2016年 04月 26日
姿情を求めて1◆題詠
題詠は文字通り、出題された「題目を」主題として表現する、または「題目で」○○を表現することです。後者の場合は○○が主題になります。
A雨晴れてちりぢりにある金魚かな 高野素十
B貧乏を映して久し金魚玉 吉原朱雀
C思ひきりふくらむ螢袋かな 安田蚊杖
D流人墓ほたるぶくろは白ばかり 神蔵 器
A・Cは「題目を」詠んだもの、B・Dは「題目で」詠んだものです。しかし、そのどちらも天然(自然)の変(出来事)と誠実に向き合っている点で共通しています。試みにB・Dの主題はなにか考えてみましょう。
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2016年 04月 25日
坐骨神経痛観察2◆痛みは届かない
仲春にT君からメールが来て「海紅山房日誌が元旦のままなので、少し心配していた」とある。先便に対するボクの返信に「痛みの推移」「整形外科の限界」などと書いたりしたものだから心配をかけたらしい。
三月某日、「桜には一週間ほど早いけれど」と言ってT君が来山、ひさしぶりに四五時間話し込んだ。そして、ボクの痛みの経緯を聞いたT君の診断は「……そんなに重い症状とは想像しなかった」「……しかしセンセイは幸運です。世間の多くは確証のない施療に二年も三年も費やして、それでも頼れるものに出合えていない。いま聞いた話を書き残して、痛みで困っている人の参考にしてもらうべきだ」というものだった。サプリメントの専門家らしい強い口調だった。
海紅山房日誌は、著名人の自己主張やタレントの自己顕示欲とは無縁で、事実の公表を目的にしていないけれど、時間をみつけて再開しようかと思った。「坐骨庵日記1◆星に祈りを」(2015年 10月 23日)の名を「坐骨神経痛観察」と修正して、以後気ままに綴ることにする。
ひととせを蜷の道とも顧みし 海 紅
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