2014年 09月 30日
浅酌◆酒席で母を語らず
秋蚕見に行つてなかなか戻らざる 前島夢人
2014年 09月 29日
見し秋を何に残さん2◆「秋の暮れ」の文学史
一方和歌では〈美しくも淋しい〉の〈淋しい〉世界が強調され、たとえば「さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮れ」(良暹・後拾遺・秋)はひとりぽっちである(仏道修行の)淋しさと、景色の淋しさの二つを同一視。「さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮れ」(寂蓮・新古今 ・秋)は常緑樹の槙の山を見ても癒やされない、つまり色(景色)ではなく境地(心境)としての淋しさ。「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」(西行・新古今・秋)は鴫が音を立てて沢を飛び立つさまから、出家者にもあるしみじみする心の表明。「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」(定家・新古今・秋)は苫葺きの小屋が点在するだけの海辺の景色から、この賞美するもののない世界こそ秋の夕暮れという展開を見せる。こうして「秋の夕暮れ」は古びて閑寂な味わい、つまり「さび」の世界を描く時空となってゆく。
ちなみに、「秋」の本意は「四季で一番素敵な季節→秋は過ぎ去るもの、悲しいもの→人生や恋の過ぎ去ることを惜しむもの→〈深まり〉の象徴」というふうに変化してゆく。それを例歌で示せば「春はただ花のひとへに咲くばかり物のあはれは秋ぞまされる(不知・拾遺・雑)→おほかたの秋来るからに我が身こそ悲しきものと思ひ知りぬれ(不知・古今・秋)→秋風の吹きと吹きぬる武蔵野のなべて草葉の色変はりけり(不知・古今・恋)→鳰の海や月の光の移ろへば波の花にも秋は見えけり(家隆・新古今・秋)」となろうか。
2014年 09月 29日
ひとり歩き◆市川雅彦日本画作品展から無花果句会へ
丸ノ内線の銀座を地上に出て中央通りを歩き、まず六丁目の菊水に立ち寄る。折れてしまったブライアのマウスピースを取り替えてもらうのだ。
それから一本ウラの金春通りを新橋方向へ歩く。Gallery美庵は江戸指物の平つかビルの五階だった。エレベータで男性と一緒になる。それが市川雅彦氏であることはすぐにわかった。弟君と懇意にしているからである。
画はすべてカッパドキア(トルコ)をモチーフにして、人は見当たらないが、画布全体の色彩にあたたかな人の暮らしを縫い込んであるという印象。むかし子どもに読み聞かせたムーミン、中国で目にした似たような住居を思い出した。恥ずかしながら、思い出したことをそのまま市川氏に話した。芝居・音楽・絵画などで、絵の話題がもっとも苦手なのである。
どれも抱えて持ち帰れそうな親しみを覚えつつ、絵は一部屋に一枚で十分だなと思った。可愛らしいギャラリーに十数部屋分の絵がところ狭しと並んでいたのだ。
高速道の下をくぐり、外堀通りの四つ角にある宮越屋で珈琲を飲んでから句会へと向かった。宮越屋は札幌が本店の濃い珈琲の店である。御嶽山噴火のことは帰宅後に聞かされた。
露を見るやうになりしはこの句以後
朝顔を這はせて道をせばめ住む
秋の日の置き忘れたる本ぬくし
どうしても似て来るおかめ南瓜かな
南瓜飯家族がそろふこと嬉し
2014年 09月 23日
真贋は内容(読解)によるべし◆俳文学会東京研究例会(9月)
2014年 09月 22日
見し秋を何に残さん1◆貫之
なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくて来るが悲しさ
といひてぞ泣きける。父もこれを聞きて、いかがあらむ。かうやうのことも、歌も、好むとてあるにもあらざるべし。唐土もここも、思ふことにたへぬときのわざとか。今宵、鵜殿といふところに泊る。(貫之・土佐日記・二月九日)
→詩ハ志ノ之ク所、心ニ在ルヲ志トナシ、言ニ発ハルルヲ詩ト為ス。情中ニ動キテ言ニ形ハル。之ヲ言フニ足ラズ、故ニ之ヲ嗟歎ス、之ヲ嗟歎スルニ足ラズ、故ニ之ヲ詠歎ス(毛詩・序)
▶▶『毛詩(詩経)』「序(国風序)」。心に思うことが韻文の形式通して詩となり、韻文のかたちにできない人の心をとらえる。そしてその詩に満足できないとき、人は歌い始める。
2014年 09月 21日
この人の一句◆葦原は風棲むところ残る虫 吉田千嘉子
2014年 09月 12日
湯呑みの素十句◆家持のゆかりのいで湯薄月夜 素十
割りふられた部屋に落ち着き、仲居さんが入れてくれたお茶を飲もうとして気が付いた。湯呑みに「家持のゆかりのいで湯薄月夜 素十」と高野素十の句を刷り込んで、高台に「有田/順天」とある。フロントに電話をかけると、売り物ではないがと言いつつ、450円でわけてくれた。
フロントに向かって左の壁に掛かる額装を読むと「家持のゆかりのいで湯薄月夜 素十/この句昭和廿五年高野及川/両博士が千歳舘に御滞在の(折)の句也/短冊焼失して無し/苦行林かく」とある。「及川」とは素十とともに新潟医科大学に奉職した及川周(まこと、俳号仙石)であろう。「千歳館」はこの宿の元の名前で、三年ほど前に建て替えて「ひなの宿 ちとせ」としたらしい。若女将によれば、「短冊焼失」の火災は昭和二十九年のことで、「苦行林」とは地元の俳人だという。
句はこの地に大伴家持がこの地に隠れ住んだという伝説によるようだ。家持は六十歳を過ぎて陸奥に赴任していたように思うが、越後に隠れたという話は初めて知った。地元の女との間に設けた娘が実の母を慕って飛び込んだという秘話「鏡が池伝説」が残っているという。
なお、この句は宿に大事にされて、和紙のランチョンマットにも刷り出してあった。なお、帰宅して文庫版『素十全句集』(永田書房)を見たが、この句は採られていない。
美人林とか農舞台とか、安吾記念館になっている大棟山美術博物館のことなど、書き留めておきたいことは多いが、いまは時間がない。
2014年 09月 12日
気ままな芭蕉散歩◆上野市駅前の芭蕉像
黒板に文月と書き遊女と書き 村松紅花
2014年 09月 12日
講演◆旅は芭蕉に何をもたらしたか― 『おくのほそ道』を軸にして―
すなわち、『おくのほそ道』に収められる句々は、ゆかりの地において御当地ソングのように親しまれることはあっても、芭蕉の生涯における意味が問われることは少ない。そこで、名作の名をほしいままにしている『おくのほそ道』を批判的に読みつつ、「軽み」と言われる晩年の作風に及んだ。そして、作風の変化は人生の変化であること、変化する理由は芭蕉がそれだけ自分の命に誠実であったからという結論。同じテーマで話すことが、ボク自身がより深くものを考える機会になる。ありがたい一日だった。会場の博物館はちょうど「とちぎの鉱物」という企画展をやっていた。知らない分野を覗くのもおもしろい。駅で肉の多い餃子、野菜の多い餃子を買って帰途についた。
2014年 09月 10日
袋回しという席題句会の方法◆考えすぎないための稽古に
2)幹事は参加者に封筒一枚と切り短冊(適宜)を配り、まず封筒のオモテに任意の題を書かせる。(出題と投句数、まだ句作の制限時間については、事前に方針を決めておくことが望ましい)
3)全員が題を書き終えたら、幹事の指示に従い、題(封筒)を通常の句会同様に、右隣の人に渡す。
4)左の人から渡された題(封筒)で、各自が制限時間内に句を詠んで、その切り短冊を手許の封筒に入れる(無記名投句である点は通常に同じ)。幹事のTime up宣言で終了。
5)投句の入った封筒を右隣に渡し、左から渡された新題でまた句作して封筒に入れて右隣に渡す。
6)これを自分の出題が戻って来るまで繰り返し、自分が出した題で句作して投句終了。
7)これ以後の手順は通常に倣って(つまり筆蹟で作者が判明するのを防ぐ目的で)、清記用紙に清記して、選句して披講という運びが望ましいが、情況によっては短冊を回覧し、佳句と思える句の短冊裏に選句者名を記入して披講へとすすむ方法もある。