2012年 05月 17日
乙鳥の巣◆くちなわをさげる
ラジオで、そんなことを言っていたと家人が言う。埃をかぶった古い水撒きホースを早速物置から取り出して、とぐろを巻いているかのような工夫をして、ベランダから乙鳥の巣の近くに垂らした。蛇を喰う烏の童話を読んだことがあるので、真偽のほどはあやしいが、一計を案じることができてよかった。
雨の日は湯女と花札蝮捕り 副田萍泉
引き返すほかなし蝮怒らせし 谷地海紅
2012年 05月 16日
乙鳥の巣
乙鳥のことです。今朝巣作りに来たのです。信じて茅屋に巣を営むかどうか、まだ保証はないのですが、嬉しいのです。なお、カラスのことを怨んだことはありません、念のため。
教師我れ草笛なども少し吹く 鷺 孝童
2012年 05月 14日
子規と桑原武夫
海紅の要約によれば、内容は以下の通り。
1,明治は欧化主義と国民主義とのせめぎ合う政治の時代だった。
2,子規が政治家として野心を持って十代を送ったことは、漱石・碧梧桐・虚子・漱石らの証言で明白である。
3,子規の主張は陸羯南らの国民主義を背景に置いて吟味しなければ誤る。
4,ベンジャミン・フランクリンの近代合理主義に基づく子規の仕事は、おのずから日本文化の閉鎖性や封建性批判へと向かった。和歌俳諧革新というエネルギーの根源がそこにある。
5,太平洋戦争敗戦。桑原武夫「第二芸術」は子規の苦悩とアナロジーであるが、これによって深く傷ついた日本人もまた子規・武夫同様の苦悩の持ち主であった。
6,「第二芸術」の反響の大きさに驚いた最大の人物は著者桑原自身。よって彼の思想をとらえるためには、「第二芸術」以後の桑原自身の深化を把握しなければ誤るだろう。
7,子規の生涯は長くなかった。それは、桑原における「第二芸術」以後が、子規にはなかったことを意味する。子規にとって、それが幸福であったか、不幸であったかは難問。
8,残る問題は、子規・虚子・碧梧桐の総合的な吟味、留学がもたらした漱石の思想の変質、柳田国男の日本文化史観、虚子のもとを離れて俳句に西欧並みの詩を盛り込もうとした俳人たち、山本健吉の「純粋俳句」論、そしてなにより国力と文化力との間に横たわる力学の検討を通して解決がはかられる可能性が高い。
高く咲く泰山木の花は好き 淀川梨花女
2012年 05月 11日
新人類の芭蕉研究
芭蕉没後の享保期に「芭蕉発句はよき句もあれどうすし…」(沾徳随筆)として其角評価に及び、その流行から蕪村が誕生したり、一方で『沾徳随筆』いうところの〈薄きところ〉を以て江戸に芭蕉再評価が起こり、また美濃派の地方経営にが成功したりする。とこうして芭蕉に対する鑽仰と信仰が入りまじって、芭蕉翁の教祖化・偶像化が進み、俳句はカルチャー化して幕末へと向かう。
このような近世俳諧史研究と、以下のような近現代の芭蕉その他の俳諧受容にそれほど径庭のないことを再確認すべきかもしれない。すなわち、明治時代の芭蕉崇敬を北村透谷がどのように見て俳句を詠んでいたか、「芭蕉の俳句は過半悪句駄句…」(芭蕉雑談)という子規の判断の根拠は何か、二葉亭四迷の芭蕉評価が依拠する知識、内田魯庵の芭蕉評伝の検証、翻案の多い島崎藤村の作品にみる芭蕉や蕪村の追究、象徴詩人という蒲原有明の自画像を支える芭蕉像、それに継ぐ三木露風のフランス象徴詩研究に見る芭蕉・蕪村受容、芥川龍之介の「枯野抄」と「芭蕉雑記」「続芭蕉雑記」などの問題、室生犀星の『芭蕉襍記』、小野十三郎「奥の細道」や村野四郎「芭蕉のモチーフ」、また中山義秀『芭蕉庵桃青』ほか保田与重郎の芭蕉への言及などである。
新茶出て古茶となるなり自ら 素十
2012年 05月 07日
飛び石連休◆海女たちに海より夏の来たりけり 渉石
情けないことに、集中講義最終日の昨日は少し疲れた。9時から16時10分までのおしゃべりを、三日続けたのだからやむを得ないか。それで、御褒美に、帰途の乗換駅で一人酒をふるまった。こんなときは誰と話したくもないし、一緒にいたくもない。
たそがれ時の小一時間を居酒屋の止まり木に止まり、目の前のガラスケースに冷えている魚を眺めながらくつろいだ。鰤と思われる一尾がレモンに顎をのせて横たわり、大きな目でボクを見ている。そのくたびれた表情を他人とは思えず、板さんに話しかけると、
――鰤とまでは言えないかナ。まだワラサ(稚鰤)ってとこでしょう。
と言う。ボクは奮発してお刺身でいただいた。一日早い誕生日祝いであった。
海女たちに海より夏の来たりけり 多田渉石
2012年 05月 04日
連句は相手(連衆)次第
連句の捌き手は重要な仕事だが、その結果の善し悪しは連衆による。芭蕉もたしか、相手次第の文芸であると書いていた気がする。
白牡丹ばかりといふもまた見事 児玉葭生
2012年 05月 04日
合わない靴
しかし、登山の際には変わりやすい山の天気に逆らわないように気をつけてきたし、交通渋滞を避けて抜け道を行ったりすることは今もある。なにも悪いことをしていないはずだが、バチばっかりあたっていると思う日もないわけではない。そんなときは、合わない靴を履き替えるように、人生の修正をこころみる必要があるが、これも一つの「方違へ」ではなかろうか。
ねじ花のねじれそめたるばかりかな 松尾美子
2012年 05月 01日
この人の一篇◆春の訪れ 椎名美知子
灰紫色にけむった林の中
小さなレストラン
かすかにドアの軋む音
新しい客が
心地よい風を連れて入ってきた
もうすぐあのドアから
〈待った!?〉
と 少し心配顔で
あの人は現れるにちがいない
軽めのコートをひるがえして
ちょっと息を弾ませて
肩のあたりに
小さな花びらをのせて
逢えばすぐ別れがきて
後ろも振り向かず去るのだから
甘い香りの記憶をたどって
今しばらく
このときめきの中にいよう
〔解題〕詩誌『沙漠』№266(平成24年2月)所載。 発行者 河野正彦(〒802-0826北九州市小倉南区横代南町3丁目6-12)