2013年 11月 30日
Are all members there?◆ある人に
そのことを知らず過ぐせる案山子かな
先生のゐなくなりたる冬日かな
みんなそこにゐるのでせうか冬銀河
2013年 11月 25日
再掲◆軍隊について
軍隊は、いくさをする人の集団である。いくさとは、軍隊と軍隊とがたたかうこととされている。したがって軍隊以外の市民・国民をいくさの対象とすることは、軍隊の本来のありかたではないことを自覚した軍隊であって欲しい。
右のことを原則にして、まず、日本の軍隊は国内治安のために出動することを禁じられた軍隊であって欲しい。
つぎに、非戦闘員への加害と次代への後遺症を防ぐために、核兵器・化学兵器を一切装備しない軍隊であって欲しい。そして、このことを世界にむけて言明できる政府の政策を望んでやまない。
―本田徹夫―
―『思想の科学』(思想の科学社、昭和57・7)―
The armed forces are fighting groups. War is that the armed forces fight against the armed forces. Therefore it is a mistake to call a fight of the civic participation war. Therefore, the Japanese armed forces must not be dispatched for the domestic peace and order.And do not be equipped with a nuclear weapon and chemical munitions to avoid the civic damage and future aftereffects. I hope in the Japanese Government to declare this for the world. - Tetsuo Honda -
【五年を経て思うこと】
Like a sickle and the hoe of the farmer, can you have a weapon without murdering innocent people to live?
落葉舞ふ奚琴(ヘグム)いよいよ終章へ 海紅
2013年 11月 17日
卑しき心
2013年 11月 17日
本など出すものではない 児島喜久雄
芥川の『雑記』の冒頭の一文は、これである。それにつけ思い出されるのは、わたしが大学で直接指導を受けた児島喜久雄先生が、つねづね「本など出すものではない」とわたしたちを戒められたことであった。そんなことはやくざ(谷地注:原文「やくざ」に傍点)な事だという感じでおっしゃったように憶えている。児島先生の親友の河野与一先生もまた本を出さない方(かた)であった。「美学及美術史科」の研究室を創設された大塚保治 ― 歌人、大塚楠緒子の夫君 ― が、また、生前一冊の著書もなかった。だから、これはわたしたちの受け継ぐべき伝統なのであった。しかし、わたしは、その教えを守らずに、つまらぬ本を数冊、出版してしまった。 ―玉城徹『芭蕉の狂』角川選書―
2013年 11月 17日
遺稿は出さずもあらなん 蕪村
2013年 11月 12日
Are you a necrophilia ?
2013年 11月 12日
文京アカデミア講座◆松尾芭蕉と与謝蕪村
2013年 11月 12日
Endless road◆此道や行人なしに秋の暮 ばせを
― 心敬『ささめごと』より ―
▶▶▶「正見」とは正しい知見という意。芭蕉の「此道」はとどまることのない心の道であったろう。その「道」に俳諧という言葉を代入してもよいし、それを仏道と名づけても誤らない。修行者に終着駅はないのである。元禄七年(一六九四)十月十二日申の刻(午後四時ころ)、芭蕉は大坂に没。今年は十一月十八日(月)がその忌日にあたる。
2013年 11月 11日
土佐清水特産宗田節の鍋 海紅
宗田鰹は騒多鰹とも書くそうだ。ある事典によれば、鰹の仲間であるソウダガツオは血の気が多く、水面に群れて騒がしいので騒多の名があるという。説得力には欠けるものの、もしそうだとすれば、宗田はさらにその後の宛字か。本鰹より濃厚な味だが、足が速く、保存きかないので、節になるそうだ。
一名にメジカ。これはたぶん目が口に近いところから付けられたにちがいない。それを略してメジなのだ。卵かけ御飯まで二週間待たねばならないというじれったさも悪くない。
漁のなき冬は用なき島男 田中緑風子
2013年 11月 05日
合わせる顔
冬来たりなば出稼ぎに行くといふ 前原貞樹