2013年 04月 26日
合掌◆蒲池淑子さん
暮らしていると年賀状にあったが 誰に連絡することもせず この
二十一日 閑かに天年を全うされたという Okさんが句会報を毎
回送ってくれていたが 少しは寂寥を慰めてもらえていたであろ
うか
これよりは卯月の星を仰ぐべし 海 紅
2013年 04月 15日
学恩◆千鳥塚の建碑は芭蕉三十三回忌
その中でとりわけ有名な墓碑のひとつに「千鳥塚」(名古屋市緑区鳴海町の「千句塚公園」に現存)がある。有名な理由は、貞享四年(一六八七)の『笈の小文』の旅の芭蕉が、寺島安信宅で「星崎の」歌仙を巻いた記念、つまり芭蕉存命中に建てられた唯一の墓碑であるからだ。しかし、詣り墓に始まる芭蕉塚の歴史において、 これのみが芭蕉存命中に建てられるのは不審。ボクは信用できなかった。
この地で、芭蕉や西鶴などの多くの文人と交渉を持った下里家二代知足の研究は、森川昭先生のお仕事で、この一月、その基礎資料である『下里知足の文事の研究』(和泉書院)の「第一部 日記篇」が刊行された。「千鳥塚」が芭蕉生前の墓碑でないことは、すでに先生の「千代倉家日記抄」(『俳文藝』ほか)から『夷参(いさま)』七号の〈千鳥塚の疑問〉に至る道筋で見えていたが、加藤定彦さんの「定年退職記念号」である『立教大学日本文学』(109号)に、加藤さん自身による〈「千鳥塚」再考〉という論も加わって、長年の疑問が氷解した。学恩に感謝するとはこういうことであろう。
2013年 04月 10日
常世へ32◆疲れたら休め
紅花:よく寝ることだ。そうすれば、明日はよい判断ができる。
2013年 04月 10日
常世へ31◆良心を生きて、信頼をめざす。
紅花:しかし、人を支配する味をおぼえちゃいけない。
海紅:権力は剣よりも冷たいと言いますからネ。
紅花:名誉より良心を生きることじゃないかな。
海紅:権威より信頼をめざすと言っても間違いじゃない。
紅花:そうだ。
2013年 04月 08日
ネクタイを捨てる
四月三日は新入生ガイダンスだったので、久しぶりにネクタイをして出かけた。滞りなく仕事を終えて、帰途の電車の中でネクタイをはずして驚いた。あちこち擦り切れて糸が垂れ、裏地が顔を出していたからだ。老眼が進んだせいもあるが、こんなものを首から垂らして、人前を一日うろついていたのかと思うとおかしかった。裏を返して製品名をみると「CREATION pierre cardin PARIS」とある。二十一歳まで働いていたサッポロ時代に買ったもので、ずいぶん御世話になった一本である。感謝しつつも箪笥には戻さず、捨てることにした。ほとんど締めることなく、きれいなままのネクタイを仕舞い込んで、思い出深い一本を捨てるというのはヘンな気持ちである。
入学の荷の白重白袴 安田巨風
2013年 04月 04日
青き踏む◆明日は二十四節気の清明なり
しみじみと杖有難し青き踏む 津川凡舟
2013年 04月 02日
ATAMI affectionⅤ◆初島と来宮神社
あてもなく出でて落花に間に合ひし 海紅
2013年 04月 02日
花冷え◆神保町小集
花冷えを言ひ訳にする遅参かな 海紅
2013年 04月 01日
薬は毒、毒は薬◆若煙草くさき煙を自慢かな 一茶(九番日記)
煙草の歴史は、薬とされる時代と、毒とされる時代を繰り返して近代を迎え、ついには国策として税金をかけ、国庫の増収をはかる仕儀となっているが、健康被害にやかましい今後はどのようになるのだろうか。
若たばこ軒むつまじき美濃近江 蕪村(夜半叟)
服部にしるよししてぞ若煙草 同(夜半叟)
まだき秋を黄(ば)みそめたり若たばこ 同(夜半叟)
「美濃近江」は美濃と近江の国境(滋賀県米原市)、「服部」(大阪府豊中市)は「今摂州服部の産を第一となす」(和漢三才図会)という煙草の名産地。「若煙草」(今年煙草・新煙草)はその年に収穫される煙草を称美する秋の言葉で、「煙草干す」という農事、つまり軒先などに一枚ずつ懸けて干す「懸煙草(かけたばこ)」、一枚ずつ縄に挟んで「編み成すごとくに」(和漢三才図会)晒し干しする「煙草編(たばこあむ)」などの語も若煙草のことである(滑稽雑談)。
夜の香や烟草寝せ置く庭の隅 太祇(太祇句選)
たばこ干す寺の座敷に旅寝かな 几董(晋明集二稿)
ちなみに、種をとるために咲かせる「煙草の花(花煙草)」は初秋の言葉である。
〔付記〕
『朝日新聞DIGITAL』に宇佐美貴子の記事として次のようにある。
今年6月(旧暦5月5日)で生誕250年を迎える小林一茶が、たばこ好きだったことがうかがえる手紙が発見された。自分のたばこ入れが落ちていないか聞いてほしいという内容。たばこが題材の句も多く残した俳人の人となりが浮かび上がる。
手紙が出されたのは文化9(1812)年12月3日、一茶が数え50歳の頃。縦16センチ横24センチの紙に本文5行と追伸3行の簡略なもの。長野市の浅野に住んでいた門人の竜卜(りゅうぼく)に宛てている。文中にある杉丸がだれかは分かっていない。
一茶記念館によると、竜卜はこれまで注目されていなかったが、江戸の一茶宅を訪問するなど交流があった。一茶の日記には12月1日「アサノニ入」、3日「長沼ニ入」とある。1日に浅野の竜卜宅に泊まり、3日に長沼に行ったところでたばこ入れがないのに気付いた一茶が、杉丸の所で忘れたと考え、竜卜に手紙を出したと推測される。「ついで」と書きながら「6日まで」とあり、一茶の切実ぶりが表れている。