2014年 06月 30日
講演◆芭蕉はなぜ旅に出たのか
ボクの話は「なぜ芭蕉は旅に出たのか」というもの。従来説にある精神的な理由にはふれず、職業俳諧師という実務をめぐる話をした。つまり、点業という俳壇の仕組みは、安定的な収入を得ることに向いてはいても、すぐれた作品を仕上げるには適さない。それは連衆と直接座を囲む当意即妙の追求からしか生まれないからだ。
それで会席に直に集う人々への直接指導へと乗り出した。それが旅立つ大きな理由のひとつ。点業という仕組みが定着している都会で、気兼ねなく直接指導を行なうのは、ギルドやヒエラルヒーの観点からむずかしかったにちがいない。
深川隠棲という受け身の暮らしを否定し、晩年の十年間を旅に費した理由はそれなのだと結論づけた。なお、論旨の展開に不可欠と考えて、芭蕉の漂泊は「立ち帰る旅」から「行き交ふ旅」へと大きく変化するという話を添えた。
芭蕉の本業とはなにか、連句とはどのような文芸か、そんなことがわからなければつまらなかったであろうに、最後まで熱心にきいてもらったことに感謝している。散会後に、誘われて有志と教員による懇親の会席にも加えてもらい、心地よく帰途についた。
この地には何度か訪れているが、いつ来ても人心地のつく町である。教員、学生を問わず、ゆったりとした気風が残っていて、まことに懐かしいものがある。
2014年 06月 30日
公開講座◆求道の終着地―長明・兼好・芭蕉―
ボクの演題は「求道の終着地―長明・兼好・芭蕉―」。話の要点は、芭蕉の出家は結局かなわなかったが、仏道にしたがい煩悩を断ち、悟りを得ようとした時期があったことは疑えない(『幻住庵記』その他)。そこで、まさしく出家を果たした長明の『方丈記』と兼好の『徒然草』の全体を視野に入れつつ、この二人と異なる芭蕉の求道の終着地を求めようというもの。すなわち、芭蕉の終着地は、仏道に敬意を払いつつも、帰依して浄土へ導いてもらおうとしない、現世(幻の世、仮の世)を承認する(受け入れる、聞き入れる)精神性にあるとした。
朝露によごれて涼し瓜の土 芭蕉(元禄7・続猿蓑)
2014年 06月 28日
白山句会6月◆与野というオアシスのような町で
六月十四日(土)は久しぶりに与野本町界隈を楽しんだ。副都心化を誇るさいたま市で、与野はオアシスのような空間である。中山道でおいしいお蕎麦をいただき、円乗院(真言宗)を一見し、与野公園からばら園を散策して、句会場は西与野コミニティーホール1F会議室(市立図書館西分館)であった。
企画の一切はK女史とKASYO氏に負うところが大で、緑蔭に身をまかせ、夏木立が影をおとす池の鯉になごみ、残るバラ、残るつぼみをめぐって、ありがたい一日を過ごした。 この町は公民館講座で数年お邪魔して以後、忘れられなくなったところ。K女史はボクをその講座に引っ張り出した知恵者で、KASYO氏はその受講者のお一人で俳人でもある。夕食に案内された南風というカフェギャラリーは蔵造りで、沖縄料理を堪能できる憩いの空間であった。通りすがりの旅人にも優しいその心配りは、K女史とKASYO氏の御苦労があってのことと感謝して帰途についた。
海紅
バラの香や与野本町は空広し
腰伸ばす一人イケメン薔薇手入れ
2014年 06月 28日
常世へ33◆ふるさとや父母とある如蚊帳に寝る 村中美代
小さき肩抱いて遠くの桜見せ 村中美根子(『葛』平26・7)
2014年 06月 01日
「俳句文学館」518号◆桑島啓司「芭蕉と和歌山」(講演要旨)を読む
2,「和歌」と前書する「行春にわかの浦にて追付たり」(笈の小文)に異形句はなし。あるとすればすべて誤伝である。
2014年 06月 01日
saddle a horse◆納屋から馬を出して鞍を置く
馬ぼくぼく我をゑにみる夏野哉(芭蕉・水の友・天和3)
道のべの木槿は馬にくはれけり(芭蕉・野ざらし紀行・貞享1)
馬に寢て残夢月遠し茶のけふり(芭蕉・野ざらし紀行・貞享1)
馬をさへながむる雪の朝哉(芭蕉・野ざらし紀行・貞享1)
野を横に馬引きむけよほゝとぎす(芭蕉・猿蓑・元禄2)
蚤虱馬の尿する枕もと(芭蕉・奥の細道・元禄2)
馬かたはしらじしぐれの大井川(芭蕉・泊船集・元禄4)
柴付けし馬のもどりや田植樽(芭蕉・全伝・元禄7)
馬下りて高根のさくら見付たり(蕪村・夜半叟→遺稿・安永6後か)
紅梅の落花燃らむ馬の糞(蕪村・几董初懐紙・天明3)
馬の名も木の下影やちる桜(蕪村・落日庵・未詳)
癖のある馬おもしろし春の暮(蕪村・こまつか集・未詳)
脊のひくき馬に騎る日の霞かな(蕪村・落日庵・未詳)
道べたの御公家は馬にのられけり(蕪村・狐の茶袋・未詳)
馬の尾にいばらのかゝる枯野哉(蕪村・句集・未詳)
寒ごりに尻背けたるつなぎ馬(蕪村・稿本・未詳)
繋馬雪一双の鐙かな(蕪村・落日庵→遺稿・明和8前か)
凩やひたとつまづくもどり馬(蕪村・落日庵→句集・明和8前か)
雪白し加茂の氏人馬でうて(蕪村・句集・未詳)