海紅山房日誌

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芭蕉のカリスマ性

 今日の『おくのほそ道』講読の講義終了後にA子が質問に来た。
 ―― 先生の話を聴くと、芭蕉という人はかなりカリスマ性の高い人だったように思われますが、間違いないでしょうか。
 ボクは答えた。
 ―― 職業を持たない、結婚はしない、家もない。カリスマ性がなければ、そんな男にたくさんの門人ができるであろうか……。
by bashomeeting | 2011-05-31 19:51 | Comments(0)
 二十一日(土)の俳文学会東京研究例会(於江東区芭蕉記念館)で、廣木一人氏の発表「連歌師と三條西家の苧公事―旅ということを視野に入れて―」を聴いた。宗祇とその弟子が三條西家の苧公事に深い関わりを持っていたことを、『実隆公記』の記事を紹介しながら説いてくれるもので、連歌師の連歌師以外の仕事がわかって、学ぶところが多かった。廣木氏は宗祇とその弟子が、三條西家に属して、年貢や公事の徴収に関わる仕事をしていた雑掌の類かと推定されていたようだった。三條西家が越後国の織物の利権を持っていたらしい。
 ちなみに「苧」の読みは「カラムシ」とか「ヲ」。イラクサ科の植物で、茎の皮から青苧(あおそ)という繊維をとり、糸にして越後縮(エチゴチヂミ。麻織物)などの原料とした。木綿以前の代表的な繊維材料である。

  日本のことは忘れろ棉を蒔け  宮崎扶双
by bashomeeting | 2011-05-23 09:52 | Comments(0)

ホトトギスが来ています

 いま山房で、今年初めてのホトトギスを聞いています。むろん托卵の相手である鶯も毎日啼いています。ツバメの一羽は、このところの恵みの雨でやわらかくなった土を咥え、もう一羽は藁を咥えて、今年のツバメの巣は立派に仕上がりました。ボクはもう嬉しくて、仕事どころではありません。

  育つ沙弥くじけゆく沙弥ほととぎす   山口笙堂
by bashomeeting | 2011-05-23 07:32 | Comments(0)
絵葉書に深山霧島咲き乱れ
信州の柿に埋もるる村の葬
青年の別れは簡単風光る
失敗続きの日々だ雪でも降らないか
眼の中まで菜の花明かりで言えぬ嘘
水仙買うワルツの調子で歩いて来て
手帳のはさむ 紅葉いち枚の明るさを
熱い真白な飯盛り 何か忘れている
小石の冷え掌中に消えて 不器男の忌
日傘の中の母好き 歩幅をあわせて歩く

〔解題〕沢好摩句集『最後の走者』(昭和44・7 日時計書房)。定価500円。後ろ表紙見返しに東京都小石川5丁目の古書屋「土屋書店」の値札があり、4,000円の値がついている。石田穣二序に、自選句稿と句帳から、まず石田が選句し、その結果を沢自身が整理したという選句の経過を説く。また「沢好摩ノート」として坪内稔典が解題の筆をとり、沢自身の「あとがき」がある。「著者略歴」に「昭和19年5月22日東京の生まれる/昭和38年5月 東洋大学俳句会に入る/昭和39年11月 全国学生俳句連盟結成/昭和41年「いたどり」に入会/昭和43年「いたどり」退会。「青玄」に拠る/昭和44年2月「日時計」創刊と同時に同人参加」とある。『日時計』は坪内稔典・伊丹啓子・攝津幸彦・大本義幸・立岡正幸などが集う同人誌。奥付に「日時計叢書第一集」「限定三百冊発行」とあり、発行は「日時計の会」として、住所「尼崎市上坂部字古江九一四・マーガレット・ハウス30号」とある。本書は江田浩司氏に一読せよと勧められて、氏の蔵書を借り受けたものである。石田穣二は源語学者で、谷地には五年間その講筵に連なった過去がある。本書を貸与された江田氏の好意に感謝する。なお、沢は富士見書房に移る前の★『俳句研究』編集で高柳重信らを支え、昭和五十三年(1978)創刊の季刊同人誌『未定』では発行人として、編集人夏石番矢とともにその中枢を担う。現在は『円錐』という俳誌を出しているようである。『未定』は現在「第2次『未定』」という認識にあるらしく、平成21年(2009)5月に「創刊30周年記念号」(通巻89号)を恵与されたが、その後の活動を把握していない。なお、本書出版の年である昭和44年(1969)は学生運動によって封鎖されていた東大の安田講堂が機動隊8,500人を導入して解除された年。川端康成のノーベル文学賞や三億円事件はその前年で、『最後の走者』上梓の翌年には「日本万博国博」、三島由紀夫さんの諌死などがあった。

〔★俳句研究〕昭和9年(1934)、東京で改造社が創刊。結社・流派を超えた月刊の俳句総合誌をめざすものだが、創刊号執筆陣から高浜虚子を排除するところに、その性格を露呈。昭和19年(1944)7月、軍部圧力により改造社解散。『俳句研究』は第11巻7号で終刊。同年11月目黒書店が雑誌名を継いであらたに歩み始めるが、終戦の年(十ヶ月後)の七・八月合併号で休刊。11月再刊するも、昭和22年(1947)七・八月合併号から目黒書店の系列である巣枝堂に移転、同23年12月ふたたび休刊。同24年(1949)7月、目黒書店が復刊。同26年以後12月以後みたび休刊。昭和27年(1952)4月、俳句研究社が復刊。昭和53年(1978)、俳句研究新社として新生。その後、角川書店が同誌を買収し、昭和61年(1986)1月号から、角川グループの富士見書房が発行するが、平成19年(2007)9月号をもって休止。その後、同じ角川グループの角川SSコミュニケーションズが発行を引き継ぎ、平成20年(2009)3月から季刊に変更して発行を再開。平成23年1月、角川マーケティングが吸収合併して現在に至る。
by bashomeeting | 2011-05-22 21:47 | Comments(0)

馬齢

 五月の連休のうち、三日、四日、五日は毎年スクーリングという三日間の集中講義を入れる。六日は「芭蕉とその末裔―蕪村・一茶・子規はこうして誕生した―」という古典講座のレジュメを仕上げて、七日の「論文を読む会」を迎える。この日はボクの誕生日でもあり、末弟の祥月命日でもある。この間、ボクの誕生日!ボクの誕生日!と前後の脈絡を考慮せず周囲にしゃべって、ふざけたりする。大人げないので、よそうと思うのだが、ついついおどけてしまう。馬齢を重ねて、「先生」などと呼ばれている今の自分を笑ってしまうからだろう。


  煮てもらふ蕗の皮むき誕生日  海 紅
by bashomeeting | 2011-05-17 01:49 | Comments(2)
  いつかひばりになって

 ひばりが悲しき口笛を歌っていたころ私は三軒向こう隣りのお
にいちゃんと、もうつかわれなくなった防空壕の中で、おままごと
をしていた。おにいちゃんのお父さんはかっぽう旅館の主人でな
んでも板前あがりとかで、お母さんはおめかけさんなので、私が
おにいちゃんと遊ぶときはいつもこっそりとあそぶのだった。
 おにいちゃんは畑からだまって抜いてきたにんじんをもっていて、
肥後守で、上手に梅の花をこしらえるのだ。防空壕のうす明かり
の中の板切れのまないたに、金時にんじんの赤い梅の花がいく
つも並んで私がよろこぶとおにいちゃんはますますたくさんこしら
えるのだった。
 ある日いつものようにおままごとをしながらおにいちゃんが「わ
し東京へいくかもしれんよ」といって。
 私には何も言わないでいつの間にか、おにいちゃんはいなくな
った。
 そのとき私はいつか私も東京へ行って(ひばりになる決心)を心
に誓っていた。
 町の芝居小屋の花道に座って ひばりの映画悲しき口笛を見て
以来の………。


台所の流しの下に
良く研いだ包丁がある
菜きりぼうちょう
刺身ぼうちょう
文化ぼうちょうという
万能ぼうちょう
肥後守に似た形の
ペティナイフ
いく年月をこれで
刻んで来たことか
これさえあれば
なにも怖くない
とさえ思えてくる
きりきざむものが
不足してくると
流しにしっかり鍵を掛け
街へ探しに
でかけていくこともある
今日も今日とて
デパートの八階
人だかりをかきわけると
男が一人平たい刃物を
上下ではなく左右に動かしている
その手の下に
赤いにんじんのスライスが
うずたかく盛り上がっている
私のおにいちゃん…。
エスカレーターに掛けた
足もとが
ちょっとふらついたけれど
もうだいじょうぶだ
ひばりになる決心だって
まだすてたわけではない

〔解題〕大江ひさこ詩集『いつかひばりになって』(紫陽社 昭和62年12月15日刊)はばくぜんと、しかしながいこと手に入れたいと考えていた詩集。先日それが向こうの方から転がり込んできた。念じてみるモノであ。書名とする掲出の詩を含めて、二十二篇を収める。この人は抑制と自在とを手にしている。
by bashomeeting | 2011-05-14 10:41 | Comments(0)

新方丈記18◆自然と人間

 「As it is」という小文で、「自然」について書いて思い出したこと。
 四月十九日に、芭蕉を研究しているジェフ・ロビンスさん(福岡県在住)が研究室を訪れた。安居正浩さんの文章「私の好きな芭蕉の手紙」(SITE「芭蕉会議」の芭蕉会議研究室に掲載)に共鳴していて、昨年から鼎談を申し込まれていたのだが、諸般の事情で年を越してしまった。安居さんが取り上げる芭蕉の手紙は、蕉門の野沢凡兆の妻羽紅に宛てたものだった。
 話はいろいろ弾んだが、ボクの真意が最後まで伝わらなかったものに「自然と人間は対立する世界ではない」というテーマがある。ロビンスさんは、人間を詠んだ句と、自然を詠んだ句をはっきりと区別する。そして、人間を詠んだ芭蕉句を高く評価する一方で、自然詠にはほとんど関心を示さないようであった。ボクの主張は、詩は「心」の形象化であるから、「自然」を詠んでも、「自然」によって詠んでも、「人間」を詠んだことに変わりないのだというものだが、納得してもらえなかった。
 そのとき、ふと昨年末の『俳句年鑑』(角川書店)に、「二〇一一年の白地図―これからの俳句が進む道」という特別座談会があったことを思い出した。片山由美子さんの司会で、宇多喜代子・筑紫磐井・小澤實の三氏が集う話題の中に、「自然と写実」「自然と社会」「自然と生活」というふうに対立させる、かみあわぬ議論があった。一読した感想は、俳人でも「自然」ひとつに、こんなふうに対立するのだという驚きであった。
 ロビンスさんが納得しなかった理由は、彼が人間中心の世界観を持つアメリカ人であるからと思ってみたが、それはまちがいかもしれない。

  みちのくの卯月の銀河すでに濃く  工藤吾亦紅
by bashomeeting | 2011-05-02 14:47 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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