海紅山房日誌

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    十一月二十九日          海 紅
そのことを知らず過ぐせる案山子かな
先生のゐなくなりたる冬日かな
みんなそこにゐるのでせうか冬銀河
by bashomeeting | 2013-11-30 04:48 | Comments(0)

再掲◆軍隊について

2008年 08月 14日に「忘れ得ぬことば◆軍隊」と題して、次のような一文を紹介した。そしていま、東日本大震災とそれに伴う福島原発事故以後の身辺を悲しみつつ、にわかに再読してみたくなった。

軍隊は、いくさをする人の集団である。いくさとは、軍隊と軍隊とがたたかうこととされている。したがって軍隊以外の市民・国民をいくさの対象とすることは、軍隊の本来のありかたではないことを自覚した軍隊であって欲しい。
右のことを原則にして、まず、日本の軍隊は国内治安のために出動することを禁じられた軍隊であって欲しい。
つぎに、非戦闘員への加害と次代への後遺症を防ぐために、核兵器・化学兵器を一切装備しない軍隊であって欲しい。そして、このことを世界にむけて言明できる政府の政策を望んでやまない。
                                        ―本田徹夫― 
                          ―『思想の科学』(思想の科学社、昭和57・7)―

The armed forces are fighting groups. War is that the armed forces fight against the armed forces. Therefore it is a mistake to call a fight of the civic participation war. Therefore, the Japanese armed forces must not be dispatched for the domestic peace and order.And do not be equipped with a nuclear weapon and chemical munitions to avoid the civic damage and future aftereffects. I hope in the Japanese Government to declare this for the world.            - Tetsuo Honda -


【五年を経て思うこと】
Like a sickle and the hoe of the farmer, can you have a weapon without murdering innocent people to live?

  落葉舞ふ奚琴(ヘグム)いよいよ終章へ  海紅
by bashomeeting | 2013-11-25 20:53 | Comments(0)

卑しき心

 いくら時代が変わっても、資金さえあれば本を作って良いというものではあるまい。少くとも、そういう民主主義からは芭蕉の心は理解できないのである。これは、ひと様にむかって言うのではない。わたしには、自分自身のことが一番大切である。本を作るのに、それが「卑しき心」から出た仕わざではないかという恥じらいを、もし失ってしまったなら、わたしも一巻の終りである。     ―玉城徹『芭蕉の狂』角川選書―
by bashomeeting | 2013-11-17 20:43 | Comments(0)
   芭蕉は一巻の書も著したことはない。
 芥川の『雑記』の冒頭の一文は、これである。それにつけ思い出されるのは、わたしが大学で直接指導を受けた児島喜久雄先生が、つねづね「本など出すものではない」とわたしたちを戒められたことであった。そんなことはやくざ(谷地注:原文「やくざ」に傍点)な事だという感じでおっしゃったように憶えている。児島先生の親友の河野与一先生もまた本を出さない方(かた)であった。「美学及美術史科」の研究室を創設された大塚保治 ― 歌人、大塚楠緒子の夫君 ― が、また、生前一冊の著書もなかった。だから、これはわたしたちの受け継ぐべき伝統なのであった。しかし、わたしは、その教えを守らずに、つまらぬ本を数冊、出版してしまった。         ―玉城徹『芭蕉の狂』角川選書―
by bashomeeting | 2013-11-17 20:35 | Comments(0)
 遺稿は出(いだ)さずもあらなん。いにしへより作者のきこえあるもの、遺稿出て還(却)て、生前の声誉を減ずるものすくなからず。       ―蕪村「芦陰句選序」―
by bashomeeting | 2013-11-17 20:33 | Comments(0)

Are you a necrophilia ?

 芭蕉の句の一つ一つについて、その辞句の出典を探って、そこに新しい解釈を見出だすなどという仕事は私には出来ない。あのやり方を見ていると、妙に屍体愛好(ネクロフイリア)の匂(にお)いがする。そして、芭蕉の句までが干からびて見えてくるのである。   ― 玉城徹『芭蕉の狂』角川選書 ―
by bashomeeting | 2013-11-12 06:54 | Comments(0)
Basho is a seeker after truth. In contrast, Buson is a child of the solitaire.
by bashomeeting | 2013-11-12 05:51 | Comments(0)
いかなる形をまことの仏、いづれの姿を至極の歌、連歌と定め侍らむ心は愚かなるべくや。まことの仏、まことの歌とて、定まれる姿あるべからず。(略)たゞ一つ所にとゞこほらぬ作者のみ正見(しやうけん)なるべしとなり。
                                   ― 心敬『ささめごと』より ―

▶▶▶「正見」とは正しい知見という意。芭蕉の「此道」はとどまることのない心の道であったろう。その「道」に俳諧という言葉を代入してもよいし、それを仏道と名づけても誤らない。修行者に終着駅はないのである。元禄七年(一六九四)十月十二日申の刻(午後四時ころ)、芭蕉は大坂に没。今年は十一月十八日(月)がその忌日にあたる。
by bashomeeting | 2013-11-12 05:34 | Comments(0)
 小瓶に入った宗田節をもらった。ソウダガツオ(宗田鰹)が形のままに入っていて、それに醤油をさして、冷蔵庫で二週間寝かせる。そうするとおいしい出汁醤油になるそうだ。
 宗田鰹は騒多鰹とも書くそうだ。ある事典によれば、鰹の仲間であるソウダガツオは血の気が多く、水面に群れて騒がしいので騒多の名があるという。説得力には欠けるものの、もしそうだとすれば、宗田はさらにその後の宛字か。本鰹より濃厚な味だが、足が速く、保存きかないので、節になるそうだ。
 一名にメジカ。これはたぶん目が口に近いところから付けられたにちがいない。それを略してメジなのだ。卵かけ御飯まで二週間待たねばならないというじれったさも悪くない。

  漁のなき冬は用なき島男   田中緑風子
by bashomeeting | 2013-11-11 11:08 | Comments(0)

合わせる顔

十月にサッポロで母校の高等学校同窓会があった。しかし彼はこの度も欠席であった。表向きは仕事が理由のようだが、融通して休暇をとれない年齢ではないだろう。サッポロは高卒後の三年間を過ごした町で、懐かしいこと限りないと言いつつ、同窓会にはどうしても出席できないらしい。北海道の友人から電話があって、元気なのか、なぜ来ないなどと問われ、出席者の名を並べられて自問自答。その結論は「合わせる顔がない」であった。「誰に合わせる顔がないの」と尋ねると、「自分の高校時代にさ・・・」とつぶやいた。

  冬来たりなば出稼ぎに行くといふ   前原貞樹
by bashomeeting | 2013-11-05 05:53 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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