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 日本近世文学会があって、福岡大学へ出かけた。その往復の飛行機や旅館や居酒屋で、子珊(しさん)が編んだ『別座舗』(元禄7・5奥)を、古典俳文学大系6『蕉門俳諧集一』(集英社)の複写で読んだ。

 芭蕉の「軽み」を考える上で、あまりにも有名な芭蕉の言葉を子珊の序が伝えている。すなわち「今思ふ体は浅き砂川を見るごとく句の形、付心ともに軽きなり。其所に至りて意味あり」である。読んで、その意図するところを知りたかった。愚考の結果は以下の通り。

 「今思ふ体」は芭蕉の新風のこと。「浅き砂川を見るごとく」は「軽き」の比喩。「句の形」「付心(つけごころ)」は、軽くすべき対象のこと。私見では、連句の「軽み」とはくせのない表現と、前句を承認し受け入れる心ということになった。例によって、先学の意見を整理していないから、はなはだこころもとないが、書き留めておくことに。

  
by bashomeeting | 2012-10-30 11:45 | Comments(0)

七日の月◆civil wedding

 十月二十一日(日)、新幹線つばさで山形へ日帰りの旅をした。目的はtakeshi+ai君の結婚を祝うこと。式場はPalace Grandeur(山形市荒楯町)。人前結婚(civil wedding)というのは初めてだった。異なる宗教が混在する多民族国家ではよくあるカタチだという。それで、式次第がキリスト教会でのそれに似ているのだろう。

 招待状に祝辞の依頼が入っていたので、それなりの心づもりをして出かけたのだが、その話はやめて角田光代の「はじめてのちいさな旅」という小文を朗読することに。往きの電車で目にした、新幹線車内サービス誌『トランヴェール』10の巻頭エッセイだ。はじめて家族と離れて旅をする子どもの、不安と誇らしさが入りまじる心を描きながら、じつは一人旅をするほどに成長した子どもにほっとしながらも、一抹のさみしさを覚える大人の側へと筆をすすめてゆく文章で、まるで結婚する二人に贈ることばのように思えたのだ。この文章には地球上のすべての親に共通する思いがこめられている。手塩にかけた子がひとり旅をするまでに育ち、結婚後はふたり旅になる。二人だから二倍の力を得たかのようにも見えるが、どっこい世の中はそれほどシンプルではない。困難にぶつかるときは、ゆっくり大人になってゆく子どもの背中を、だまって見守っていた親心を思い出せる人間であってくれよ。そんな話をしたつもり。

  秋雨の降つたりやんだり結婚す

 話は前後するが、山形へ行く電車のなかで、sanaeさんからのメールをうけた。一日早く出かけて、結婚式をひかえる新郎と立石寺(山寺)に登ったという報告に添えて、「お昼過ぎまで降ったり止んだりのお天気予報です。会場でお待ちしています」とあった。それでこんな句ができた。sanaeさんの作にしたほうがよいかもしれない。

 ホテルを出ると、七日の月がかかっていた。昨夜の薪能を思い出した。帰路の新幹線まで小一時間あったので、もう一度新郎に会う予定というA君をさそって、駅前の「キッチン豆の木」(香澄町1)という店へ。「電車待ちの三十分です」というと、あるじが「殿様のだだちゃ豆」(300ml)というお酒を出してくれた。その名の通り、だだちゃ豆の濃厚な香りがした。山形大学農学部共同開発商品だという。黙っていたら、あけびの皮の味噌和えと、肉厚でやわらかなエイひれが出てきた。

 
by bashomeeting | 2012-10-22 12:34 | Comments(0)

六日の月◆薪能を鑑賞

 十月二十日(土)はYさんの厚意で薪の宴の能を鑑賞。於Heritage・Resorts(熊谷市小江川228)。爆ぜる火の粉のゆくえに晩秋の六日月があがっていた。秋気のゆたかさに、なんども深呼吸した。締めくくりの花火は淋しく、寒く、無くもがなと思われた。

能  俊寬(シテ関根祥六 ワキ福王和幸)
狂言 成上がり(シテ野村萬斎 アド岡聡史 小アド野村遼太)
仕舞 頼政(角寛次朗)
能  羽衣(シテ観世恭秀 ワキ村瀬提)


〔薪能〕神事能のひとつ。春日興福寺に庇護された大和猿楽四座(現:金春、金剛、観世、宝生)が修二会(陰暦二月)に奉納した「芝能」が起源か。春日若宮の「若宮能」「後宴の能」も「芝能」に時期を合わせておこなわれたらしい。とすれば、薪能の季は春。いま各地で季節を問わず演じられている薪能は雑とすべきだろう。
by bashomeeting | 2012-10-22 12:20 | Comments(0)
 「吟行が苦手で」とaoyagiさんが言った。
 「それが吟行のよいところさ」とボクは答えた。
 吟行に出て句作すると、自分の頭の中で考えていたことが役に立たなくなる。いったんそれを捨ててしまえば、目や耳や鼻や手足が働きはじめる。三十一音や十七音で十分表現できる発見がある。吟行はみんな苦手なのだ。だから吟行を大切にしなければならない。
 横浜は山手234番館の句会の折の一齣である。
by bashomeeting | 2012-10-18 07:18 | Comments(0)

秦恒平さんの喜寿

謹呈 平成二十四年(二〇一二)十二月二十一日 七十七歳
 喜寿  七七は始終苦なりとそれも良し
         苦あれば樂のよろこびが松
  たまたま上梓の一冊 折もよしと自祝の献呈
  ご笑納下さい。       騒壇余人 秦 恒平

  秦恒平さんが新刊『京のわる口』(平凡社)を贈ってくれた。上記はその謹呈短冊の内容である。
  
  さてボクのこと。むかし、少年の夢のいくつかを諦めて、それでも捨てきれない人生を、どんなふうに棒に振ろうかと思案した末に、残っていた世界が古典。ところが、ふるさとの北海道は文化果つるところと悪口される、歴史の浅い土地であったから、持ち合わせの知識で古典に遊ぶのはなかなかむずかしい。だから、日本文化の発信地である京都に生まれた、秦さんの著作に出逢ったのは幸運で、たくさんのことを学ばせてもらっている。

  よそながら喜寿を寿ぎ、御自愛をお祈りする。
 
by bashomeeting | 2012-10-18 06:40 | Comments(0)
 十月十三日(土)の白山句会は横浜で、会場は山手234番館だった。この町は見どころに事欠かないので、幹事さん案内の吟行コースをめぐって、佳句をものした人もいた。

 ボクといえば、一人で一時間ほど海をながめた。北海道の真ん中に生まれ育ったので、いくつになっても海は新鮮なのだ。海をながめ尽くして、外人墓地に沿って歩くと、会場は元町公園前というバス停のそばにあった。このあたりの住居は周囲の自然にとけこんで美しい。スニーカーをスリッパに履き替えて234番館に入ると、階下の部屋では蓄音器と言ってよいような懐かしい装置で、懐かしい曲を鑑賞する会が催され、二階の句会場の隣では個展がひらかれていた。一瞬、軽井沢の夏の記憶がよぎる。

 このところボクは、句を詠む前に心を満たしたいなどと言う。満たされて出てくる言葉はみんな美しいなどとも言う。座の文学という世界の魅力はそれなのだと思う。余暇が学問の対象になって観光学が人気になり、カルチャー教室なども盛況のようだが、それで心が満たされるとは思えない。満たされて出てくる言葉を受けとめてくれる座(table)があることに心から感謝している。

  浜風のふはりと秋の風に乗る
  波音の残してゆきぬ秋の風(原案)
  波音を残してゆきぬ秋の風(改案)
  海も空も果てしなきもの暮の秋
  十字架を刻む墓山粧へる
  懐メロが流れ木の実がころげをり

 「波音の」を「波音を」と糺してくれたのは安居正浩さんである。
by bashomeeting | 2012-10-15 12:31 | Comments(1)
子の五指に沁みて柚子湯の香りかな
子の一言一言緑増すやうに
舗装靴出来上がりきて入学す
車椅子先づ通さむと雪を掻く

苗札を今日超えてゐる芽の一つ
土手焼きて戻れば犬に嗅がれけり
荒縄の弛みきつたる稲架を解く
籾焼くや故郷は田の面より暮るる
我のみに効くや富山の風邪薬
指二つ折れば定年日記買ふ
十二月八日最後の賞与受く
夕蛙退職を告げ墓を辞す

〔解題〕大原芳村句集『実千両』。学芸みらい社、平成24年9月刊。
by bashomeeting | 2012-10-12 12:50 | Comments(0)

平成24年9月30日の名月

颱風が嘘の如くに今日の月
颱風の夜であり良夜でもありき
あきらめし芋名月が寺の上
by bashomeeting | 2012-10-01 11:12 | Comments(1)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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