海紅山房日誌

kaicoh.exblog.jp
ブログトップ

<   2015年 09月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 後期が始まって、日本の詩歌の講義をどんなテーマで始めようかと考えた末に、今年は九月二十七日にあたることを確認しつつ、仲秋の名月の話をした。陰暦と陽暦にある四十数日の季感のずれを説き、雪月花を賞美する歴史を講じ、月が人の心をどんなふうに浄めてきたかを話した。そして、長い日本文学史のなかで、反戦歌という美しいカテゴリが成立したのは60年安保闘争と70年安保闘争のはざまであって、ちょうどベトナム戦争の時期にあたる。そして、それはそれまでの長い日本文学史に一度もなかったもののように思うと結び、谷川俊太郎の「死んだ男の残したものは」を読んで聞かせた。

 死んだ男の残したものは
               作詞 谷川俊太郎
               作曲 武満 徹
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

□***************************************□
by bashomeeting | 2015-09-26 21:23 | Comments(1)
 まことに久しぶりにK子さんから手紙が来て、弟さんの編集になる『戦争と平和を見つめる絵本わたしの「やめて」』(朝日新聞出版 ISBN:9784022513243)という本を紹介してくれた。「自由と平和のための京大有志の会 文 / 塚本 やすし 絵」である。いま話題の本で、その評判があちこちに掲載されているから、ここでは「天声人語」(2015年9月15日)を転載させていただく。

▶▶転載「天声人語」(2015年9月15日)

平仮名しかわからない小さな子にも読んでほしい。埼玉県に住む予備校講師の山岡信幸さん(51)はそう思い、易しい言葉で「こども語訳」を作った。8歳と5歳と3歳の3児の父。書き出しは「くにと くにの けんかを せんそうと いいます」だ▼訳したのは、「自由と平和のための京大有志の会」が7月に公表した声明書である。安保関連法案への反対を詩的につづり、幅広い共感を呼んだ。山岡さんは、例えば原文の「戦争は、すぐに制御が効かなくなる」を、「せんそうは はじまると だれにも とめられません」とした▼有志の会に送ると、すぐに会のホームページに掲載された。それに目を留めたのが、絵本作家の塚本やすしさん(50)だ。戦争に関するすべてのことを言い当てていると感じ、「これは絵本にするしかない」と即決した▼参院での採決前に出版したいと考え、3日で絵を仕上げた。戦争の怖さを表現しつつ、残酷になりすぎないよう気をつけたという。企画してから発売までたった40日。「ふつう絵本には緊急出版なんてないんですが」と塚本さんは笑う▼『戦争と平和を見つめる絵本 わたしの「やめて」』はこうして世に出た。山岡さんは広島生まれで親族に被爆者がいる。塚本さんの両親は東京で空襲を経験している。次の世代に平和を引き継ぎたいという2人の思いが、言葉と絵の力に結実した▼作品の最後、大勢の子らが必死の表情で叫ぶ。戦争を始めようとしている人たちに、「やめて」と。

□***************************************□
by bashomeeting | 2015-09-26 15:56 | Comments(0)
 九月十三日(日)、大垣市と教育委員会が主催する「おおがき芭蕉大学」という企画で、「芭蕉と蕪村―その郷愁をめぐって―」(於奥の細道むすびの地記念館)という講演をしてきた。
 はじめに、山口洋子「ふるさと」、室生犀星「小景異情」、陶淵明「帰去来辞」にふれて、郷愁というテーマがいかに古くから繰り返し唱われてきたかを思い起こしてもらった。その上で、故郷に関して、芭蕉・蕪村に本質的な違いがあることを説き、心の反映である作品にも当然それはみてとれるという話をした。
 使用した主な資料は「実兄宛芭蕉書簡」「幻住庵記」「実兄宛芭蕉の遺書」、「北寿老仙をいたむ」「春風馬堤曲」「柳女・賀瑞宛蕪村書簡」で、締めくくりに、講話の結論を援護してくれる芭蕉と蕪村の句(むろん秋の句)を味わった。

▶▶実は夕食会をするという誘いにしたがって前泊。夕食会のメンバーは昨年十月に「芭蕉はなぜ旅に出たのか」(企画展関連講座)という話をしに出かけた際に御世話になった人々と、その際に参加させてもらった句会の先生。翌日の講演は午後で、午前中はあいていたから電車でふらりと一人旅。終点の美濃赤坂で下車して法泉寺の芭蕉句碑を見て、美濃国分寺(青野)までは電車がないので、1時間歩いて念願の芭蕉塚を見た。坐骨神経痛の身にこの散歩はしんどかったが、講演会場でもてなされた水饅頭でその疲れもどこかへ。おすすめの茶菓である。

□***************************************□
by bashomeeting | 2015-09-18 03:56 | Comments(0)
 人にはそれぞれ、できることと、できないことがある。わたくしどもは、できないことは他者に依存し、できることについてはできない者に手をさしのべればよいのである。誰にとっても、自給自足が絵空事であることは承知しているはずなのに、たとえば「老後は子供にも医者にも世話にならぬように暮らしたい」などときれいごとをいう。そんなMonsterなど、いままでいたためしがない。

 独立とは、他者に依存するときは依存して、けっして争わないことである。誰かに教えてほしいのだが、まがりなりにも、それを七十年やってきた国は何もこの島国ばかりではないのではなかろうか。とすれば、戦争放棄とはできない理想でなどなく、持ちこたえている現実なのだ。世界に誇るべきその模範を、みずから捨てようとする為政者の蒙昧を悲しむ。

 ところで、国際平和の維持や生活安定のための国際協力をめざしたはずの国際連合はいったい何をしているのか。ものごころがついて以後、学校教育で受けたその理想を、国際連合に感じ取ったことはほとんどない。死に体である、という評価がくだるまえに、大国のエゴを修正する哲学の降誕を心から望んでいる。

  そばの花美しければ人貧し        木村 道子

□***************************************□
by bashomeeting | 2015-09-17 13:34 | Comments(0)

芭蕉会議、谷地海紅のブログです。但し思索のみちすじを求めるために書き綴られるものであり、必ずしも事実の記録や公表を目的としたものではありません。


by bashomeeting