2014年 07月 21日
帽子を買う◆夏の人空手来りて空手去る 素十(芹・S45)
会が終わって、大勢で懇親会に向かう途中に、マルケイ(江東区高橋14-21)という帽子屋があったので、ひとり群れを離れてふらりと立ち寄った。炎暑の季節を乗り越えるために、帽子を新調しなければならないと考えていたところに、ちょうど古風な小売店があるという幸運。店番の女主人とイタリアのボルサリーノの話をして、ボルサリーノを買うことに。もうすぐ夏休みである。
夏の人空手来りて空手去る 高野素十
2014年 07月 21日
Learning◆たむらちせい「樝咲く」(俳誌『蝶』208号)より
→たむらちせいは俳人。俳誌『蝶』(高知県佐川町)を主宰して、現在顧問。樝(シドミ)は草木瓜・地梨の別名で環境依存文字。
2014年 07月 08日
話の枕◆「連歌で返す初舞台」(高知新聞コラム〈よさこい談話室〉)より
都議会本会議のハラスメント発言で火がついて、民主主義の舞台がいかに乱暴で未熟なものかが露呈されていますが、最近の高知市議会ではこうした狼藉とは正反対の優雅なやりとりがあった、というと驚かれるでしょうか。四国は土佐に連句(芭蕉さんの本業)を愛する友人がいて、六月二十四日(火)の「高知新聞」を送ってくれました。そこに「よさこい談話室」というコラムがあって、この日は大山泰志記者の「連歌で返す初舞台」という文章でした。
内容は、六月の高知市議会の最終日、四月に就任し、この議会がデビュー戦で、質疑応答を終えたばかりの谷智子という新教育委員長に感想を聞くべく、短歌が趣味の岡田泰司という議員が「水無月や言論の府よ答弁席」と五七五で問いかけたところ、新教育委員長は「ただ真っ直ぐに子ら思ひつつ」と七七で返答したというのです。教育委員長ですからね、ただ子ども達のことを思って答弁したヨ、と応じたのでしょう。これで治まると思いきや、岡田氏はふたたび「水無月や言論の府よ答弁席」と繰り返す。しかし新委員長はこれにも「どぎまぎするもお手柔らかに」と七七で答えて追撃をかわしたとあります。
おもしろいでしょう、日本にはこんな文芸の歴史が古代から現代まで続いていまして、すなわち芭蕉の本業でありました。本日の私の話はこの芭蕉さんの本業を知らなければわからないものですから、話の枕に御紹介しました。ちなみに、大山記者さんには失礼ながら、コラムのタイトルの「連歌」は「俳諧」あるいは「連句」とするのが正しい。なぜなら、連歌は歌語(和歌に用いる言葉)を用いますが、「言論の府」「答弁席」などはそれに該当しません。芭蕉さんたちの文芸「俳諧」とか「連句」とあるべきではありました。
→これは、講演「芭蕉はなぜ旅に出たか」(群馬県立女子大学国語国文学会)の話の枕に用意したものである。しかし時間の関係で、講演後の懇親会の席上で披露。2014年 06月 30日の海紅山房日誌を参照。
2014年 07月 08日
短句のしきたり◆二五三四はよきなり、五二四三は悪しきなり(宗牧『四道九品』)
白山連句で「師の在せば」歌仙を捌いている希望さんが、この文節の問題を取り上げて、短句(下句)を「4音+3音」にしないという約束があると書いている。ずいぶん以前に千年氏が同じことを言っていた気がする。
さて、この慣例は何を根拠にしていたか。記憶の糸をたぐり寄せると、古いメモに次のようなものがあった。『四道九品』『肖柏伝書』はいずれも連歌書。こんな学習をしたのはずいぶん昔で、『連句辞典』からの孫引きかもしれない。いまそれを確かめる余裕なく紹介することをおゆるしいただきたい。
二五三四はよきなり、五二四三は悪しきなり(宗牧『四道九品』)
→短句の十四音で「2+5+3+4」の組み合わせは心地よく聞こえるが、「5+2+4+3」はよくないという意か。
山の遠きや「まづ+暮れぬらん」
ことのほか句柄切れ切れにて聞きにくきや。
山の遠きや「夕べ+なるらん」
のびのびとしてしかるべく候(『肖柏伝書』)
→前者は「2+5」、後者は「3+4」の例。
2014年 07月 07日
Fish-eye◆ 中興俳論集へ
2014年 07月 07日
Mini-lecture◆「むめがかに」歌仙の恋を例に
恋の句の事は古式を用ひず。其故は嫁・むすめ抔、野郎・傾城の文字、名目にて恋といはず、只当句の心に恋あらば、文字にかゝはらず恋を附くべし。此故に他門より、恋を一句にて捨るといへるよし、恋は風雅の花実なれば、二句より五句に到る、といへ共、先は陰陽の道理を定たるなり。是は我家の発明にして、他門にむかひて穿鑿すべからず。
これは『二十五条』の恋の記事の全文。試みに咀嚼して、現代語訳を施してみると次のようである。
→蕉門では、恋の句は「恋の詞を用いる」という古式を採用しない。つまり文字や名称で恋かどうかを判断しないのだ。では何によるか。前句に恋慕の心があるかどうかによる。その心が読み取れれば、恋の詞の有無に関わりなく恋の句を続ける。こういうことをするものだから、他門では「蕉門は恋を一句で捨てるようだが、恋は風雅の花実(表現と心情の両面で大切に扱ってきたもの)なので、二句から五句続けるのが正しい作法」と言い返すが、「恋は風雅の花実」とか「二句より五句に到る」という教えも、基本的に恋(陰陽)のあるべき筋道を定めたものである(恋慕の情がある場合に限った話である)。(但し)この(恋の句はその情の有無で判断し、一句で終わってもかまわないという)教えは蕉門の新しい考え方であるから、他門に対してとやかく言い立ててはいけない。
こうした拙訳の蓋然性を計るために、試みに「むめがかに」歌仙(『炭俵』)に取材して、恋の句の様子を探ると次の三例になる。
【例1】
6藪越はなすあきのさびしさ 野坡
7御頭へ菊もらはるゝめいわくさ 野坡
8娘を堅う人にあはせぬ 芭蕉
9奈良がよひおなじつらなる細基手 野坡
【例2】
25門しめてだまつてねたる面白さ 芭蕉
26ひらふた金で表がへする 野坡
27はつ午に女房のおやこ振舞て 芭蕉
28又このはるも済ぬ牢人 野坡
【例3】
34未進の高のはてぬ算用 芭蕉
35隣へも知らせず嫁をつれて来て 野坡
36屏風の陰にみゆるくはし盆 芭蕉
まず古式とされる「恋の詞」の視点で言えば、8の「娘」、27「女房」、35「嫁」がそれに該当。この三例のうち、次句で恋を展開させる例は36(挙句)だけ。しかし、それは露骨な恋でなく、句意(前句と結んだ二句)によっていて、(挙句だから当然であるが)展開というより恋の場面を収束するものになっている。また、句意を吟味すると、8「前句の哀惜を箱入り娘の上に移した恋の始まり」、35「前句の貧乏を長屋の独身男の上に移した内々の婚礼」の二例には恋心が顕著だが、27「初午の祭礼(稲荷社)に女房の親戚を招いて振る舞う」趣向は、前句の「拾ったお金」に負っていて、強引に恋の情を読むべきでないことがわかる。とすれば、先掲『二十五条』の拙訳もまずまず及第点か。
2014年 07月 07日
Insect-eye◆『二十五条』は実用書の最たるもの
2014年 07月 07日
Bird-eye◆実用書としての『附合てびき蔓』
2014年 07月 02日