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 ボクの持論のひとつに〈俳句には描けることと、描けないことがある。それを正しく理解して、俳句という詩型の限界をわきまえている者を俳人という〉というものがある。芭蕉は「詩歌連俳はともに風雅なり。上三つのものには余す所もあり。その余す所まで俳はいたらずといふ所なし」(土芳『三冊子』)と言ったが、それはあくまで十七音という制約を前提にした発言であろう。とすれば、「馬ごとにこはきものなり。人の力、あらそふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、まづよく見て、強き所、弱き所を知るべし。次に轡・鞍の具に危き事やあると見て、心にかかる事あらば、その馬を馳すべからず。この用意を忘れざるを馬乗りとは申すなり」(『徒然草』186段)という意見に異ならない。

 坂本宮尾著『この世は舞台』に「ものに即して詠むことを心がけたいと思ってはいるが、何かの拍子で、ことばが勝手に句の形に並んで出てくることがある。そのなかでおもしろいと思うものを残しておく。おもしろいといっても、具体的に説明できるとは限らない。解釈できないところ、意味を離れたところに、言葉の不思議さがあるのだろう。作者だけ満足していて、読者は首をかしげているばかりという事態は避けたい。そこで他の人の意見を求めるのだが、誰かが理解を示してくれても、どこまで私と同じことを感じているかは疑問だ。結局、自分の句はそのときの自分の感性の範囲で取捨するほかない」(「混沌」)という一節がある。

 良識ある俳人なら、誰もが苦悩するこの問題は、基底において、おそらくボクの持論とつながっているように思う。
by bashomeeting | 2012-03-28 20:24 | Comments(0)
 現代英米演劇を講じていた桑原文子先生が、定年を待たずに退職。その挨拶で、日本の大学の休暇中にアメリカに出掛けても、存分に芝居を鑑賞するのは難しいということを教えられた。時期がずれているのだ。退職後はその支障がなくなることを喜んでいた。

 先生は青邨に師事した俳人で、俳壇では坂本宮尾という。「宮尾」はミヤオと読む。猫の自由さを好んで、その鳴き声から命名。「句会で名乗るたびに気恥ずかしいが、これで猫の仲間入りができるなら仕方がない」(「猫」)と書き、「おしゃれなシャム猫になるのは無理として、私は勝手気ままなノラ猫でありたい。そして、できれば長靴を履いた猫、はたまた猫型ロボットのドラえもんを親友にもちたい」(同)ともいう。ねっから「俳味」の人である。職場で俳人を匂わせず、英文学者の顔で通した自分を、隠れ切支丹と呼んで笑っていた。お別れに角川選書版『杉田久女』(角川学芸出版)と、句集『この世は舞台』(蝸牛社)をいただいた。前者は平成十五年に富士見書房から出た好著の選書化。手書きの栞に「これからは俳人として、よろしく」とある。さて、似非隠遁者みたいなボクに、そんな機会があるだろうか。

  橋あれば卒業の日の父のこと   宮尾

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by bashomeeting | 2012-03-28 11:27 | Comments(0)

遅かった春

 忙しくて、今春は梅の下に立つこともなく終わるなあと思って歩いていると、あちこちの庭に、里山の日当たりにたくさんの花をつけている梅をみつけた。今年は梅も遅かったようだ。

  梅そなふ凍てたる石を父として   天田ふじ
  引き止めてほしき別れや梅夕べ  赤城範子
by bashomeeting | 2012-03-28 10:39 | Comments(0)
K先輩へ

 谷地です。Kさんにいただいた宿題、蕪村句「人間に鶯啼や山ざくら」(遺稿59)の「人間」の読みについて報告です。結論は、ジンカン・ニンゲンと読んでも、ヒトアヒと読んでも蕪村の意図をそれることはないと考えます。どちらかに決めよと迫られれば、この句の場合、ジンカン・ニンゲンと読む方が余情深しと答えたいと思います。正直に言えば、ヒトアヒと読んで、人間へのお愛想で鶯が啼くという近年の解釈には心がときめきません。蕪村を三十年以上読んで来ましたが、彼にはそのような作風はないとさえ思います。

 「人間」という漢語には、おそらくジンカン・ニンゲンという読みに前後して、ヒトアヒという訓も生まれた。読みとは意味であるという視点で言えば、ニンゲン・ジンカンと読めば「世の中」「人の住む場所」の意ですが、ヒトアヒと和語に読めば「世間」における〈人づきあいや思慮分別〉という情緒的な意味が加わる。その意味を重んじる結果として、「人間」から「人愛(ヒトアイ)」「他愛(ヒトアイ)」という宛て字が派生したのではないか。つまり、漢語を輸入して言葉の豊かさを育んできた日本には、ジンカン・ニンゲンという言葉と、ヒトアヒという言葉の二語があった。しかし、両者の語義に反目するほどのものはない。

 前田金五郎氏に従えば、「人間」はヒトアヒと読んで「人づきあい。人に対する愛想。人あたり」の意で、近世には「人愛」とも書いているようです。用例には「―、心ざま優に情けありければ」(平家八・妹尾最期)をあげています(『岩波古語辞典』)。『日本国語大辞典』でも「ひとあい」に「人間・人愛」の字を宛て、やはり「人づきあい。人に対する愛想」と解説し、用例に人情本『春色梅美婦彌』初・一回「これ扁屈なる野暮人を、和らかにして他愛(ヒトアイ)を自然と生ずるものぞかし」を加えて、「他愛」という漢字も宛てられたことがわかります。

 近世の蕪村理解において、これは無視できないと研究者は考える。それで、「静かな山あい、わざわざ山桜を尋ねて来た人に対するお愛想のつもりでか、時ならぬ鶯が鳴き声を添えている」(尾形・森田『蕪村全集(発句)』講談社 平成4)という解釈になった。『蕪村全句集』(平成12)にも「山奥の桜を見に来た人に、花だけでは寂しかろうと、お愛想に美しい鳴き声を聞かせてくれる意」とあって、その基本的な理解は講談社『蕪村全集』に同じです。【解1】

 しかし、句意を〈世間にむけて、つまり人間にむけて鶯が啼いている〉という控えめな解にとどめるべきか、あるいは〈人へのお愛想で鶯が啼いている〉とまで踏み込んで解説すべきかどうかは、にわかには決められない。それは注釈者の思い入れで微妙に異なる範囲だからです。個人的には「お愛想に」と副詞句的に解釈するのを好みませんが、かといって両者には二説と見るほどの違いはないのではないでしょうか。

 拙解を示せば、〈山に桜を楽しみに来た客に、ときおり鶯が啼いてくれることだ〉ほどの句意になります。人がいて、鶯の声も聞こえるこの境界は、むろん世間と呼ばれる市街地ではありませんが、ことさら山深くでもありません。鶯と人間との折り合いがついている中間的な空間がふさわしい。【解2】

 管見による限り、新注でヒトアヒと読んだ最初の人は木村架空の『蕪村夢物語 春の部』(375頁)と思われます。鳴雪・鼠骨・碧梧桐・虚子等の『蕪村遺稿講義』が人間に向かって啼くとする【解3】のに対して、架空は〈雨間(あまあひ)幕間(まくあひ)などの如く、人の途切れた間を云ふのだ〉と書きます。人が途絶えたから安心して啼いたというのですから、人に親和しない鶯ということになり、通解とは正反対の解釈と言ってよいようです。【解4】

 朔太郎は『郷愁の詩人与謝蕪村』において、「行人の絶間絶間に鶯が鳴く」とする「ひとあひ」説を修辞上は穏当と認めながらもニンゲン説を支持し、この「言葉の奇警で力強い表現」に一句の生命を発見し、「人跡全く絶えた山中」で、ニンゲンに驚いた鶯の鳴き声が、「四辺の静寂を破っている」と鑑賞しています。【解5】

 ヒトカンと読む説もあります。草田男『蕪村集』からの孫引きですが、志田義秀は用例をあげて、「間」は「閑」に同じという見解から、ヒトカンにと読ませて「人が閑にある」意としています。気ぜわしく鳴く鶯との対照だというのでしょう。【解6】

 草田男はこれを支持し、ニンゲンと読むと「思わせぶりないやみが生じ、しかも全体の意味が不鮮明に」と言い、「この時代の日本の詩歌に」人間(ニンゲン)などという言葉が生で用いられたかどうかははなはだ疑問と書いています。
 また、ヒトアヒ説に対しては、「桜が咲いている山道を人が通りかかるたびに鶯が鳴き声をやめる、しかし、人が去ってしまうとすぐにまた鳴く」という意味で、一応筋が通るが、「山道をそうしばしば人が通るのもおかしいし、路傍のくさむらにただ一羽の鶯が潜んでいるわけでもないのに足音の度ごとに鶯がやむのはおかしい」と批判しています。

 ヒトアヒに「人づきあい。人に対する愛想」という意味があることを、架空・草田男を含めて明治以後の評者すべてが承知していなかったようです。

 しかし、蕪村句の「人間」をヒトアヒと読み、「人づきあい。人に対する愛想」という意を強く打ち出すことに、わたしは強いためらいを持っています。

【附記】 『蕪村事典』(桜楓社)で村松友次先生は示したこの句の注解一覧は、鳴雪他『蕪村遺稿講義』・鼠骨『続蕪村俳句評釈』・架空『蕪村夢物語』・蕗台『続蕪村物語 春』(この書『蕪村夢物語』の名でも流通か)・朔太郎『郷愁の詩人与謝蕪村』・草田男『蕪村集』・健吉編/草田男訳『古典名句集「蕪村名句集」』(日本国民文学全集14/河出新社)・潁原他『与謝蕪村集』(朝日古典全書)です。
by bashomeeting | 2012-03-21 12:13 | Comments(0)
   芭蕉が教えてくれたこと-『おくのほそ道』に学ぶ

 今日は初登場の東洋大学文学部日本文学文化学科教授 谷地快一先生による標題の講座です。先生は「芭蕉は1689年に150日間、東北・北陸を巡りました。そして1702年に、多数の俳句が織り込まれた『おくのほそ道』が刊行されました。この『おくのほそ道』を丁寧に読むと、この旅は、単に<行って戻ってくる>旅ではなかったことが分かります。今日はその理由をお話しします。
芭蕉は人生後半の10年を、旅に充てましたが、彼は人生をどう捉えて旅をしていたのか。それを理解頂ければ、きょうのお話は成功です」と、前置きされて、以下のようなご説明をしてくださいました。

1 人生の捉え方
日本の教育は、『方丈記』序にあるような人生の捉え方を教えてきました。『方丈記』序の無常観や諦観を読んでいると、気が滅入ってきませんか? 寂寞たる無常観ではなく、もっと生き生きした人生観や生き方があるのではないでしょうか?

2 旅の捉え方
『おくのほそ道』序では「月日は百代の過客にして、行き交う年も又旅人也」が有名です。ところが平成8年、250年振りに芭蕉自筆の『おくのほそ道』が発見され、「行き交う年」の箇所には推敲の跡があり、この下張から「立ち帰る年」という記述が見つかりました。

「立ち帰る」とは、行って戻ってくることを意味しますが、「行き交う」とは、逢って別れることです。逢って別れることに、スタ-トやゴ-ル地点はありません。「行き交う」とは、行く年・来る年、常に繰り返すことです。芭蕉はこのように、時間の流れを捉えていました。彼の『おくのほそ道』は、「立ち帰る」旅の本ではなく、「行き交う」旅でありたい、と願う作品だったのです。『方丈記』に比べて、なんと前向きな思考でありましょうか。

3 連句について
(ここで先生は、連句の構成について解説され、『伊勢物語』、『遍昭集』、『西鶴大句数』などで付合の実例を紹介されました)
芭蕉は、「5・7・5」に「7・7」を付ける連句によって、この「行き交う」旅をしました。この旅での土地の人たちとの連句回数は合計30数回に及んでいます。

4 俳句について
このような連句(俳諧の連歌)の文化は、明治以降、沈潜化してゆきました。そして俳諧(和歌)の発句(最初の5・7・5)が独立した俳句が盛んになってきました。これは、自我中心の欧米文化の流入で、仲間と一緒に作る連句は時代に沿わない、という評価が広がったのが原因です。
しかし、5・7・5のあとに、7・7をつけたくなるようなことはないでしょうか。「逢って別れる」旅、「再生を繰り返す終わりのない時空」を考えるのもいいのではないでしょうか。

講師は、以上のようなことを、具体例などを示し、ユーモアを交えて、極めて明快に説明されました。満席の受講者も十分理解でき、俳句などへの関心も高まったようで、以下は参加された方のご感想の一部です。(小野)

・色々と知らなかった事を知ることができ、人生のゴールは無いという考え方が良かった。
・松尾芭蕉の名前と名句の少しは知っていたものの、俳句に関しては全く無知だった。今回の講演で芭蕉の「おくのほそ道」が伝えたかった人生の流れ、人と人との交わりが旅であり、彼の云いたかった点であり、それが連句にも生かされていることを初めて知った。これから、もう少し芭蕉と俳句・連句を勉強してみたくなった。俳句に「七七」を付けることが出来るということを初めて知った。第2回目の講演が是非聴きたいです。
・自分には縁遠かった俳句の世界が身近になりました。素晴らしい講座でした。芭蕉自筆の「写し本」拝見したが、あまりの達筆と字の美しさに感銘を受けた。ユーモアをまじえてお話しが良く分かり、楽しい講座でした。またの講座お待ちしています。

【解説】 これは、たまたまネットで遭遇したボクの講演の要約である。ネットのタイトルは「ふれあい塾あびこレポ-ト」。思いおこせば昨年の十月二十四日(月)、なつかしい常磐線に乗った。「ふれあい塾あびこ特選公開講座」なる企画で我孫子市へ話しにでかけたのだ。題は「『おくのほそ道』に学ぶ―芭蕉が教えてくれたこと―」。この記録は聴講者のお一人(小野さん)がまとめてくれたようだ。ボクは講演に際して詳細なノートを用意しないから、自分でもどの程度の話をしたか、相手に通じたかどうか、明らかな記憶はないのが普通。よって、ありがたく転載させていただく。講演が好きか嫌いかと問われれば、嫌いと答えてきた。理由は、初めてお目にかかる人々に、一方的にしゃべるのはストレスそのものだから。大学の講義のように、不足があれば次回に追加したり、聴講者の習熟度を確かめたりできるケースはその限りではない。しかし、職場から派遣されたり、公民館事業への協力であったり、そうした仕事を拒みきれない現実がある。このケースは出かけてよかった例で、後味のよいもの。まとめに苦心された小野氏によそながら感謝したい。
by bashomeeting | 2012-03-09 11:01 | Comments(2)
ナンジ 会社をやめることにしました。
ソナタ ……。
ナンジ 家業を継ぐことに…。
ソナタ ………。
ナンジ ほとんどイジメの世界でした。
ソナタ ………。
ナンジ 就活には勝ったんだけれどナー。
ソナタ そんなことを言うようじゃ、まだ芭蕉がわかってないナ。
ナンジ ……。
by bashomeeting | 2012-03-02 07:43 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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