2012年 02月 21日
隣人の言葉◆やごとなき僧正、雲に住む山人すら、この 一筋は踏みとめがたくやありけん(一茶)
玉の盃、底なきがごときと言へど、色好むは人性にして、
好まざるは獲麟よりも稀なり。あるは染殿の姫を思ひ、又は
物洗ふ女に迷ふ。やごとなき僧正、雲に住む山人すら、この
一筋は踏みとめがたくやありけん。
僧教導は仏道のいさをしも九五近き身の、戒を破りし罪と
なん、巷に面をさらさるる。余所目さへいとほしく、にがにがし
くぞ侍る。
雪汁のかかる地びたに和尚顔
〔鎌倉円覚寺教導日本橋に晒す〕 女犯の僧は日本橋の橋詰めに三日さらし、その後追放された。
〔玉の盃、底なきがごとき〕 『徒然草』第三段を踏む。
〔獲麟〕 「獲麟」は想像上の動物麒麟をとること。たいそう稀なこと。
〔染殿の姫〕 染殿の后。藤原明子(アキラケイコ。文徳帝の女御)。紀僧正(真済)が藤原明子(染殿后)に一目惚れした結果病死し、死後紺青色をした鬼、あるいは天狗と化して后(明子)のもとに現れて悩ませたので、比叡山無動寺の相応和尚に退治されたという逸話がある(『古事談』巻三・『宝物集』巻二)。紀僧正(真済)は空海の高弟で『性霊集』の編者でもあり、文徳帝の信頼も篤かった。染殿は清和天皇の母でもある。
〔物洗ふ女〕 久米仙人に神通力を失わせた女(『今昔物語集』巻十一)。
〔九五〕 キュウゴ。易の卦で最上位。天使の位。
【解題】 小林一茶が相生町五丁目(東京都墨田区緑町一丁目)の新庵(借家)に入った、文化元年の暮れの作。四十二歳。一茶と鎌倉との関わりを調べていたら、ふと目に飛び込んできた。それで備忘に書き留める。
2012年 02月 20日
笑点◆木久扇の駄洒落に癒される
木久扇2 ソーかい。
*
木久扇1 坊さんがふたり。
木久扇2 ソー、ソー。
*
木久扇1 貸したコーモリ傘返して。
木久扇2 ごめんコーモリやす。
木久扇1 だから傘ナイって言ったんだ。
2012年 02月 17日
卒論ゼミの回答◆一番役に立った本
岡田利兵衛『蕪村と俳画』八木書店
今栄蔵『芭蕉伝記の諸問題』新典社
田中善信『芭蕉=二つの顔』講談社
高橋庄次『芭蕉庵桃青の生涯』春秋社
井本農一『芭蕉入門』講談社学術文庫
櫻井武次郎『連句文芸の流れ』和泉書院
浪本澤一『芭蕉七部集連句鑑賞』春秋社
安東次男『芭蕉七部集評釈』集英社
阿部・久富『詳考 奥の細道』日栄社
久富哲雄『おくのほそ道 全訳注』講談社学術文庫
松隈義勇『『おくのほそ道の美をたどる』桜楓社
堀切実『「おくのほそ道」解釈事典』東京堂出版
麻生磯次『奥の細道講読』明治書院
新芭蕉講座6『俳論篇』三省堂
堀切実『俳聖芭蕉と俳魔支考』角川選書
村松友次『謎の旅人 曽良』大修館書店
山下一海『芭蕉と蕪村の世界』武蔵野書院
村松友次『鑑賞日本の古典17 蕪村集』小学館
尾形仂『蕪村の世界』岩波書店
岡田利兵衛『蕪村と俳画』八木書店
村松友次『蕪村の手紙』大修館書店
安達直朗『遊女風俗姿細見』展望社
上田都史『自由律俳句文学史』永田書房
片山由美子ほか『俳句教養講座』(全三巻)角川学芸出版
2012年 02月 15日
隣人の言葉◆死んだら、ゼロになりたい(大田美和)
大田:あの世があったら、怖いです。地獄でも、天国でも、怖いです。美輪明宏さんが言うみたいに、みんな気体になっていて、誰が誰だかわからないならいいですが、人間の形をしていて、またイヤなやつに会うとか、序列があったり、付き合いがあったりとか、そういう形の死後の世界があったら、とても、とても怖い(笑)。死んだら、ゼロになりたい。
―〈[大田美和]への99の質問〉より抽出―
【解題】 「[大田美和]への99の質問」は文芸誌『北冬』№013(2011.12 北冬社)所収。〈特集◇[1000年の言葉]の向こうへ〉という企画で、この号は大田美和(歌人・英文学者)が責任編集。質問のなかで、「自分の歌で、好きな一首は?」という問いに、「終わりがあると知ればなおさら天翔る得意絶頂の歌にひかれる」という〈シューマンの音楽と生涯を念頭に置いて作った歌〉をあげている。
2012年 02月 11日
俳句で何かを言おうとしないこと◆風姿+風情=姿情
去来曰く「黒崎に聞きて、これに及ぶなし。句体風姿あり、語呂とどこほらず、情ねばりなく、事あたらし。当時流行のただ中なり。
世上の句、多くは、とする故にかくこそあれと、句中にあたり合ひ、あるいは目前をいふとて「ずん切の竹にとまりし燕」「のうれんの下くぐり来る燕哉」といえるのみなり。
この児、この下地ありて、能き師に学ばば、いかばかりの作者にかいたらん。第一、いまだ心中に理屈なき故なり。もし、わる功の出で来るに及んで、またいかばかりの無理いひにかなられん。おそるべし。
〔助童〕 筑前(北九州市)の蕉門推颯の子。
〔黒崎〕 今の北九州市八幡区黒崎。
〔風姿〕 姿情のうちの一方である「姿」のこと。一句全体の形。整ったカタチ。芭蕉は単に歌の風体(外見上の様子)に倣って「姿(form、appearance)」と言ったが、支考は姿情融合を説くために、「風姿」「風情」の二つに分けて説いた(『葛の松原』・『続五論』・『去来抄』修行)。
〔語呂〕 口調(tone)。
〔情ねばり〕 理屈の押しつけ、強要。文中「とする故にかくこそあれ」のたぐい。
〔わる巧〕 悪巧。わるごう。悪ふざけ。ここでは「情ねばり」や理屈。
〔無理いひ〕 不自然で、姿の悪い句をつくる人。
【主旨】 筑前(黒崎)の助童という子どもの句を例にとれば、よい句とは〈外見が整っているもの〉である。外見のよさは、なめらかな口調(tone)と、事実の発見から生まれる。一方、ダメな句は、主義主張に傾いたり、ありふれた景色を描写したりするものである。
【解題】『去来抄』同門評の一節。備忘に掲げる。
2012年 02月 04日
俳句とダルマ落とし
2012年 02月 04日
えんぶりの舞
読み進めると、平成十六年から、篝火の中で解説を聞きながら見ることができる「お庭えんぶり」も行なわれて、観客は甘酒や「せんべい汁」をすすりながら、お大尽さま気分で、春を告げる舞を味わう、とある。昨年の日本心理学会でS先生が、八戸のB級グルメと言いながらくれた「せんべい汁」に急に親しみを深くした。祭りの日は今年も仕事でどこにも出かけられないが、いただいた「せんべい汁」は、実は冬場に食べようと思って、まだ仕舞い込んであるので、近いうちに味わって、雪深い八戸に思いをはせてみようと思う。
異次元へつづく扉や大枯野 千嘉子(『朳囃子』)
2012年 02月 03日
豆撒きをした
電車で自宅のある最寄り駅を降りると、鬼神様の豆撒きから戻る人たちとすれ違った。家人に聞くと、豆の用意はしてあるという。豆を打った。ボクは農業に携わる暮らしをしているわけではないから、予祝ではなく追儺のつもりである。全国的に寒く、雪の多い年だが、海では冬が終わり、春の魚が回遊しているという話を聞いた。確かな春が始まっている。
外出の娘の部屋も豆を打つ 海 紅