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新方丈記17◆脱原発デモ

 現役教師をとうに定年退職したK女史が、用件を伝える手紙の末尾に、「年老いた親族の世話や、町から託された仕事で忙しくしているが、脱原発のデモには万難を排して出たい」と添え書きしていた。
 ボクはといえば、東日本大震災以来、類似の報道を繰り返す新聞やTVに嫌気がさして、なにも見ないように、読まないようにして、塩をかけられたナメクジのように縮んでいるばかりなので、このたぐいのデモが各地に起きて、今後も起きつつあることを知らずにいた。そんな自分が恥ずかしくて、二、三の新聞を調査したが、案に相違して、期待したほど大きく取り上げている新聞はなかった。
 それはなぜなのだろう。ボクらの学生時代は、指弾の相手が政府そのものであったが、いまはデモの隊列をどこに向けてよいのかわからない時代になっているからか。代々木公園や清水谷公園に集合しても、そこから刃をどこへ向けてよいのやら、わからない時代なのかもしれない。「反原発」から「脱原発」へと時代が成熟したことを意味しているのかもしれない。

  春の海置きたるガラス窓を拭く  赤坂ひろ子
by bashomeeting | 2011-04-30 20:06 | Comments(0)
 このごろの「自然」ということばは、人の手を加えない自然界(山川草木や海)のようなNatural worldに限定されて、人間を含めないことが多い。しかし、その場合、人間はどこにいるのか。Natural worldが人智を超えた時空であるなら、人間の存在も山川草木同様に、人間のいとなみによって自由にはできない生き物ではないのか。人間も「自然」そのものではないのか。
 「自然」はまた「ありのまま」の状態、つまりThe state as it isを意味するとも教えられた。つまり、大震災の前も後も、桜の蕾のころも落花のころも、等しく「自然」であり「ありのまま」であり、As it isなのである。
 とすれば、復興とか再生ということばで過去に戻る道筋は捨て、人間を含めた「ありのまま」を、あらたに創造し、建設するプロセスを歩むことが、いま生きて悲歎にくれている人生を肯定する唯一の道であるように思う。そのためにまず、人智の愚かさを露呈した原子力発電の廃止宣言が不可欠であることは言うまでもない。
 ……人よ、跡始末のできないことをしてはならぬ。


  蝌蚪生れ大学生も新学期  素十
by bashomeeting | 2011-04-30 12:22 | Comments(0)

 優しさ

優しい夢を描いて
幸せになろうと思って
人の優しさを信じて
それで何故傷つくのだろう
優しさという言葉を作ったのは誰?

優しいという言葉は
知っていても
何が本当の優しさなのか
私は迷って深い森を
彷徨っているみたい

必要のない言葉として
ただ偽りの言葉の群れのなか
耳を抑えたまま
何も聞かないほうが
幸せなのかもしれない

そんなとき
ふと
願った
私がいつか
優しい人になろう

そうしていつか
あなたに
ささやかな
優しさを花束にして
きっと手渡します


〔解題〕金川茂詩集『いろどりみどり』(石川書房 平成23年4月25日刊)は金川氏の『森とさかな』(石川書房)・『ナナのソネット』(石川書房)・『水の惑星』(文芸社)につづく第四詩集。掲出の詩篇をふくむ44篇を収める。久しぶりの来翰に「いったいいつまで続けることやら、あきれています」とある。いつまでも続けてほしいと思う。
by bashomeeting | 2011-04-27 18:21 | Comments(0)

ふたつのレクイエム

 四月の二十日、港区六本木で、無花果句会の前庵主井本商三(俳号田痴)さんを偲ぶ会があって、お孫さんのバイオリンによる、クライスラーの「愛の悲しみ」を聴いた。
 二十四日、北海道の郷里で、弟の七回忌法要があって、本誓寺住職による、親鸞の教えを聴いた。 
by bashomeeting | 2011-04-26 19:49 | Comments(0)

新方丈記15◆記憶と再認

  ものは毀れて

ものは毀れて
記憶を残す
在りし日の思い出を心に刻む
時は流れて
心の奥に仕舞い込まれたままの
蝋燭を灯すものは
なに
by bashomeeting | 2011-04-19 09:25 | Comments(2)

新方丈記14◆戦後の終焉

 わが町に農協が営んでいる農産物直売所がある。そこに並ぶ生産者の名札がついた新鮮野菜をときどき買いにゆく。日常のささやかな愉しみである。むろん包装紙などの用意はなく、野菜は支払いをするレジの脇に用意された古新聞にくるんで帰る。それで古新聞を読む愉しみがふえた。
 その日に買ったノラボウ菜をくるんできたのは二月二十日(日)の読売新聞であった。コラム「編集手帳」に目がとまる。内容は、昨今のデフレで大学生への仕送り額は三十年前の水準に戻っているというものであった(全国大学生協連の調査)。三十年前といえばボクが最後の学生生活を送っているころにあたる。
 上京したボクは月額三千円の三畳間に住みついた。ボクは仕送りを望めなかったが、仕送りのある学生も同じ学生アパートにいたから、当時の大学生の多くは似たようなものであったろう。ボクは一週間の食材費を千円と決めて自活をめざした。スーパーマーケットで十個入りの卵パックとキャベツやニンジン、タマネギなど、つまり保存の利くものを買って、三畳間の中に付設されたガス焜炉で料理した。満たされず、空腹で夜中に目が覚めたりするときは、早朝四時まで蒲団の中で堪え忍び、近くの豆腐屋が仕事を始めるのを待って、出来たてで、まだあたたかい豆腐を買いにいったりした。学生の生活は本当にそんな時代に戻っているのだろうか。
 コラムによれば、「昨年の平均月額は4年連続して減少して7万1310円と、1980年代初頭並みだった。5万円未満も4人に1人いた」とある。「食費は1日当たり約783円に減った」ともある。ボクにはずいぶんぜいたくに思える数字だが、物価は比較にならないほど上がっているだろうし、「居住費は30年前の2・7倍に高騰」ともあるから、戦後努力して生活の質を良くしてきた分、逆に今日のデフレの影響は深刻なのだろう。とすれば、生活の質がいまより格段に悪く、エンゲル係数の高かった三十年前の方が暮らしやすかったともいえる。
 二月二十日といえば、東日本大震災の二十日ほど前である。震災のあるなしにかかわらず、戦後という成長は終わっていたのかもしれない。すでに新しい時代が来ていることを感じ取って、わくわくと努力をし直す時期なのかもしれない。
 ちなみに、コラムのサゲの部分には、首相辞任表明直後の鳩山由紀夫氏の発言が使われていた。つまり大学の講演で、米国留学の際に親からもらった仕送り額が〈年間1500億円か、1500万円だったか忘れました。150万円、そんな程度?〉と発言し、〈奨学金の充実に努力していく〉と話を結んだことが揶揄されていた。同じ国に住む人とは、とても思えない。
by bashomeeting | 2011-04-09 09:57 | Comments(0)
 白楽天も西行も、自分で自分の記念館を建設したりはしなかった。資金がなかったからではない。狂言綺語(文学作品)に仏道経典に匹敵する価値を認めて、作品そのものの存在理由を疑わなかったからだ。この点は芭蕉・蕪村・一茶も同じであろう。
 文人にとっては、昔から作品がすべてである。作品のほかに遺すべきものは何もない。さらに言えば、その作品の優劣もつまるところ世間が、歴史が決めることがらである。文人の仕事は、自分の作品を世間にゆだねるために、どこまでも厳選を志すことなのだ。
by bashomeeting | 2011-04-07 22:20 | Comments(0)
 人はことばになれない
 ことばも人になれない
 だから
 詩と詩人が過不足なく重なり合うことはない
 すぐれた詩はすべて読み人知らずである
by bashomeeting | 2011-04-07 22:07 | Comments(0)
 西行の歌は法楽である。仏法を和歌に詠じて愉しんだのであろう。それを仏道修行としたのであろう。
by bashomeeting | 2011-04-07 21:54 | Comments(0)
 芭蕉が終生西行にあこがれたということを疑う者はない。だが西行はたしかに出家し、芭蕉は出家しなかった。出家への思いは強かったが、ついに出家するほどの出逢いに恵まれなかった。西行は、和歌が仏道を展開する有効な手段であるという考え方、つまり和歌陀羅尼(狂言綺語による密教の展開)という考え方に従った生き方をした。西行にとって、その先人の名に価するのは白楽天であった。しかし芭蕉の背中をそこまで押すものはなかった。それが、歌枕探訪という旅をつくりだしたのだと思う。
 出家と在家の違いがここにある。
by bashomeeting | 2011-04-07 21:45 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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