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 振りかえるべき事柄をいくつも残しながら、平成二十五年(2013)が終わろうとしています。今となってはいたしかたなく、残された事柄は新しい年の課題にして、除夜の鐘を待つことにいたします。年明けには、芭蕉会議にあたらしく加わられた方々に挨拶のe-mailを差し上げ、句会や研究会へのお誘いをしたいと思います。

 今年の芭蕉会議の集いは一泊の年忘れ句会として、五浦・平潟を吟行しました。十二月十四、十五の二日間で、復旧なった岡倉天心ゆかりの地と、これまた津波被害から立ち直った野口雨情のふるさとを訪ねました。たくさんの冬波をみました。震災や原発の記憶と戦っていたり、避けがたい恙と向き合っている友だちとも再会し、共に大切な時間を過ごすことができました。この企画を進めてくれた人々や、参加してくれた仲間に厚く御礼申し上げます。

     歳晩
鴉来て冬田まことにそれらしく
大観も観山も来よ炉辺淋し
除夜の鐘聞きに戻れる我が子かな
何事もなかりしごとく年の行く
by bashomeeting | 2013-12-31 12:00 | Comments(2)
Youth is not a time of life,it is a state of mind.

▶▶▶海紅句抄「焚火の輪くづれて峡の旅終る」より抄出。
by bashomeeting | 2013-12-25 10:12 | Comments(0)
『at home』のエッセイを書く都合で「長閑(のどか)」「長閑(のど)けし」を春季とする根拠を知りたくなった。『万葉集』から始めて『古今集』へと進んで、有名な二首「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(業平・古今集・春上)、「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ」(友則・古今集・春下)まで来て、たぶんこの二首あたりを証歌として春の言葉に定まったのではないかと考えた。

だが、念のために『図説大歳時記 春』(角川書店、27頁)を見ると〈「のどか」「のどけし」ともに『万葉集』『古今集』には用いられていない〉とある。これは尾形仂先生の執筆である。あの大学者にして、このような見落としがあるのはなぜか。念のため山本健吉の『基本季語五〇〇選』(講談社学術文庫、14頁)をみる。怠惰なボクにはめすらしい。すると「のど」は「和」で、なだらかの「なだ」に通じ、「のどには死なじ」(『宣命』)とあって「無事」の意味もあるという語源論に重きが置かれ、季の定まった時期についてはふれていなかった。『古今集』の業平・友則歌を春季の根拠にしてはまずいだろうか。まだボクに勉強の余地があるのだろうか。

そこで、とりあえずボクの目に入った『古今集』以外の用例、のちのために。

風はいととく吹けども、日のどかに、曇りなき空の(源氏物語・常夏)
程へてみづからのどかなる夜おはしたり(源氏物語・若紫)
うしろやすくのどけきだに強くば、うはべの情は、おのづからもてつけつべきわざをや(源氏物語・帚木)
君はいとのどかにて(堤中納言物語)
浮き沈み淵瀬に騒ぐ鳰鳥はそこものどかにあらじと思ふ(敦慶親王・後撰集・恋六)
帰るさをいそがぬ程の道ならばのどかに峰の花は見てまし(忠通・千載集・春上)
などてかく雲隠れけむかくばかりのどかにすめる月もあるよに(命婦乳母・後拾遺集・哀傷)
人の来たりて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし(徒然草・一七〇)
by bashomeeting | 2013-12-22 11:04 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


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