海紅山房日誌

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1.年に一度、八月の末に卒業生が誘ってくれる旅。誘ってくれるお礼に、ボクにできるところは解説をしてきた。いわば文学散歩の案内のような役目で、今年は芭蕉が見た地点から最上川をみる旅である。
2.東日本大震災の地は芭蕉が歩いた風景であり、この旅に誘ってくれる友人が住む土地である。今年は忘れがたい時間になるだろう。参加者二十三名。
3.二十七日(土)の新幹線つばさで山形駅ヘ。大宮駅で特急券を紛失して再購入。車中で千葉から参加のY氏に合流、郡山でM氏が合流。『トランヴェール』で角田光代のエッセイ「旅の扉」を読む。
4.山形駅に着いてレストラン「平田牧場」に集合、昼食。半年ぶり、一年ぶりの人々との再会。この店は駅ビルにつながるホテルメトロポリタン2Fにあった。
5.食後にひとり駅前を歩く。角形のポストはめずらしくないが、ここはその上に屋根型の箱がさらに乗っかって二層になっている。めずらしいと思う。喫煙所を見つけて一服。そこに〈気持ちよくタバコを吸って下さい。ここには吸いがら以外捨てないでくれると「ありがたい」なぁ!!〉と貼紙。いまどき優しいひびきである。
6.貸し切りバスで米沢まで戻り、県立「置賜(おきたま)文化ホール」と市立の「米沢市上杉博物館」二つの合築である「伝国の杜」という施設を訪ねた。
 置賜は米沢・南洋・長井を中心とする地域・文化圏の呼称。
 伝国は天明五年(1785)に上杉鷹山が説いた三箇条の藩主心得「伝国の辞(でんこくのじ)」いよっている。すなわち以下の通り。

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候

 置賜ホールにホバークラフト原理を利用して格納できる能舞台があって、金剛流の能を伝えているらしい。中学生が狂言の稽古をしていた。米沢の歴史をかみしめる。
 「おしょうなガイド」というボランティアが松岬神社・上杉神社を案内してくれる。「おしょうな」は「ありがとうございます」という意の方言とのこと。城下町をめぐる人力車(2,500円/二人)の車夫が緑陰に腕を組んで居眠りをしていた。木々に「コウヤマキ(高野槙)」、「ヤマウコギ(五加)」、垣根用の「ヒメウコギ」、葉が細かく裂ける「チャボヒバ」等と名札がついていて親切、「伊達政宗公生誕之地」、鷹山の「受けつぎて國のつかさの身となれば忘るまじきは民の父母」歌碑、雨情の「あづま山から兎がはねてぴょんとここまでこえばよい」歌碑などを見る。吾妻山は山形福島県境の名山で、春先に残雪の形が「うさぎ」に見えることで「雪うさぎ」、農作業の時期を知らせる「種まきうさぎ」などと呼ばれた。雨情はこれを踏まえた。「米沢牛の恩人」とされる明治初期の洋学教師チャールズ・ヘンリー・ダラスの顕彰碑なども見る。
7.米沢の北東にあたる高畠町へ。高畠ワイナリーを見学して、さらに北上を続け尾花沢(延沢)の銀山温泉へ。古勢起屋別館泊。相馬から来たS氏に震災の話を聞く。翌朝、T氏と白銀の滝を眺めに出かけ、湯の川に大きなニジマス(だと思う)の群れを見る。
8.九時過ぎに尾花沢の「芭蕉・清風歴史資料館」へ。「尾花沢市歴史散歩の会」の「おくのほそ道専門ガイド」という肩書の勝村文直氏に名刺をもらう。梅津保一氏のお弟子さんらしい。「芭蕉にもふと会えそうな『おくのほそ道』出羽路の旅」(2011.3発行)はコンパクトで見やすい案内。尾花沢祭りで道路規制がある折から、資料館職員の女性に先導してもらい、遠回りして養泉寺を見て尾花沢を出る。
9.バスを大石田に走らせ、最上川と平行して走る奥羽本線を横切り、芭蕉が滞在した旧高野一栄居の庭の句碑に案内する。大橋から最上川を眺めてもらう。
10.大石田から347号線を河北町へと南下。古くは谷地町の名で親しまれたが、いまは合併して河北町。そこの旧堀米邸「紅花資料館」を見学し、きわめて多くのことを学ぶ。衝立に「鶯や御幸の輿もゆるめけん 虚子」と染筆。敷地内にある「べに花 八景庵」で昼食に名物の肉そばを食す。美味なり。
11.更に南下して山形市へ。城址公園にある最上義光記念館を見る。最上義光歴史館増築記念特別企画展『戦国武将墨跡展図録』(1992.4発行)を500円で購入。時間に余裕があるので、日展(山形展)も見て美術館内の喫茶室でおいしいコーヒーを御馳走になって、山形駅で解散。
by bashomeeting | 2011-08-30 12:48 | Comments(0)

セシウムの歌◆吉田久子

筍も蕗もこごみも食べてをるセシウム検出のニュース聞きつつ   吉田久子(歌誌『迯水』7月号)
by bashomeeting | 2011-08-19 11:05 | Comments(0)

この人の一首◆奥山酔朴

病より一年過ぎし記念日は食ひ放題のしゃぶしゃぶの店   奥山酔朴(歌誌『迯水』九月号)    
by bashomeeting | 2011-08-19 10:59 | Comments(0)
お囃子のだんだん遠く千日会    みさき
揚花火震災のこと父母のこと     文子
千日会学業成就頼みをり       玲子
ゼミ旅のしみじみ喰らふ蜆飯     玲子
月細し石山寺の雪洞に        雪乃
ゆるキャラもところどころに夏祭り  芳恵
大花火歩き疲れし旅人に       諒
中天を彩り花火かぶさり来      玲子
塚を守るかに空蝉が枝先に      はな
by bashomeeting | 2011-08-18 14:49 | Comments(0)
 この八月で開局十周年を迎えたFM軽井沢が、その記念事業として、四月に隔月刊のFree magazine『PLATINUM MAGAZINE』を創刊。そこに頼まれてコラムの連載を始めた森脇逸男(俳号白觚)氏が贈ってくれるので、居ながらにして読む。コラムのタイトルを「八秩迂叟の戲言徒論」という。白觚さんは漢詩をよくするので、むずかしいことばを教わることが多い。この「八秩迂叟」もその例で、ハッチツウソウと読んで、世事に疎い八十歳の年寄りの意。むろん謙辞である。
 今号(vol.3)は「歴史の中に生きている」という見出し。内容は『わたしたちは歴史の中に生きている』(「NPO法人 中国帰国者の会」の聞き取り集第2編)と、小川津根子著『祖国よ』(岩波新書)を紹介しながら、国交正常化のあとも中国残留邦人の引揚げに終始消極的で責任を回避し続けた過去と、避難所暮らしがまだ何万人もいる東日本大震災被災地の現状と二重写しであると嘆くもの。とすれば、政権与党がなんであれ救いようのない、この国の病巣を突き止めねばならないことになる。
 なお、本誌編集人の伊本俊二氏が筆をとる「今こそ志向の転換を図る時」も、核を人類の愚行、国栄えて山河滅びる愚行という主張で、学ぶところ大であった。
by bashomeeting | 2011-08-16 03:45 | Comments(0)
霊あらば親か妻子のもとに帰る靖国などにゐる筈はなし  市村 宏(歌集『東遊』)
天の原ふりさけみれば福島の海辺の町に放射能降る   吉田久子(歌誌『迯水』6月号)
by bashomeeting | 2011-08-15 15:58 | Comments(0)
執事とは涼しき職務ゆかしき眼
始まりし古人の話寺涼し
葦簀巻きあげてあり塚並べあり
蜘蛛の糸またぎ古人の碑陰読む
漕艇の去りて花火の闇となる
たらたらと花火こぼるる大河かな
どつこいせいしつかりせいと踊唄
一日の汗のハンカチ洗ひけり
冷やし飴てふは甘くて涼しくて
また一人旅に戻りて盆の月
by bashomeeting | 2011-08-13 16:00 | Comments(0)
■踏査・拝観資料等

1.大津・膳所・石山を歩く(踏査資料) 金子はな・大越雪乃編(大学院谷地ゼミ)
2.明治23年、正岡子規の湖南の旅(子規年譜)copy  根本文子さん提供
3.大津駅周辺図 大津市観光案内所(平23・5)
4.芭蕉と旅〈下〉(現代教養文庫791) 阿部・高岡・松尾著 社会思想社(昭48・9)
5.松尾芭蕉 俳句遊歩地図 びわ湖大津滋賀観光振興協議会
6.石に刻まれた芭蕉(滋賀・彦根・大津)copy 斉藤諒君提供
7.ぐるっと びわこトク得クーポン 社団法人びわこビジターズビューロー
8.石山寺探訪 大本山石山寺
9.ようこそ幻住庵へ 大津市観光振興課/びわ湖大津観光協会
10.総本山園城寺 三井寺
11.三井寺(摺物地図)
12.三井寺の鐘(冊子) 天台寺門宗総本山園城寺事務所
13.重要文化財 霊鐘・弁慶の引摺り鐘/弁慶の汁鍋(摺物)
14.「平和を願う子どもたちの作品展」しおり 滋賀・九条の会・総本山三井寺
15.臨済宗大徳寺派 海門山満月寺 浮御堂

■義仲寺資料(執事永井輝雄氏提供)

16.国指定史跡 義仲寺案内
17.国指定史跡 義仲寺案内(地図)
18.義仲寺略誌/昭和再建落慶誌
19.芭蕉翁 大津来遊のしるべ/芭蕉翁の大津での句(八十九句)
20.木曽義仲の魅力(上)copy 西村かおり 北日本新聞(平成22・2・22)
21.木曽義仲の魅力(下)copy 西村かおり 北日本新聞(平成22・2・23)
22.龍が岡俳人墓地(義仲寺からの案内図)
23.「今井兼平の墓」指定copy 京都新聞(平18・3・10)/粟津の合戦(伝説を訪ねて⑨)copy
 京都新聞(平成17・5・5)
24. 海の細道(1~33)copy 長谷川櫂 読売新聞(平23・1・4~ 平23・8・2)
1芭蕉の夢※ 2杜甫の舟※ 3蕪村の故郷※ 4深川の庵※ 5湖南の地※ 6落柿舎※ 7住吉詣で 8貫之の道 9阪神間 10一ノ谷 11明石の門※ 12屋島 13扇の的 14海の要塞 15石の庭 16海女 17白峰 18空海 19こんぴらさん※ 20塩泡水軍 21藤戸 22戦艦大和※ 23ヒロシマ 24厳島 25清盛の王国 26村上水軍 27子規と漱石※ 28坂の上の雲※ 29周防大島 30下関 31壇ノ浦 32太宰府※ 33いろこの宮   注・※印は俳文学にふれるところのあるもの。
25.義仲寺昭和再建史話(一) 谷崎 昭男 義仲寺324(平22・10)
26.義仲寺昭和再建史話(二) 谷崎 昭男 義仲寺325(平22・12)
27.義仲寺昭和再建史話(三) 谷崎 昭男 義仲寺326(平23・ 3)
28.義仲寺昭和再建史話(四) 谷崎 昭男 義仲寺327(平23・ 7)

■義仲寺関連書籍(執事永井輝雄氏教示)

29.乱世を駆ける 木曾義仲と巴御前 刊行委員会編 北日本新聞社(平22・1)
30.こころ(創刊号) 平凡社(平22・6)
注・諸田玲子著「ともえ」が載る。
31.婦人画報(12月号) ㈱アシェット(現ハースト)婦人画報社(平22・12)
注・義仲寺が紹介される。
32.まんがでわかる義仲・巴御前と越中武士団 西川かおり 富山県知事政策局(特定重要政策担当/電話:076-444-4493)
by bashomeeting | 2011-08-13 14:20 | Comments(0)
 今年の大学院のゼミで『諸国翁墳記』を読んでいる。夏期休暇に入る前に、Kさんの提案で、その発行元であった義仲寺周辺の踏査旅行をしようということになった。あれよあれよという間に踏査の栞『大津・膳所・石山を歩く』ができあがった。昔はこんな調査旅行をよくしたが、近年は卒業生と再会する旅はあっても、学生と旅に出ることはなくなっていたので、感慨深いものがないではない。ゼミ生七名、ボクを加えて総勢八名の旅である。

 八月九日(火)十一時にJR大津駅集合。駅前のそば處「やま喜」で昼食。まず膳所駅の近く、馬場1丁目の義仲寺へ(200円)。執事永井輝雄氏の出迎えをうけて、境内をくまなく歩き、かつ歓談。さらに龍が岡俳人墓地にお参りして、京阪膳所駅から京阪石山駅へ。大きな芭蕉像あり。誰かがKS先生に似ているという。歩いて、晴嵐に移されている兼平の墓参り。京阪石山駅に戻り京阪石山寺駅へ向かう。駅そばの谷商店でアイスを買って、縁台に坐って小憩。「棈松」というめずらしい表札をみる。谷商店の女主人に聞くと、アベマツと読むと教えてくれる。原義はクヌギ(ブナ科)の木のようだ。宿の松之荘への方角を間違えて、やや遅れて着。夕食は石山寺門前の洗心寮。食後に千日会で賑わう石山寺を巡拝(450円)。門前を流れる瀬田川の花火を堪能して、バスで宿へ戻る。入浴後に一句会。就寝。

 十日(水)は七時半に朝食。九時発で幻住庵に向かう。近津尾神社でたまたま幻住庵の管理人に逢う。幻住庵の当番に向かう前のお参りの由。われらは開館時刻まで境内を踏査して幻住庵に向かい、管理の女性と四方山話。帰途、芭蕉が汲んで飲み、炊いだ清水を見て、荷物を預けてある松乃荘に戻り、京阪石山寺駅から三井寺駅へ。琵琶湖疏水の脇を上って三井寺(園城寺)へ。観音堂・観月舞台を拝して、毘沙門堂・微妙寺を経て金堂に向かう。そこで、かつて山内のどこかに祭られていたが、いまはその堂宇を失って、居場所のない阿弥陀如来や地蔵菩薩を拝した。たまたま九条の会と三井寺が主催する「平和を願う子どもたちの作品展」が行われていて、脱原発の署名をする。金堂を出て、天智・天武・持統の産湯という閼伽井屋で泉の湧く音を聞き、霊鐘堂で俵藤太秀郷ゆかりで、山門派・寺門派抗争の逸話のひとつである弁慶の引きずり鐘(梵鐘)を見て、一切経蔵(八角輪蔵)に見とれる。盆が近いのでというNさんに共鳴して、鐘楼(三井の晩鐘)で鐘を突いて下山(300円)。門前(三井寺駐車場内)のレストラン風月で昼食。Kさんの話にひかれてはじめて「冷やしあめ」も飲んだ。Nさんによれば季語の由。

 京阪の三井寺駅に戻り、皇子山駅で接続するJR湖西線(大津京駅)に乗り換えて、堅田へ。当初は辛崎の松(唐崎神社)を訪う予定であったが、急遽堅田の本福寺と満月寺の浮御堂を調査することに変更したのである。

 帰路は全員京都駅までは一緒であった。夜行バス・新幹線などと帰途は異なるので、別れがたくもあり、駅ビルのレストランに誘って、十九時前に解散。新幹線組は三人であったが、みやげの柴漬けを買っているうちに、ボクだけはぐれてしまった。深夜二十三時五十分帰宅。
 この調査旅行はKさんの労を多とする。また広瀬惟然研究者である沢木美子さんの厚情に感謝する。

〔附記〕 大津市は編入合併を繰り返して、その範囲にはわかりにくいところがある。昔の湖南・湖西を歩いた者には、志賀・膳所・石山・雄琴・坂本・大石・田上・瀬田・堅田の町村がすべて大津市だと考えるのがわかりやすい。
by bashomeeting | 2011-08-13 14:18 | Comments(0)
 あなたの『おくのほそ道』人物論を読みました。参考文献を丁寧に読んで整理している点を評価します。加藤周一著『日本文学史序説(下)』(筑摩書房)、井上敏幸氏執筆の『日本文学史8』(岩波講座)、復本一郎著『入門 芭蕉の読み方』(日本実業出版)、尾形仂著『「おくのほそ道」を語る』(角川書店)、井本農一ほか著『松尾芭蕉集』(日本古典文学全集、小学館)、杉本苑子著『おくのほそ道人物紀行』(文春新書)、これらはいずれもすぐれた参考資料であります。
 しかし、あなたの引用する箇所は、旅の事実と創作としての作品をまぜこぜにして解釈しているところばかりです。『おくのほそ道』が旅の事実をえがいたものでないことは、あなたがすでに承知しているところです。なのに、なぜ『曽良旅日記』や地元に伝わる伝承と作品との食い違いをおもしろがり、その違いによって芭蕉の心情を忖度しようとするのでしょうか。『おくのほそ道』を読むだけでは、芭蕉の意図を理解できないのでしょうか。わたしはそうは思いません。
 『おくのほそ道』は旅の事実をふまえてはいますが、事実そのものを書き残そうとしているところはありません。須賀川の相良等窮の敷地内に隠栖する可伸という実在者と、『おくのほそ道』で栗の木陰を頼みにしている僧は別人であります。芭蕉によって作りだされた物語中の人物であります。尾花沢の鈴木清風と、『おくのほそ道』の鈴木清風は別人であります。福井の等栽の妻は、その実像をさぐる手がかりさえありません。作品中の人物は作品の中で読み取られなければいけない。
 『おくのほそ道』は創作であります。創作である以上、そのひとつひとつは虚構であります。芭蕉はなぜ旅の事実を書かずに、虚構をめざしたのでしょうか。それは理屈が事実の解明のためにあるのに対し、虚構は感情の表現のためにあるからです。『おくのほそ道』は旅の事実ではなく、芭蕉の理想とする感情を読者に伝えようとしています。
 この作品を創作として読む時期が来ていると思います。創作として読むことができれば、人物論の対象を、神仏や古歌の作者にまで広げることができるでしょう。
by bashomeeting | 2011-08-04 15:02 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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