海紅山房日誌

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学生の卒業論文経過報告や大学院生の研究成果が届く。それぞれ夏季休暇中の研鑚の結果である。ボクはといえば、書架の整理とパソコンの文書フォルダの整理を少ししただけで、夏のほとんどを費してしまった。恥ずかしいことである。

恥ずかしい夏に一区切りつけるべく、日帰りで特別展「若沖が来てくれました」(福島県立美術館)を観に出掛けた(9月11日)。「東日本大震災復興支援特別展」「プライスコレクション江戸絵画の美と生命」などと報道されて人気のようであった。

自宅を始発で出たので、往きの新幹線で朝食に新青森開業記念弁当「津軽味祭」という贅沢をした。ホタテや長芋など山海の美味豊かなもので、箱は天然の竹皮で作ってある。

あれこれ感心していると、「もしや」と声をかけられる。かつて教鞭をとった高等学校の卒業生ユーイチ君だった。新幹線で通勤なのだという。数十年ぶりの遭遇で「お元気そうでよかった」と挨拶されたが、ボクの頭を指さして「スッカリ白クナッチャッテ!」などとからかわれもした。彼もまた立派な壮年という風情であったが、少年期のイタズラっぽい目に変わりはなかった。十月に都内で食事をする約束をした。

開館の一時間以上も前であったが、美術館前はすでに四五十人が列をつくって待っていた。その列は開館のころに五六倍までのびて、ボクが美術館を後にする正午過ぎにも変わりなかった。白露を過ぎた時季にもかかわらず、残暑の厳しい日であった。

若沖への関心は蕪村と同時代の人で、しかも共に京都に住んだという点にあった。また画材を購入する資金に不自由しない裕福な若沖と、贔屓の人々の講に支えられて画業を続けた蕪村との比較にも興味があった。案の定、レゴブロックか銭湯のタイル絵かと思われた「鳥獣花木図屏風」を初めとする着色画はもののあわれに欠けるとはいえ、贅を尽くすことこの上なしという印象であった。ただし蕪村との比較という個人的な関心からいえば、「鶴図屏風」その他、水墨画の線の確かさに深く感動した。

なお編集方針とはいえ、図録に賛文などの釈文がないのが残念であった。また、竹皮の弁当箱は持ち帰って文具箱になっている。

こんなことを書き綴って、何になるとも思えないけれど、(忘れっぽくなっていることを実感するこのごろ)、書き綴ることをやめると、生きた心地がしないのである。呵々
by bashomeeting | 2013-09-22 12:00 | Comments(0)

Simple is the best.

乾電池の残量をはかる小道具で、俗にテスターとかチェッカーとかいうものがある。長い間、計量に際してボタン電池を必要としない(内蔵しない)ものを使っていたが、老朽化してしまったので新しく購入することにした。だがすべてが電池を内蔵する新型ばかりで、電池などなくても計量できる古風なものは売っていなかった。出費が惜しいわけではなく、電池を内蔵しないものがほしい。テスターのプラスとマイナスをつないでおけば済む簡素で便利なものを、どうして作らなくなったのだろう。
by bashomeeting | 2013-09-22 09:28 | Comments(0)
1.【集合・再会】八月二四日(土)~二五日(日)、かみのやま温泉駅に集合して卒業生との文学散歩。誘われて早や十五年めになる。十四名と再会。

2.【蟹仙洞博物館―月山の銘】二台のジャンボタクシーに分乗して、長谷川謙三の蟹仙洞博物館へ(矢来4)。明・清時代の堆朱(ついしゆ。漆に朱や酸化鉄を混ぜる)コレクションを見る。関の孫六その他日本刀のコレクションが圧巻。室町期の刀に「月山用(こしらえ)」とあり、「短刀 銘 月山 長さ20.6㎝ 綾杉肌が特徴」とある名刀を見て、『おくのほそ道』に「此の国の鍛冶、霊水を撰びて爰(ここ)に潔斎して劔(つるぎ)を打ち、終に月山と銘を切つて世に賞せらる」(出羽三山)の一節を思い出す。問えば、古くは月山と銘打つ鍛冶が三山の裾野全体にいたという。太刀と刀の違いの解説をうける。日本刀の樋は強度やバランス、軽量化、血流させないことを目的とし、名刀のめやすの一つであることを教わる。

3.【沢庵流刑の地】沢庵宗彭配流の地、春雨庵へ(松山2)。スズメバチ被害で、予定の茶席は中止となったが、管理人夫婦から元祖沢庵漬けなど、あたたかいもてなしをうける。土産に「春雨庵」の文字を焼き込んだ猪口をもらう。沢庵が『不動智神妙禄』(剣禅一致を説く書)に引用する道歌「心こそ心迷はす心なり心に心こころゆるすな」を思い、「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」(西行・新古今・秋)を思う。道歌の下の句は、煩悩を奔放に暴れる馬に喩える「心の駒に心許すな」という別案もあって、歌としてはこの方がすぐれている。

4.【芭蕉塚】上山城郷土資料館(元城内)に登って蔵王連峰を望む。月岡神社に立ち寄って、芭蕉句碑「芭蕉翁/名月に麓の霧や田の曇」を一見。弘中孝『石に刻まれた芭蕉』(智書房)は明治元年(一八六八)建碑とするが再考の余地あり。碑面に「芭蕉翁」と刻む例は芭蕉没後まもなくのものであるからだ。思うに再建碑ではなかろうか。

5.【旅宿 月の池】藩校明新館の教師を務めた三輪家など武家屋敷に往事を偲んで花明りの宿と銘打った「月の池」へ(湯町3)。念のためにいえば「月の池」が旅館名で、館内全体の照明を造花仕立てにしてある。それで「花明りの宿」という。いかにも女性好みの宿ながら、露天湯につかって冷えた酒を枡でいただける趣向。すなわち夕食前にほろ酔い気分で、宿の前にある薬師堂へ。脛を傷めた鶴が休んでいたという足湯があった。

6. 【茂吉鑽仰】二日目は茂吉尽くし。斎藤茂吉記念館(北町字弁天)から生家へ、菩提寺の宝泉寺に分骨の墓に手を合わせて、御幸公園の歌碑をめぐる。羽州街道を走り、参勤交代で栄えた楢下宿へ。脇本陣滝沢屋見学。畑は猿の被害を避けるべくネットが懸けられていた。こんにゃく懐石を堪能(こんにゃく番所)。温泉駅に戻って解散する午後三時には厳しい残暑が戻っていた。

〔附録〕上山の茂吉歌碑抄
朝ゆふはやうやく寒し上山の旅の宿りに山の夢みつ(JR上山駅前広場)
あしびきのやまこがらしのゆく寒さ鴉のこゑはいよゝ遠しも(斎藤茂吉記念館後庭)
蔵王山その全けきを大君は明治十四年あふぎたまひき(北町弁天の御幸公園)
ゆふされば大根の葉にふるしぐれいたく寂しく降りにけるかも(北町弁天の御幸公園)
蔵王よりおほになたれし高原も青みわたりて春ゆかむとす(鶴脛町の月岡公園)
足乳根の母に連れられ川越えし田こえしこともありにけむもの(鶴脛町の月岡公園)
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり(金瓶北の宝泉寺境内)
すでにして蔵王の山の真白きを心足らひにふりさけむとす(金瓶の神明神社境内)
ゆき降りし山のはだへは夕ぐれの光となりてむらさきに見ゆ(十日町亀屋旅館庭内)
上ノ山に籠居したりし沢庵を大切にせる人しおもほゆ(松山春雨庵内)
ひむがしの蔵王の山は見つれどもきのふもけふも雲さだめなき(経塚山頂上)
たましひを育みますと聳えたつ蔵王のやまの朝雪げむり(経塚山駐車場)
松風のつたふる音を聞きしかどその源はいづこなるべき(白禿山頂上)
桜桃の花しらじらと咲き群るる川べをゆけば母をしぞおもふ(皆沢路傍)
上ノ山市長三選成りめでたくて茂吉思ほゆ道を思ほゆ(松山の栗川稲荷神社境内)
by bashomeeting | 2013-09-10 12:26 | Comments(0)
 今年は身の上話めいたことをいうことが多い気がする。黒羽の講演前夜に、星野椿・黒田杏子・正木ゆう子の三先生と夕食を共にする機会に恵まれて、正木さんは聞き手に徹していたが、その際に星野・黒田両先生の尋問に答え続けたのがはじまりかもしれない。箍(たが)が緩んだとはこのことであろうか。学内学会の会報に「師と私」というテーマで執筆を依頼されて、ヒョコヒョコ引きうけてしまったのも同じ症候であろう。以前なら拒み続けたテーマである。気が衰えてきたのかもしれない。

・・・秋の夜長きにもいよいよあかぬ人も候へ共、暁のねざめに心をすまし、来し方行く末のことなど思ひつづけ、あかしかねたるさま尤もに候(里村紹巴『連歌至宝抄』)

  古来秋の夜長は、昔を思いおこしては、これから先のことをしみじみと考える季節。あやまちなく、同時に後悔のない日々を暮らしたいと思う。
by bashomeeting | 2013-09-08 11:33 | Comments(0)
 以下はスクーリングで教材にした芭蕉発句による連句である。未完をよいことに、学習として受講生に継いでもらった。作者名の陽子以降がそれである。

文月や」二十句
    直江津ニて
文月や六日も常の夜には似ず        ばせを
露をのせたる桐の一葉     石塚喜衛門 左 栗
朝霧に食焼烟立分て             曽 良
蜑の小舟をはせ上る磯        聴信寺 眠 鴎
烏啼むかふに山を見ざりけり   石塚善四郎 此 竹
松の木間より續く供やり          同源助 布 嚢
夕嵐庭吹払ふ石の塵         佐藤元仙 右 雪
たらい取巻賤が行水               筆
思ひかけぬ筧をつたふ鳥一ツ         左 栗
きぬぎぬの場に起もなをらず           曽 良
数々に恨の品の指つぎて           義 年
鏡に移す我がわらひがほ           翁
あけはなれあさ氣は月の色薄く        左 栗
鹿引て來る犬のにくさよ            右 雪
きぬたうつすべさへ知らぬ墨衣        眠 鴎
たつた二人リの山本の庵           左 栗
華の吟其まゝ暮て星かぞふ          義 年
蝶の羽おしむ蝋燭の影            右 雪
春雨は髪剃兒の泪にて            芭 蕉
香は色々に人々の文             曽 良
初時雨生きていたなら十八と         陽 子
蕎麦をすすりて温め酒して          松 江
荒海に耐へたる魚のほの甘く        壽代
指送りしてメール熟読            弘 美
すれ違ふコロン懐かし足をとめ      弘 美
by bashomeeting | 2013-09-04 10:50 | Comments(0)
  霊あらば親か妻子のもとに帰る靖国などにゐる筈はなし 市村 宏(『東遊』)

1.【長岡にした理由】今年の地方スクーリングは、昨年まで象潟・酒田・村上と辿ってきた順序でいえば出雲崎であったが、季節や受け容れ施設の点で難しいという地元の先生の忠告を尊重して、長岡に変更した。八月十六日(金)から十八日(日)という日程だから、もっともな忠告だと思った。

2.【トランヴェール】終戦日の十五日は前泊で長岡へ。とき331で大宮(15:58)を発ち、長岡(17:12)着。『トランヴェール』は「いま、岩手の海は」を特集。洋野町の種市港(ホヤとウニ)、南部潜りのきっかけは明治31年(1898)の貨物船座礁であったこと、種市高校に海洋開発科受け継がれて今に至ること、洋野町の南隣が久慈市で、古くから海女の伝統があることなどを知った。

3.【種市先生の思い出】その連想で中学生のときの数学担当に種市という先生がいたことを思い出す。ボクの数学の答案をみて、「答えは正解でも、解法のプロセスに誤りがあるのでマルをやれない」と告げられた記憶。「お前のように、ソロバンができるヤツの数学は伸びない」と言われた心の傷があって、忘れがたい先生のひとり。

4.【前泊】予約のニューオータニ長岡(Room number511)はほとんど駅前で至便。チェックインを済ませて夕食のために1階の暖簾をくぐると、先客に受講生のYさん。清酒「八海山」で歓談。

5.【誤った情報】初日。ホテルの裏口を出て福島江用水を越え、会場の長岡市青少年文化センター(今朝白1丁目)へ。職場作成の資料にある「5階、502会議室」は誤りで、建物はプラネタリウムのある3階が最上階。教室は2階の集会室だった。炎天下を来た受講者で教室はいっぱいになった。

6【おもかげとしての西行】.講義内容は、まず『おくのほそ道』の登場人物一覧に、西行の名が二度しか出てこないにもかかわらず、「おもかげ」というかたちで、いかに多くの西行が垣間見られるかを講じた。芭蕉が求めた自画像を考えるためのヒントである。

7.【『おくのほそ道』の構造と連句 附懇親会】二日目。暑さのために体調を崩した受講生一名がリタイア。この季節の開講を再考すべきだと反省。連句(俳諧の連歌)に関する概説のあと、芭蕉が直江津で巻いた「文月や」二十句(曽良俳諧書留)の解釈と鑑賞を終え、二十一句目以降を継ごうという提案をした。芭蕉の人生や『おくのほそ道』という作品に、連句という文芸が与えた影響を考えてもらうのが目的である。ただし、時間が十分にはないので、五句を継いで終了(作品は別掲)。最後に「長岡スクーリングでわかったこと」をテーマに要約文を作成してもらった。終了後は、若手の受講者(女性二名)に幹事をお願いして、例年通り懇親を目的に会食した。場所はへぎ蕎麦の長岡小嶋屋(殿町2)。卒業生を含む飛び入り参加で総勢二十九名。

8.【『おくのほそ道』と「銀河ノ序」 附良寛を偲ぶ】三日目。越後交通バスで出雲崎へ。俳文「銀河ノ序」と『おくのほそ道』越後路を比較して、『おくのほそ道』の構造を考えることが目的。良寛記念館見学を経て、歩いて海岸の街道沿いに下る。良寛堂(大正十一年九月建立)見学。暑さのため、石塔(良寛持仏石地蔵をはめこむ)や歌碑「いにしへにかはらぬものはありそみとむかひにみゆる佐渡のしまなり」の説明もそこそこに、第一目的である芭蕉園の「銀河ノ序」碑へ。暑さで更なる脱落者が出ることを恐れて、芭蕉一泊という大崎屋跡、光照寺(良寛剃髪の寺)、妙福寺(「俳諧伝灯塚」がある)などの案内は中止。どうにか昼食を済ませて解散した。なお、出雲崎観光物産センター・天領出雲崎時代館は「道の駅」に指定されていた。飛び入り参加の二名と長岡で別れ、青少年センターに挨拶に出向き、とき368(長岡18:31)に乗って、大宮帰着(19:42)。

▶▶▶良寛堂は大正十一年(一九二二)に、佐藤吉太郎(虚子に学んで、俳号耐雪)の尽力によって建設。設計は安田靫彦。良寛の持仏(枕地蔵)をはめこむ石塔を安置し、「いにしへに」の歌を刻む。
by bashomeeting | 2013-09-04 10:40 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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