して、後ろ髪を引かれる思いで故郷を離れてゆく人々の姿は正視するにしのびない。
 震災の難を逃れた者が安易に口にすべきではないが、このたび被災された人々が、心の内なる故郷を励みとして、来たるべき復興に立ち向かわれるよう、衷心より祈る。

  集まりに海女も四五人ゐしと聞く  素十
  国貧し大学貧し卒業す        同
by bashomeeting | 2011-03-24 10:44 | Comments(0)

新方丈記3◆春の月

 ―― お月さんは、こんなに明るいものだったのね。
 大地震のために、茨城から避難してきた娘が言った。電力不足を解消する目的で、東京電力が打ち出した計画停電なるものによって、夕食を済ますか済まさないかの時刻に、家族で寝てしまうことにしたときのことばである。地震が起きて、よいことなど何もないこのごろだが、あえてさがせば、月の明るさに娘が気づいたことは悪くない。
 今宵の春月はたしか満月である。

  手枕に身を愛す也おぼろ月   蕪村(新五子稿)
by bashomeeting | 2011-03-20 16:39 | Comments(0)
 ボクは無意識のうちに       たにちよしかず

ボクは無意識のうちに
日本に生まれた日本人であると思っていたけれど
すこしも日本人ではないのかもしれない
このたびの地震と
世界から被災地へと贈られる
思いやりのひとつひとつを目の当たりにして
ふとそんなふうに思う
光明とはキリストやモハメッドやブッダ
そしてアマテラスオオミカミが発するものではけっしてなく
慈愛の塊である地球のそのものが発光する
溜め息なのではなかろうか

〔解題〕海紅が庵主を引き受けている無花果句会のメンバー森脇白觚氏から、友人が作成した動画のメッセージを受け取ってほしいと言って、下記のようなURLが届きました。ボクの呟きは、この動画を見ての感想です。みなさんに紹介させていただきますので、ぜひ御覽下さい。タイトルは『東北関東大震災/宝地図ムービー/あなたたちは一人じゃない』です。

http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc&feature=youtu.be&a
by bashomeeting | 2011-03-19 20:38 | Comments(0)
 方丈記の地震の記事 ― また同じころかとよ ―

 また同じころかとよ。おびたたしく大地震(おほなゐ)ふる事侍りき。そのさま、よのつねならず。山はくづれて、河を埋み、海は傾きて、陸地(くがぢ)をひたせり。土裂けて、水湧き出で、巌(いはほ)割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波にただよひ、道行く馬は足の立ちどをまどはす。都のほとりには、在在所所(ざいざいしよしよ)、堂舎(だうじや)・塔廟(たうめう)、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれぬ。塵灰(ちりはひ)立ちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家のやぶるる音、雷(いかづち)に異ならず。家の内にをれば、たちまちにひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らん。恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚え侍りしか。(中略)かくおびたたしく震る事は、しばしにて止みにしかども、そのなごり、しばしは絶えず。よのつね、驚くほどの地震、二三十度震らぬ日はなし。十日、廿日すぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、おほかた、そのなごり三月ばかりや侍りけん。
                       ―大福光寺本『方丈記』(角川ソフィア文庫による)―

〔解題〕この地震は元暦二年(一一八五)のこと(流布本系『方丈記』)。
by bashomeeting | 2011-03-13 10:19 | Comments(0)
  兄を誘ひて、義仲と芭蕉の墓を訪ね、
  琵琶湖の春風に身をゆだねるといふ
  無迅氏に

譬ふれば巴御前よ春の水      海紅
ふくふく生れし蕗のたう摘む      千年
牧開くベコのひと跳ねふた跳ねし  海
消息届くつよき筆跡           千
瓦礫また小さな一歩けふの月    海
なべて湖上を越ゆる秋風       無迅

〔略注〕大津の義仲寺は木曽義仲の墓所で、芭蕉も遺言して、同所に埋葬されている。発句はその義仲に随従して、不本意ながらも一人落ちのびた巴御前を詠み上げ、女ながらも、その武勇に秀でた生涯を春の水になぞらえた。無迅氏への餞別句のつもり。脇は春の水の周辺の景色から蕗の薹を摘記して、香気をそえてくれた。そこで、北国の長い冬から解放された牧場へと地域を転じて第三としたところ、四句目はその春の勢いを「つよき筆蹟」と翻訳して無季としてくれた。五句目の月の定座は前句の、力強い消息の一節であるが、このたびの東日本大震災の悲しみが映りすぎているかもしれない。そして、六句目は旅人自身である無迅氏がその旅愁の一景を追加して、発句と呼応する結びとなった。
 


 
by bashomeeting | 2011-03-06 19:43 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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